高野誠鮮(たかのじょうせん)は宇宙好きからUFOテレビ作家、スーパー公務員でまちづくりを

高野誠鮮(たかのじょうせん)は宇宙好きからUFOテレビ作家、スーパー公務員でまちづくりを

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高野誠鮮(たかのじょうせん)の実績は、コスモアイル羽咋、ローマ法王に米を食べさせた男、ナポレオンの村など、今まで誰もやったことがないことを成功させました。

地元の町や村を二度も再生させた「スーパー公務員」と呼ばれました。
実家のお寺を継ぐ僧侶でもあります。

目次

高野誠鮮のプロフィール

氏名    高野誠鮮(たかのじょうせん)
生年月日  1955年11月2日
年齢    65歳
出身    石川県羽咋市大田町

本證山妙法寺住職の次男として生まれる。
1973年 石川県立羽咋高等学校卒業

アメリカに行き、放送作家を経て、立正大学仏教学部を卒業

宇宙にのめり込む学生だった

高野誠鮮さんは、ロケット打ち上げをテレビでみて、宇宙に興味を持ち、航空宇宙の世界にのめり込んでいきます。
当時もっとも最先端だった、スタンフォード大学のペーターA.スターロック博士に熱烈なファンレターを書きました。

すると博士から段ボールとともに返事がきたそうです。
「君みたいな熱い学生からこんな熱烈な手紙をもらったのはひさしぶりだ。わたしの書いた論文を君にみんなあげよう」

ますます、宇宙も好きになり、さらに人は思いで動いてくれることがあるということ知ったそうです。

同じ宇宙関連でハンガリー出身の元情報将校、コールマン・ブォン・ケビュツキーさんにも熱いファンレターを書きました。

すると、当時アメリカにいたコールマンから「アメリカに来ないか?」と返事がきたというのです。

急いでアルバイトでお金を貯め、英語を必死に勉強してアメリカに行きました。20歳の頃だそうです。

当時のことを

コールマンには随分可愛がられました。情報収集の大切さとやり方、どういう戦略がアメリカという国で取られているのか、また、軍事的な戦略の立て方なども徹底的に叩き込まれました。

物凄い人的ネットワークも作ってくれ、“人脈というのは人にひけらかすものではなく、人に分け与えて活用するもの”という哲学も教えてもらいました。

その後の実績のスーパー公務員などの戦略はその頃に備わっていたのでしょう。

テレビ放送作家時代

アメリカから帰国した頃、UFOや超能力がブームになっていて、よくUFO特集が組まれていました。

アメリカの経験を元に、宇宙関連雑誌のライターや、名物テレビ番組『11PM』などのUFO特集に構成作家として関わるようになっていきました。

日本だけでなく、海外の元宇宙飛行士やUFO研究者にも取材して番組や記事を作っていたそうです。

僧侶になり実家の寺を継ぐために帰郷し公務員に

次男だから全くお寺を継ぐとは想像していなかったという高野誠鮮さん。

UFO関連の仕事でメキシコを取材しているときに占い師に「あなたは長男で家を継ぐ人です」と言われたそうです。
気になって新宿の占い師を尋ねると、やはり、「長男」と言われたそうです。

実際に兄は、他県に家を建てて寺を継ぐ気はなく、高野誠鮮さんが継がなければ、お寺は他に人にという状況になっていたそうです。
28歳のころ、宇宙関連のテレビの仕事を辞めて、将来、お寺を継ぐために実家に戻ってきました。

1984年当時は、父親が現役僧侶のために、正規職員には、年齢制限でなれず、市役所に手取りで6.8万円の臨時職員になりました。

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予算0でUFOで町おこしでスーパー公務員に

竹下首相の「ふるさと創生」で市役所では、まちづくり大会をしていましたが、セミナーや勉強会ばかりで、実際のまちづくりをしていない。

そこで、高野誠鮮さんは、、担当者に「ぼくがまちづくりをしてもいいですか?」と質問します。

すると、「やりたかったら勝手にやってみろ。臨時職員だから予算はつかないけどな」という返事がきたのです。

高野誠鮮さんは、町の歴史書から古文書までを読みあさりました。すると、公民館の『古文書講座』で、UFO伝承に出会うのです。

「地元に伝わる江戸時代の古文書を読んでいたら『西山から東山へ麦わら帽子のような形をしたものが飛んでいた』
さらに室町時代にも怪しい飛行物体の記述がある。
これは今で言うUFO伝承じゃないか!これは使えるぞ!」

