小牧山城は織田信長が美濃攻めの拠点で4年のみ使用 徳川家康が小牧・長久手の戦いと戦国を知る手がかりに
小牧山城は織田信長が美濃攻めの拠点で4年のみ使用
徳川家康が小牧・長久手の戦いと戦国を知る手がかりに
目次
小牧山城(こまきやまじょう)は織田信長が築城
小牧山城(こまきやまじょう)は愛知県にある山城
小牧山城は織田信長が美濃攻めの拠点として築城し、
後の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の陣城となっている。
小牧山城がある小牧山(こまきやま)は愛知県小牧市にある標高86mの山。
平野の真中にある為、山の頂上にある小牧城からは周囲を見渡す事ができる。
山の大きさは、東西約600メートル、南北約400メートルである。
山全体の総面積は、約21ヘクタール
小牧山
〒485-0046 愛知県小牧市堀の内1丁目
織田信長は美濃攻めを終える4年間しか使わなかったことから
急造の砦に近いものと想像されていました。
2004年からの試掘調査で城の主郭の四方を石垣で囲んだ本格的な城であることが判明
城郭を取り巻く三重の石垣(三段の石垣で一番下の段は腰巻石垣)が発見された。
(普通は石垣は二重だった)
そして、小牧山築城によって移転してきた住民によって営まれた町割も発見。
このため、小牧山城は戦時急造の城ではなく、清州城に代わる新たな拠点として築かれた城郭であることが判明。
2005年(平成17年)に行われた第2次試掘調査で現在の大手道の地下に永禄期の大手道があることが発見。
永禄期の大手道は、山側谷側にもそれぞれに石積を設け、道の両端を区画していた。
道幅は約5mで、道に並行して幅 20cmの排水溝を設置していた。
この構造は安土城の正面にある大手道と構造的に似通っており、安土城が初見とされる大規模な大手道は、この小牧山城が最初であったと推測されている。
織田信長の代表的な安土城の
当初織田信長は長期滞在も考えていた可能性もあったのではないかと言われている。
山城(やまじろ、やまじょう)とは
険阻な山を利用して築かれた城の一種。
高い場所からは、視界を確保できるため有利だったため、
地域や時代を問わず普遍的に行われている。
ですが、山城(やまじろ、やまじょう)という呼び方は、
江戸時代の軍学者によって分類された地形による城の分類法の一つ。
山に作ったら山城と呼ぶわけではないようで
どのお城が山城なのかという分類は意見が分かれているようです。
日本の山城には3種類があります。
古代山城
飛鳥時代から奈良時代の畿内から九州北部にかけて築かれた。
中世山城
中世、鎌倉時代から戦国末期まで全国的に築かれた(戦国末期のものを戦国山城ということもある)。
近世山城
安土桃山時代後期から江戸初期までに築かれた。
歴史秘話ヒストリア「山城、戦国を動かす」
2019年1月30日(水)22時25分~23時10分の放送
歴史秘話ヒストリア「山城、戦国を動かす」
【今週のヒストリアは 戦国の #山城】
▽30日(水) 午後10:25〔総合〕
#戦国時代 の「山城」がアツい!
研究者注目の山城、#織田信長 の山城革命、戦国の世を動かした山城の戦いなど「戦国の山城」の魅力と真実に迫ります!
#ヒストリア #千田嘉博https://t.co/tgpcooAjmy— NHK大阪放送局 (@nhk_osaka_JOBK) 2019年1月28日
戦国時代の「山城」探訪が登山ブームもあって大人気!さらに、近年の全国調査で山城こそ戦国を知る何よりの手がかりとわかってきた。山城に秘められた戦国の真実に迫る。
番組内容
戦国時代の山城がアツい!全国で4~5万ともいわれる山城の遺跡は、現在の登山ブームもあって大手旅行代理店も大注目の観光スポットだ。観光だけではない。
30年あまり続く全国調査で「山城」こそ戦国を知る何よりの手がかりとわかってきた。研究者注目の山城、織田信長の山城革命、戦国の世を動かした山城の戦い…最新研究にもとづくCG、NHK一山城好きアナウンサーのリポートもまじえ「戦国の山城」の魅力、真実に迫る!
出演者
出演
奈良大学教授(元学長)…千田嘉博,
キャスター
井上あさひ,
リポーター
早坂隆信
千田嘉博のプロフィール
NHK『歴史秘話ヒストリア』「山城、戦国を動かす」は、本放送 1月30日(水)22:25~23:10(総合)、再放送 2月2日(土)10:05~10:50(総合)の放送予定。※沖縄県と東北地方は、再放送は別編成のため休止。沖縄県と東北地方のみなさまは、本放送をお見逃しなく! https://t.co/0EgFdR9WBk
— 千田嘉博_城郭考古学 (@yoshi_nara) 2019年1月29日
氏名 千田 嘉博(せんだよしひろ)
生年 1963年
愛知県生まれ。
奈良大学 文学部 文化財学科 教授、前学長。
日本の城郭考古学者
世界の城と日本の城の比較研究を行っている
中学1年生のときに遠望した姫路城に感銘を受ける。
1982年に名古屋大学教育学部附属高等学校卒業
1986年に奈良大学 文学部 文化財学科を卒業
名古屋市見晴台考古資料館学芸員
1990年から国立歴史民俗博物館 考古研究部 助手
1995年に文部省在外研究員としてドイツ考古学研究所、イギリス・ヨーク大学に留学
2000年「織豊系城郭の形成」の研究により大阪大学博士(文学)
2005年奈良大学 文学部 文化財学科 准教授
2009年から教授
2012年8月-2013年8月ドイツ・テュービンゲン大学および、ドイツ・フランクフルト大学の客員教授を勤める
2014年から2016年まで奈良大学 学長
受賞歴
2015年に濱田青陵賞を受賞。
2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』の真田丸城郭考証者。
2018年に奈良新聞社から奈良新聞文化賞を受賞。