ディオンヌ家の奇跡の5つ子はデフォー医師はよって、父オリヴァ母エルジールから見世物から逃れられた?

ディオンヌ家の奇跡の5つ子はデフォー医師はよって、父オリヴァ母エルジールから見世物から逃れられた?

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ディオンヌ家の奇跡の5つ子誕生をデフォー医師が

1934年5月28日にカナダのオンタリオ州カランダー近郊で

フランス系カナダ人女性のエルジール・ディオンヌは夫のオリヴァ・ディオンヌとの子どもを予定より2ヶ月は早く5人の一卵性の女の子を出産しました。

エルジールには、すでに5人の子供がいました。

医師のアラン・ロイ・デフォーは2ヶ月も早く生まれてしまったこと、5つ子ということで片手で持ててしまうほどの小ささで
生き残れるのかを心配していました。

保育器の無い時代、生まれたばかりのディオンヌ姉妹は、
加熱された毛布にくるまれ、隣人から借りた枝編みバスケットに入れて育てられました。

ストーブで部屋の中を暖かく保ち、一人ずつバスケットから取り出され、オリーブ・オイルでマッサージされました。

最初の24時間は2時間おきに、コーンシロップを加えて甘くした水が与えられました。

2日目にディオンヌ姉妹は少し大きめの洗濯バスケットの中に入れられ、湯たんぽで保温しました。

予断を許されない状態で常に24時間監視し、ミルクやお湯、スプーン2杯分のコーンシロップ、および覚せい作用のあるラム酒1滴または2滴が与えられたといいます。

5つ子は、イヴォンヌ、マリー、アネット、エミリー、セシルと名付けられました。

医師のデフォーは献身的にディオンヌ姉妹を育てました。

父オリヴァ母エルジールがシカゴ万博で見世物に

5つ子誕生のニュースはたちまち広がりました。
トロント大学は生物学・歯学、そのほか身体的検査の見地からディオンヌ家の5つ子の調査をしています。

通常、双子以上の多胎児は2卵性で生まれてくることが多いがディオンヌ姉妹は同じ遺伝形質を有していることから1卵性であることが証明されました。

5つ子以上の多胎児は年間数十件ありますが、1卵性の5つ子は本当にまれだとされています。

5つ子が生まれてしまったことで経済的に困窮することが分かっていた父のオリヴァは、ディオンヌ姉妹が生まれて3日後に契約を締結していしまいます。

シカゴ万国博覧会に半年間「見世物」として観客の前に展示されるという契約でした。

条件は、5000ドル、5つ子はお金になると思ってしまったわけです。

5つ子の親権を2年間を権限を州政府は取得した

ディオンヌ夫妻は、未熟児を遠いシカゴまで行くのは命の危険もあるとして一度は契約したが取りやめたいと思っていました。

しかし、一度契約してしまった興行主が黙っていませんでした。

そこで救世主が出現します。
オンタリオ州政府が人道的見地から見過ごすことが出来ないと

2年間限定で州政府に親権を譲り渡すことでシカゴ万博の契約を無効にさせることにしました。

アメリカ都市に興行ツアーに

シカゴ万博は回避されましたが、2年間限定の親権でした。
5つ子を育てるのにお金がかかること変わりはありません。

そのため、「奇跡の5つ子の両親」として、子供ではなく
自分たち両親がアメリカ各都市を回る興行ツアーを敢行することにしました。

これは「親が我が子を金もうけの道具に利用している」と報道されることになります。
もちろん、オンタリオ州政府は黙ってしませんでした。

「州政府が実質的に両親から親権を剥奪」
「5つ子が18歳になるまで政府と後見人が親権を持つ」

1935年3月「ディオンヌ家の五つ子後見法」
18歳の誕生日まで保護下に置く名目で立法議会

異例の法案が成立して、両親は親権を失うことになります。

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18歳まで州政府が親権を剥奪、後見人はデフォー医師が

ディオンヌ夫妻は州政府によって完全に親権を剥奪されてしまいました。

ディオンヌ姉妹の後見人になったのは、5つ子を懸命に看護した
デフォー医師でした。
世間では、デフォーは奇跡の5つ子を救った医師として賞賛されていたのです。

彼女たちは1935年9月下旬に、生家から道路を挟み、
5つ子姉妹とその新たな保護者が生活するためにデフォーを主任とする病院と保育所が建設され

ディオンヌ姉妹はディオンヌ夫妻の農家から保育所に移住することになりました。

道路を挟んで家があったため、両親や兄弟たちとはたまに交流できていたといいます。

自分が誰であるかを示す色とシンボルを手に持っていて

イヴォンヌの色はピンクでブルーバード
アネットの色は赤でカエデの葉
セシルの色は緑で自分でデザインしたシチメンチョウ
エミリーの色は白でチューリップ
マリーの色は青でテディベア

でした。

私たちはサーカスの中心に住んでいました

強欲な両親から引き離されたおかげで5つ子姉妹は幸せな生活を送っていると思われていたディオンヌ姉妹はでしたが、

「私たちはサーカスの中心に住んでいました」と
ディオンヌ姉妹は語っています。

デフォーは名声に酔い知られていました。

実際はディオンヌ姉妹の一日の生活は厳しく決められていました。
・毎朝姉妹は大きな浴室で一緒に服を着替え自分の髪をカールさせた
・祈りを捧げた後、ゴングが鳴ってから彼女たちは食事部屋で朝食を食べた。
・朝食開始から30分後にはテーブルの上を綺麗にする。
・サンルームで30分間楽器を演奏してから15分間の休憩
・9時にデフォーが朝の検査を行う。
・毎日夕食の前にシャワーを浴びた後にパジャマを着用
・夕食は正確に6時