そこで、高野誠鮮さんは何をしたかというと、

最初にしたことは、
古文書のコピーしかないのに、『UFOのまちづくり、始めました』と、AP通信やロイターなどの海外メディアにリリースを打ちました。

すると、

旧ソ連の『コムソモリスカヤ・プラウダ』や南米最大の『グローボ』という新聞が食いついて、現地の社会面のトップ記事にもなりました

次にしたことは、「土産物を作る」
当時はベルリンの壁が崩壊した頃で、その壁の土を使ったUFO型の土鈴『ベルリンリン』を作ったのです。

「宇宙から見たら国境なんて関係ない。これは平和の鈴です。」

と意味を込めて作るとドイツで話題になり、日本のメディアでも取り上げられるように。

その後、地元の飲食店でUFOメニューを出す店も増えていき、
予算ゼロから始めた町おこしが、徐々に形になっていったといいます。

宇宙とUFO国際シンポジウムを開催

次にスーパー公務員の高野誠鮮さんのさらなるUFOの町づくりは「宇宙とUFO国際シンポジウム」を開くことでした。

初めは、500万円の予算でできるだろうと市に提案したそうですが、実際には、6000万円以上かかると判明します。

残りの予算の資金集めに苦労しながら、
1990年11月17日から25日の9日間
羽咋市主催の「第1回 宇宙とUFO国際シンポジウム」が開催しました。

初めは反対してた市の議員さんを総理官邸に直接電話をするという突拍子もない方法で納得させました。

当時のことを高野誠鮮さんは

NASAの「スカイラブ4号」の船長、ジェラルド・カー博士に
会場のお客さんは本物の宇宙飛行士の講演に満足してくれたようでした。

9日間で人口2万人の町に5万人近くの人が集まり市内の飲食店や民宿も大盛況でした。

最後の日に、開催場所の文化会館の大ホールで、商工会青年部や役所の職員、婦人会や学校の先生、高校生たちがみんな集まって反省会をしたわけです。

初めに市長が挨拶をしようとマイクを持ったのですが、声が出ないんです。言葉は出ずに、涙だけが出たんです。
その姿を見て課長が泣き、役所の職員や先生たちも抱き合って泣きました。それまで市長も市民も感激して泣いたというイベントはありませんでした。苦労が多かった分だけ喜びがありました。

小さな田舎町にこんなに人が集まりイベントが大成功するということを町の人全員が実感したのでしょう。

スーパー公務員「コスモアイル羽咋」を作る

さらにスーパー公務員の高野誠鮮さんのUFOの町づくりは加速していきます。

1996年7月1日 宇宙博物館「コスモアイル羽咋」が開館

「コスモアイル羽咋」は、コンサートもできる900席の大ホールや市立図書館、研修室などを備えた複合施設です。

本物の宇宙船とロケットをNASAと旧ソ連から持ってきました。
NASAからは「レッドストーン・ロケット」
旧ソ連からは「ヴォストーク宇宙カプセル」。

実際に飛行し、宇宙から帰還したものでした。

旧ソ連の「ヴォストーク宇宙カプセル」の入手は、当時は、ロシアになったばかりで、旧ソ連の軍人が国の売れるものを売って自分の懐にこっそり入れる人がいたそうです。

そこに目を付けた高野誠鮮さんは、交渉するのですが、高く売ろうとする人たちを相手にアメリカまでロケットを持って来させておいて値段交渉をして、
『その値段ならいらない。持って帰ってくれ』と言い、結局安い金額で手に入れることに成功します。

NASAの「レッドストーン・ロケット」はほぼタダ同然で貸してもらっていて、通常1年のレンタルロケットを100年と書いてレンタルしたそうです。

その言い草が
『香港もイギリスが100年借りたでしょう? だから僕らにもロケットを100年貸してください』

と、するとたまたまNASAの政治部長が通りかかって、大笑いされて通ってしまったそうです。

本物のロケットと宇宙カプセルを展示したことは日本だけなく世界中で話題になりました。

年間5万人ほどが来館するコスモアイル羽咋は、
UFOマニアだけでなく、本物の宇宙船や隕石、宇宙開発の資料などを見に、家族連れも多く訪れている有名施設になりました。

52億円の予算はどこから

高野誠鮮さんの予算の貰い方がまたすごかった

「52億円は国から予算をいただきました。内訳は建物に30億円、用地買収や取り付け費用で20億円くらい。残りの2億円でロケットや宇宙船などの展示物を用意しました」

と簡単に言っていますが。

『宇宙の出島、能登羽咋プロジェクト』を提案

高野誠鮮さんは、石川県羽咋(はくい)市を「UFOの町」にするプロジェクトを成功させました。

『宇宙の出島、能登羽咋プロジェクト』
と名付けた企画を旧自治省主催のリーディングプロジェクトに提案したのです。

『UFOが実在するならば、それは現代の黒船だ。かつて黒船を迎え入れたのは長崎の出島。今世紀の出島は日本列島だ。宇宙の出島は能登半島だ』

「すると『これはおもしろい!』と評判で、52億6000万円の予算が国から下りたんです」というのです。

数年前からUFOでまちづくりでしていた実績もあり、

放送作家として、UFO番組を作り、海外に取材した経験がある高野誠鮮さんの企画力と情熱を持てば人は動くという確固たる信念の結果かもしれません。

ローマ法王に神子原米を献上

UFOでまちづくりを成功させた高野誠鮮さんですが、
その次は、限界集落をブランド米で再生。
そのキーパーソンは「ローマ法王」でした。

2005年から過疎高齢化が進む羽咋市神子原地区を“限界集落”から脱却させることに成功しました。

2005年(平成17年)- 1.5次産業振興室創設(農山漁村活性化計画に着手)
神子原の取り組みが毎日地方自治大賞特別賞を受賞。
10月21日 – ローマ法王に神子原米を献上

65歳になった現在は総務省の地域創造アドバイザーや立正大学客員教授などを務めています。

高野誠鮮さんが激レアさんを連れてきた。に出演

2020年11月23日(月)23時15分~24時15分の放送の激レアさんは

今回の激レアさんは

『筋金入りのUFOマニアだったけど、ひょんな事から地元の市役所で働くことになった結果、強引にUFOで町おこしを達成してしまい伝説となった人』

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