茂木稔は伊藤納豆店(下仁田納豆)の南都隆道を救った! 「三之助(みのすけ)とうふ」の「恩返しより恩送り」がアンビリバボー!

茂木稔は伊藤納豆店(下仁田納豆)の南都隆道を救った!
「三之助(みのすけ)とうふ」の「恩返しより恩送り」がアンビリバボー!

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目次

茂木稔に救われた伊藤納豆店(下仁田納豆)の南都隆道は

伊藤納豆店は現在下仁田豆腐店に改名されています。
南都隆道さんの両親が手作り納豆の伊藤納豆店を経営していました。自転車の納豆売りもしていたそうです。

南都隆道さんはすぐには納豆屋さんを継ぐことはせずに
東京で設計の仕事をするサラリーマンでした。

南都隆道さんに転機が訪れたのは1995年(平成5年)のお正月。
群馬県下仁田市に帰省した時に、父親からの告白でした。

父親が60歳になり、納豆屋の売り上げも上がらないことから
納豆店を畳もうと思っているとのことでした。

それに対する南都隆道さんの答えは
「納豆店を自分が継ぐ」というものでした。

小さい頃から、両親が営んでいた納豆屋を廃業させたくない。
手作りの納豆の味を無くしたくないという南都隆道さんの思いがあったのでしょう。

南都隆道のプロフィール

氏名   南都隆道(なんと たかみち)
生年月日 1963年04月13日
年齢   55歳
出身地  群馬県甘楽郡
現住所、 群馬県富岡市
血液型  AB型

しかし、商売をしたことのない南都隆道さん。
しかも納豆は、工場での安価な大量生産がスーパーで売られていて中々売上を伸ばすことができず、苦しんでいました。

茂木稔さんの「三之助(みのすけ)とうふ」に出会う

お父さんの納豆屋さんを継いだ南都隆道さんは、
売上を上げるために販路の拡大に挑戦します。

伊藤納豆店の納豆を置いてくれる店舗を増やそうと
スーパーや小売店などに営業に回ります。

しかし、中々販路は広がりませんでした。
理由として、納豆は水戸というイメージが強い。
群馬県の手作り納豆にブランド力がない。
手作りであるために、単価が高いということでした。

そんな時に埼玉県のスーパーで「三之助(みのすけ)とうふ」という豆腐を見つけます。

茂木稔さんが作っているで「三之助とうふ」は1丁300円~500円もするのにスーパーで飛ぶように売れているのです。

同じ大豆を使っていることやなぜこんなに売れているのかを聞きに茂木稔さんの元へ相談に行くことにするのです。
南都隆道さんのこの行動力もすごいですね。
勇気もすばらしい。
納豆屋として売れる納豆を作る覚悟があったのでしょう。

茂木稔さんは南都隆道さんへのアドバイスを快く受け入れます。

まず、いい納豆を作ること。
その分値段が高くなっても価値がわかれば買ってもらえる。

次にターゲットを変える。
スーパーではなくデパートなどの一流品が揃っているところに売り込みをかけるようにすること。

まとめるとこういうことだったのですが、茂木稔さんはまず
「三之助とうふ」で使っている質の高い大豆を原価で譲ってくれました。

「これで納豆を作るように」そして、損をしない値段設定をするようにと。

さらに作った納豆を持っておいでと
「三之助とうふ」と一緒に売ってくれると言うのでした。
それもマージンなしで売ってくれていました。

茂木稔さんの「恩返しより恩送り」

なぜ茂木稔さんは南都隆道さんの納豆屋さんを応援してくれたのでしょうか。

それは「恩返しより恩送り」
茂木稔さん自信も先輩に助けられたことあったそうです。

その助けられた恩は、直接先輩に返す「恩返し」ではなく
後輩を助けてあげるという「恩送り」をすることが
自分への「恩返し」になるとその方は茂木稔さんに伝えたそうです。

この考えは親子にも昔から言い伝えがあります。
親の貰った恩は大きすぎて親に直接返すことができないから
自分の子供に親からもらった恩を繋いでいくというものです。

まさにこの考えですが。
赤の他人、廃業寸前の納豆屋さんにその恩送りをするというは
勇気のいることです。

南都隆道さんが情熱をもって茂木稔さんを訪ねたということなのでしょうが。

そして、南都隆道さんの納豆屋の売り上げは
廃業寸前から、3倍近くまで上ります。

すると茂木稔さんさんが次にしたことは、自分の豆腐と一緒に売ることを止めました。

自分でデパートに売り込みに行けと勧めます。
南都隆道さんは勇気を断れるのを覚悟で一流デパートの三越や伊勢丹などに交渉に行きました。

すると容易に取引がきまりました。

実は、茂木稔さんが
「下仁田納豆という若いもんが納豆を売りに来るからよろしく頼む」
と打診してくれていたのでした。

さらに茂木稔さんは商品についてもアドバイスします。

「君のところの室にはネズミがいる。退治してこい」

どんな意味だったかと言うと納豆を包む経木(きょうぎ)と呼ばれる三角の包の三角形の頂点が欠けているというクレームでした。

高い値段を取っているのだから、品質には十分気を付けて
プライド持ってちゃっと作らなければならないという教えでした。
南都隆道さんは茂木稔さんから恩送りされたことを
これからの若い誰かに送ることでしょう。

下仁田納豆が奇跡体験!アンビリバボー」に

南都隆道さんの下仁田納豆店がアンビリバボーに登場します。

奇跡体験!アンビリバボー【廃業寸前から奇跡の大逆転!!】
2019年1月31日(木)19時57分~21時00分の放送

家族で営む食品会社の2代目に奇跡の恩人!!仕事には自信と情熱を!!さらに2代目が語る恩返しよりも「恩送り」とは!?熱い男たちが創る未来!!

番組内容
1992年、隆道は父が経営する『伊藤納豆店』を引き継いだ。それまで安い豆を使い手作りの納豆を引き売りで販売していたのだが、年々売上は減少し、父が店を畳むことを決意。そのことを父から聞いた隆道は「自分の家の納豆の味を無くしたくない!どうせ廃業するなら自分にやらせてくれ!」と継ぐことにしたのだ。隆道は小売店を回り納豆を置いてもらおうと営業したのだが、工場による大量生産の納豆に比べ手作りの納豆は値段が高すぎると何度も断られる。  そんなある日、埼玉のスーパーで1丁300円で販売されている『三之助とうふ』を見かけた。他が豆腐1丁100円前後に対し、1丁300円するにも関わらず飛ぶように売れていた。隆道がその豆腐店の主人である茂木へ相談に行くと、普段使用している質の良い大豆を販売してくれることに。さらに隆道が作った納豆を買い取り、利益を上乗せすることもなく、買い取ったままの値段で販売までしてくれるという。  一体なぜ茂木はここまでしてくれるのか?しかも茂木はこれだけではなく、陰でさらなる驚きの行動をとっていた!その茂木の行動こそが廃業寸前の納豆店を奇跡の大逆転へ導くことに!果たして茂木のとった行動とは!?そしてその行動に隠された熱い思いとは!?

いつもは、何本かあるアンビリバボーですが
今回はこの「恩返しより恩送り」

茂木稔さんの「三之助とうふ」からアドバイスされ
廃業寸前の納豆屋さんが立ち直った南都隆道さんの
下仁田納豆店のお話一本のようです。

「恩返しより恩送り」無償で後輩を助ける。

日常生活はもちろん商売においても大切なことなのでしょう。

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