さらに月ごとに、日中の活動の様々なタイムテーブルが設定されていました。

オンタリオ州の首相がディオンヌ姉妹5つ子を見世物に

オンタリオ州政府は、高い経費を捻出するために観光客やガソリン税を得るために「クイントランド」を建設することにするのでした。

彼女たちの生家から道路を挟み、五つ子姉妹とその新たな保護者が生活するためにデフォーを主任とする病院と保育所が建設されました。

それまで何もなかった田舎町は観光客で溢れます。

一日あたり約6,000人が姉妹の姿を見るために屋外の遊び場を囲む観察ギャラリーを訪問していました。

さらに十分なスペースの駐車場が提供されていました。

父親のオリヴァも保育所の向かいにお土産物品店や委託販売店を作り、このエリアは「クイントランド」と名付けられていました。

要するに人間動物園だったのです。

デフォーの保護下に置かれた10年間で、クイントランドの外に出ることを許されたのはイギリス国王ジョージ6世に会うための1939年のトロントへの旅行のみだった

デフォーは5つ子を金のなる「金の卵」として思うようになってしまうのでした。

「クイントランド」は10年足らずの期間で、オンタリオ州に5億ドルの利益をもたらしたとされます。

ディオンヌ姉妹が帰宅

1943年デフォーが亡くなりました。

1943年11月、18年間の親権を州政府が諦めて9年間の「クイントランド」を終了させ、両親の元にディオンヌ姉妹は戻ることになりました。

家族全員がクイントランドの徒歩圏内に新しく建てられた家に引っ越した。
黄色いレンガ造りの、20室の大邸宅を建造するための費用は「五つ子基金」から支払われました。

しかし、上に5人の兄弟がいて、下にも3人の兄弟もいました。
今まで一緒に暮らしたこともない家族たち。

よそ者扱いされ、兄弟たちとも、両親ともうまくいきませんでした。

親権が戻ることによって両親にとっての5つ子は「金の生る木」になっていったのです。

実の両親に戻っても、愛情はもらえず、商品としてしか扱ってもらえませんでした。

後に1995年に出した本で当時のことを語っています。

父オリヴァに関しては「暴君」として見ていたという。
彼女たちは、10代の時に父から〇的〇待も受けていたというものでした

18歳で家を出る

イヴォンヌ、マリー、アネット、エミリー、セシルはモントリオールの大学に入学するという名目で家を出ることにしました。

しかし、4女のエミリーが20歳の時にてんかんで亡くなってしまいました。

家に戻ってからてんかんを発症していましたが、母が治療を受けさせなかったのでした。

5つ子でなくなったことで、世間から注目は薄れていったといいます。

ディオンヌ姉妹は普通の人生が難しい

21歳で政府の基金を受け取ることができました。
それまで、見世物として生活していたディオンヌ姉妹は
普通の生活することは、想像以上の難しかったという言います。

3女のセシルは結婚し双子を含む5人の子をもうけますが、基金を当てにしていた夫は全く働かず、子どもも小児がんで亡くして7年で離婚してしまいます。

五女のマリーは、基金で花屋さんを開店するも1年で閉店
24歳で結婚し、2人の娘をもうけますが、家事ができず、8年で離婚します。
35歳で血栓症で亡くなってしまいます。

