伊藤喜剛はドーピング疑惑で幻の100m9秒台を記録した短距離選手 爆報!THEフライデー【あの人は今・・・人生激変SP】でその後の人生の転身を
伊藤喜剛(いとうよしたか)はドーピング疑惑で幻の100m9秒台を記録した短距離選手
爆報!THEフライデー【あの人は今・・・人生激変SP】でその後の人生の転身を
目次
爆報!THEフライデー 【あの人は今・・・人生激変SP】
2018年4月6日金曜日放送の爆報!THEフライデー 【あの人は今・・・人生激変SP】で
幻の100m9秒台を記録した短距離選手、伊藤喜剛(いとうよしたか)の現在を追う。
番組予告では
あの人は今…人生激変SP
▽日本初!幻の100m9秒台を記録した元陸上短距離界のエースは今… ドーピング疑惑で人生転落!驚きの職業に転身していた!
となっている。
なぜ、引退に追い込まれたのか、なぜ幻の記録なのか
伊藤喜剛(いとうよしたか)のドーピング疑惑とは
1995年 米国アルバカーキーでの日本代表冬季合宿の中、国際陸上競技連盟の抜き打ち検査で陽性反応となった。
ドーピング(筋力増強剤使用)を問われた。
本人は一貫して否認し続けた。
弁護団を結成し、無実を証明するため睾丸の細胞を手術で摂取するなど潔白を訴えるも
4年間の出場停止処分を課された。(後に罰則規則変更により2年間に短縮)
伊藤喜剛さん「全て自己管理を」=ドーピング否定の元陸上選手 https://t.co/gIvXbG0ZYX
— 時事ドットコム (@jijicom) 2018年1月11日
伊藤喜剛のドーピング疑惑後の復帰
出場停止開けの1998年、復帰第一戦(GP水戸国際陸上)で日本人トップとなり、日本代表(アジア選手権)へ帰り咲く。
しかし、ケガやアクシデントにより、シドニーオリンピックの代表にはなれず、オリンピックの出場は叶わなかった。
座骨神経痛や、練習中にパイクが真っ二つに割れて足の裏に突き刺さる事故に見舞われた。
そして、引退を決意する。
本日は100m、4×100mR元日本代表の伊藤喜剛さんがご来店。
スタッフ升谷の日体大時代の先輩です!日体大のジャージの前でパシャリ。
娘様のオーダースパイクをご注文いただきました。
出来上がりが楽しみです!
ベスト記録が出るように応援しています。?? pic.twitter.com/bWkYbcQYqG— ステップスポーツ町田店 (@step_ss_machida) 2018年2月4日
伊藤喜剛の引退後は転身は
伊藤喜剛の引退後はトレーナーとなる。
2000年~2004年 阪神タイガース井川慶投手(元ヤンキース現オリックス)
2001年~2004年 プロゴルファー三塚優子
の指導をする。
さらに加圧トレーニングなどの資格を取得する。
プロスポーツ選手やトレーナー育成などの指導をしている。
現在は東京・自由が丘で加圧トレーニングジムDEUXオーナーとして活躍している。
猫ひろしさん指導を受けている
今日は自由が丘DEUXさんで加圧トレーニング。伊藤先生にバキバキギンギンに鍛えていただいた!内転筋きわきわ!!
この後駒沢で2000??4本。気失うかと思ったぜ。
涼しくなってきて、少しづつのれてきた。
#加圧トレーニング#自由が丘DEUX#猫ひろし #スピード練習#伊藤喜剛 pic.twitter.com/rpYVC7qhQK— 猫ひろし (@cathiroshi) 2017年10月27日
伊藤喜剛の短距離選手としての記録は
伊藤喜剛のプロフィールは
フルネーム 伊藤喜剛(いとうよしたか)
ラテン文字 Yoshitaka Ito
生年月日 1970年6月23日
年齢 47歳
国籍 日本
種目 短距離走
大学 日本体育大学
出身地 茨城県
1993年 アジア選手権4X100mR 4走で初の代表入り
1994年 アジア大会100mで6位入賞 4X100mRで金メダル
1995年 世界室内陸上競技選手権大会60M準決勝進出
日本選手権100mで代表入り
1995年 世界陸上競技選手権大会に出場 4X100mRで5位入賞
アトランタオリンピックの有力な代表候補だった。
しかし、アメリカの抜き打ちドーピング検査で陽性反応になり
4年間の出場停止になる。
伊藤喜剛の短距離選手としての成績
世界選手権 100m 2次予選5組7着 (1995年)
4x100mR 5位 (1995年)
地域大会決勝 アジア大会
100m 6位 (1994年)
4x100mR 優勝 (1994年)
国内大会決勝 日本選手権
100m 優勝 (1995年)
公式自己ベスト
100m 10秒22 (1995年)