ディアトロフ峠事件1959年オトルテン山の予定がロシア未解決事件が2020年原因は雪崩と結論も遺族は?

ディアトロフ峠事件1959年オトルテン山の予定がロシア未解決事件が2020年原因は雪崩と結論も遺族は?

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目次

ディアトロフ峠事件は1959年に起こった

1959年2月2日の夜、当時はソ連ウラル山脈北部で雪山登山をしていた男女9人が不可解に亡くなった事件です。
山は、ホラート・シャフイル山とう名で地元で「死の山」と呼ばれていました。
探検の目的地はオトルテン山で悪天候と吹雪によって迷ってホラート・シャフイル山に入ったとみられています。

不可解な状況とは

マイナス30℃の極寒の中、テントを中から切り裂いて裸足で外に飛び出したとみられました。
争った形跡はなく、2人は頭蓋骨が骨折していて、他の2人は肋骨を損傷していて、他の1人は舌を失っていた言います。
さらに、数人の衣服から高い線量の放射性物質が検出されました。
9人の死の原因の全容が解明されていない、不明な点が残っています。

当時のソ連の捜査当局は、「抗いがたい自然の力」によって
9人が命を落としたとして、事件後3年間にわたって、スキー客や探検家などが事件の発生した地域への立ち入ることを禁じました。

ディアトロフ峠事件の61年後に解決か

ソ連を引き継いだロシア連邦の最高検察庁は2020年7月13日、原因が明らかになったと発表しました。

「世界最大級の未解決ミステリー事件」とされていたディアトロフ峠事件。
事件の原因は、関する説は75にも及びました。

長年さまざまな憶測を呼んできた事件ですが、ロシア検察庁が再調査をして新展開が明らかになりました。

原因は「雪崩」によるものとの見解を示しました。
しかし、遺族は人為的なものがあると納得していないようです。

被害者の登山者一行は

一行は、初めは、男性8名、女性2名の合計10名のグループで、現在のウラル工科大学の学生か卒業生でした。

当初のメンバーは

1.イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ
1936年1月13日生まれ 23歳。リーダー
事件のディアトロフ峠事件の名前はここから

2.ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ
1937年1月12日生まれ 22歳。

3.リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ
1938年5月12日生まれ 20歳。

4.アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ
1934年11月16日生まれ 24歳。

5.ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン
1936年1月11日生まれ。 23歳。

6.ユーリー(ゲオルギー)・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ
1935年2月7日生まれ 24歳

7.ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ
1938年1月29日生まれ 21歳。

8.ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ
1935年7月5日生まれ 23歳。

9.セミョーン(アレクサンドル)・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ
1921年2月2日生まれ 38歳

10.ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン
1937年7月19日生まれ 21歳 2013年4月27日没

そして、10人目ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン
1月28日持病のリュウマチが悪化して、一行から離れることとなりました。

登山の日程と発生までの行動

一行の最終目的地は、事件発生現場から北に約10キロのオトルテン山に設定されていました。

そのルートは、事件当時の季節では、きわめて厳しいものだったそうですが、一行の全員が長距離スキー旅行や山岳遠征の経験があったために、その探検計画に反対するものがいなかったと言われています。

1959年1月25日
スヴェルドロフスク州北部の中心地イヴデリに列車で到着。
チャーターしたトラックで約80キロ北方にある最後の有人集落、ヴィジャイに到着。

1月27日
ヴィジャイからオトルテン山へ向け出発。
1月28日
ユーリー・ユーディンが離脱、一行は9人に。
その後生前の一行と遭遇した人は見つかっていない。

1月31日
未開の原生林を北西方向に進み、オトルテン山麓に到達。
荷物を整理して、帰路の分は残置。

2月1日
一行はオトルテン山へ続く渓谷へと分け入った。

渓谷を北に越えてキャンプを張ろうとしていましたが、
悪天候と吹雪による視界の減少によって方向を見失って、西に道を逸れてオトルテン山の南側にあるホラート・シャフイル山へ登り始めてしまった。

間違ったことに気づいたが事件の起こった場所にテントを張っています。
そのことについてたった一人の生存者のユーリー・ユーディンは、
「ディアトロフは、すでに登った地点から降りることを嫌ったか、この際山の斜面でのキャンプ経験を積むことに決めたのではないか」
と語っています。

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事件の発生、捜索、発見

一行は、下山して、ヴィジャイに戻り次第、ディアトロフが速やかに彼のスポーツクラブ宛に電報を送ることになっていました。

2月12日まではに電報がくるだろうと思われていました。
しかし、ディアトロフは少し遠征が長引くかもしれないと話していたこともあって、連絡が遅れているとあわてませんでした。

しかし、2月20日に一行の親族たちの要請で、ウラル科学技術学校はボランティアの学生や教師からなる最初の救助隊を送りました。
その後に軍と警察が加わり、救助活動はヘリコプターや航空機を投入した大規模なものとなりました。

2月26日、捜索隊がホラート・シャフイル山で損傷して放棄されたテントを発見。
テントを発見した学生は、
「テントは半分に引き裂かれ、雪に覆われていました。中には誰もおらず、荷物はテントに置き去りにされていました」
と述べています。