次女アネットは25歳で結婚、3人の息子をもうけ基金で家も建てて幸せな生活を送っていたという。
しかし、16年で離婚。姉妹の絆が強すぎたためと言われている。

長女のイボンヌも、姉妹にしか心を開くことができなかったという。

60歳で3人が同居を始める

60歳になって3人はまた一緒に暮らし始めました。

ある時、セシルの息子の一人が訪ねてきて受け取った基金が少なすぎると言ってきたのでした。

調べ始めるとオンタリオ州の財務記録を発見するのでした。

政府や両親など12億円以上の金額が不正に引き出されていたことがわかりました。

1998年3月オンタリオ州の知事が正式に謝罪3億円を手にすることができました。

2001年長女のイヴォンヌはガンで亡くなりました。
2012年セシルの息子は母の和解金を持って姿を消して、質素な暮らしをすることに。

もう一人のアネットも質素な暮らしをしているという。

お金を手にすると両親、子どもさえも金の亡者になってしまうということなのでしょうか。

育った家は博物館として残っていましたが、閉鎖が決まっていました。
残った2人のセシルとアネットは、博物館を残すようにメディアに出演、場所を移す事になったが博物館は現在もあるそうです。

現在86歳のお二人は子どもたちが愛情を持って育てられるように強く祈っているそうです。

ディオンヌ姉妹 5つ子がアンビリバボーに

2020年7月30日(木)19時57分~21時54分の放送のアンビリバボーは

奇跡体験!アンビリバボー 仰天家族&奇跡の5つ子2時間SP

セクゾ菊池・ゆきぽよ爆笑&驚愕!▽ママの真似っ子赤ちゃん▽パパの隠し芸!あご人形▽奇跡の5つ子としてこの世に生を受けた少女たちの数奇な人生とは…?

番組内容
カナダ・オンタリオ州で、5人の子どもを育てる夫妻に、一卵性の5つ子が誕生。経済的な面で頭を抱えていた父親に、驚くべきオファーが。シカゴ万国博覧会の運営陣が、5つ子を半年間万博に出演させることを条件に5千ドルの契約金を提示。父親は契約書にサインしたが、すなわち“5つ子”は見せ物として観客の前に展示されることに。人道的見地から見過ごせないと動いたのがオンタリオ州の政府だった。州政府は、親権を2年間限定で州政府に譲り渡すことで、シカゴ万博の契約を無効に。5つ子は政府の保護の元、見せ物にされる必要はなくなった。だが、両親は州からの2年間の保護がなくなった後のことを考え、「奇跡の5つ子の両親」としてアメリカ各都市を回る興行ツアーを敢行。“親が我が子を金もうけの道具に利用している”と報道され、「州政府が実質的に両親から親権を剥奪」、「5つ子が18歳になるまで政府と後見人が親権を持つ」という異例の法案が成立。後見人となったのは、生まれた際に5つ子を懸命に看護をしたデフォー医師だった。“強欲な両親から引き離されたおかげで5つ子姉妹は幸せな生活を送っている”世界中がこのニュースに感動し、誰もがそう信じて疑わなかった。しかし実態は全く異なっていた!“5つ子誕生”の奇跡のニュースに一時は世界中が祝福し、5つ子の成長を見守っていたが、5つ子が“お金になる”と分かった途端、大人たちは欲望の渦に飲まれていく。

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