調べによると、テントは内側から切り裂かれていて、8つないし、9つの靴下の足跡、片足だけ靴を履いた足跡、そして、裸足の足跡が近くの森に向かって続いていました。

500メートル進んだところで、雪に覆われて足跡は見えなくなっていました。

捜索隊は森のはずれの大きなヒマラヤスギの下で下着姿で靴を履いていないユーリー・クリヴォニシェンコと、ユーリー・ニコラエヴィチの〇体と焚き火の跡を発見しました。

木の枝が5メートルの高さまで折られていたことが、彼らのうち一人が木の上にのぼって何かを探していたと思われる。

捜索隊は、ヒマラヤスギとキャンプの間で、ディアトロフ、ジナイダ・コルモゴロワ、そしてルステム・スロボディンの3人の〇体を発見しました。

〇体はそれぞれ木から300メートル、480メートル、630メートル離れた位置で別々に見つかり、その姿勢は彼らがテントに戻ろうとしていた状態で亡くなったことが考えられる。

5月残りの4人を発見

残りの4人はさらに2か月後に見つかりました。
ヒマラヤスギの木からさらに森に75メートル分け入った渓谷の中で、4メートルの深さの雪の下から発見されました。

4人の服装は、ちゃんとしていて、先に亡くなった人の服を着たのだろうと想像できました。

ゾロタリョフはドゥビニナの人工毛皮のコートと帽子を被っており、同時にドゥビニナの足にはクリヴォニシェンコのウールのズボンの切れ端が巻かれていたといいます。

検死の結果は

最初の5人が発見され、検死が行われましたが、全員が低体温症と判明しました。
ケガもありましたが、直接結びつくほど大きなケガではないとされました。

5月に発見された4人のはじめの5人とは違っていました。
彼らは、致命傷を負っていたといのです。

チボ=ブリニョールのは頭部に大きな怪我を負っていて
ドゥビニナとゾロタリョフは肋骨をひどく骨折してたといいます。
このような損傷を引き起こす力は非常に強いものであり、交通事故の衝撃に匹敵するとされました。

ただ、外傷を負ってなく、あたかも非常に高い圧力を加えられたかのようであったことと、ドゥビニナが舌を失っていたことであった
マイナス25℃から30℃と極めて低く、嵐が吹き荒れていたにも関わらず、薄着で靴もまともに履いていない。

超常現象から軍に秘密兵器実験など事件の原因がいろいろな説が持ち上がりました。

当局の最終的な調査結果は、全員が「抗いがたい自然の力」によって亡くなったというもので
1959年5月に公式に終了し、「犯人はいない」と結論になりました。

2018年に事件の再調査を開始

遺族からの要請を受けて、ロシア検察庁は、2018年に事件の再調査を開始しました。

資料は、機密文書保管庫に送られていて、1990年代になってコピーが公開されるようになりましたが、いくつかの資料が失われていたそうです。

そして、2020年7月13日、ロシア検察庁は、被害に遭った原因は、雪崩によるものと見解を発表しました。

しかし、遺族らで結成された民間団体の弁護士は、遺族はこの結論に納得していないとしています。

人為的な要因があるだろうとして、検察の結論に同意しなかったということです。

ディアトロフ峠事件が世界の何だコレ!?ミステリー

2020年11月4日(水)19時00分~21時00分の放送の
世界の何だコレ!?ミステリーSP
【未解決事件の真相/何だコレ映像/視聴者投稿】

ロシア雪山で「男女9人怪死事件」説は75&61年封印された謎!だが今年、検察が遂に真相を発表!導き出された結論とは
▽何だコレ映像!目あける人形&突如体から発火?

番組内容
▽1959年ロシアのとある雪山で、登山チームの男女9名が謎の死を遂げた。彼らのテントはなぜか内側から引き裂かれ、靴も履かずに遺体となって発見された不自然な遺体と、不可解な状況。この事件は「ディアトロフ峠事件」と呼ばれ、事件の原因に関する説は75にも及んだが、61年間その謎は解明されることなく「世界最大級の未解決ミステリー事件」に…しかし、今年7月、長年にわたりさまざまな臆測を呼んできたこの事件に新展開が!事件を再調査していたロシア検察が、ある結論を発表したのだ。導き出された結論とは一体!?あの日あの雪山で何が起きていたのか!

▽視聴者の“長年の謎”を田中卓志隊長(アンガールズ)&あばれる君先生が直撃!田中隊長が調査するのは「35年前に山で、謎の文字が刻まれた金属を拾った」というご投稿。手のひらサイズの金属はずしりと重く、何やら裏には文字らしきものが…成分分析をもとに専門家に調べてもらうと…驚きの正体が判明!! そして、歴史担当あばれる先生が視聴者投稿コーナーに登場!宮城県にお住まいの視聴者から「私の祖父が『先祖は真田幸村』だと言っているのですが、本当なのか調べて欲しい」という、歴史にまつわる情報をお寄せいただいた。聞けば、ご自宅には幸村と何か関係があるかもと思わせる品が代々受け継がれているそう…約1カ月にわたり、先祖をたどる調査を開始!たどり着いた結末とは!?

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