日高邦博の競艇選手日高逸子の主夫で婿になった覚悟

日高邦博の競艇選手日高逸子の主夫で婿になった覚悟

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目次

日高邦博の出身は新潟県

日高邦博さんの旧姓は井上邦博(いのうえくにひろ)さん。
1961年11月2日生まれの新潟県東蒲原郡(現在の阿賀町)出身です。

高校卒業後に製薬卸会社へ就職のため上京しますが、1年半で退職
してしまいます。

ツアーコンダクターになるために、旅行専門学校に入学するためでした。
その東京中野にある旅行専門学校で、後に妻になる日高逸子さんと出会うのでした。

旅行専門学校卒業後は、旅行会社に入社しますが、その後、企画会社に転職します。

一方、日高逸子さんは、1961年10月7日宮崎県都城市の生まれです。井上邦博さんとと同い年です。

両親が離婚したあとは、祖父母に育てられました。
高校卒業後は地元の信用金庫に就職するも1年で退職します。
その後、上京し、製菓学校や旅行専門学校に通います。

邦博さんは、旅行専門学校時代に日高逸子さんに1年で8回くらい
(邦博さんは6回と言っている)「付き合ってくれ」と告白するも実らなかったそうです。
友人が気を使って二人きりにしてくれても何もせずじっとしていたそうとか。

日高逸子さんは、専門学校卒業後、旅行会社や喫茶店で働いたりしていましたが、テレビCMで競艇選手募集を見て受験してしてします。
本栖研修所での訓練を経て晴れて競艇選手として1985年にデビューを果たしました。

日高邦博と日高逸子出会いから競艇選手

地方出身の日高邦博さんと日高逸子さん。。
同じ年で同じように高校卒業後、務めた会社を1年と1年半で退職した二人がその後入学した東京の旅行専門学校で出会いました。

邦博さんの猛アタックにもはじめは友達にしか思えなかったという日高逸子さんもいつしか惹かれていったのでしょう。

しかし、専門学校卒業後はそれぞれ別の道に進みます。
それでもお互いずっと支えあってきたのでしょう。

お二人が結婚したのは、1996年8月8日。
出会ってから15年以上経っています。

日高逸子さんが競艇選手としてデビューしたのが、1985年ですから、11年選手になっていました。

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日高邦博の競艇選手日高逸子の婿に

企画会社勤務の井上邦博さんと競艇選手の日高逸子さんの結婚。

1996年8月8日に入籍します。
日高逸子さんは競艇選手を続けることと姓を「日高」にすることを希望していました。

姓を変えることに邦博さんは了解していたが、邦博さんが長男だったため鈴木家の両親から反対されるのではないかととても気にしていたといいます。
しかし、邦博さんの両親は、「邦博と結婚してくれることに感謝して、姓を変えるのは気にしなくていい」と言われたそうです。

井上邦博から日高邦博と婿になりました。

日高邦博は主夫になる覚悟

結婚した時に新潟にいた日高邦博さんは、そのまま新潟で単身赴任生活で別居婚を選択していまた。

1997年3月7日に長女が産まれ、日高邦博さんは会社を退職して福岡で主夫になる覚悟をします。
主夫になることを決めたのは、一番は子育ての問題だったといいます。

子育てももちろん大変ですが、家事も相当大変だったのではないでしょうか。

生後3か月で競艇選手に復帰してしまった奥さん。

子どもが生まれてから主夫を始めて、家事と育児を一緒にいきなりそれもワンオペでは相当大変だったでしょう。

結婚の条件に日高逸子さんが競艇選手を続けること挙げていて競艇選手は、1か月の大半を競艇場で過ごさなければいけないので、日高逸子さんが子育てをするのは難しかったこと。
そして、お互いの両親は遠かったため、頼むことができなかった。
そして、何より競艇選手として、日高逸子さんは優秀だったために収入は年間3000万円を超えるという日高邦博さんとの格差がありました。

日本ではまだ珍しい主夫になった日高邦博さん。
主夫の立場として様々な活動に参加して、男性の子育ての実践者として執筆活動をしています。
『逸子さん、僕が主夫します!――競艇のグレートマザーに恋して』

講演会やシンポジウムで講師やパネリストで招かれ、新しい家庭の形・子育てについて発信しており、夫婦でテレビや雑誌・新聞に取り上げられる事が多いです。

主夫ブログの人気のようです。

会社員から知らない土地に来てのワンオペ。ご苦労が多く、共感される主婦の人も多いのでは?

今後の父親が子育てする参考になりますよね。

競艇選手としての日高逸子「グレートマザー」

1985年にデビューして本拠は福岡競艇場。

ニックネームは「グレートマザー」。
現在59歳で、競艇現役女子選手として最年長。

1997年3月7日、長女を出産、これを機に夫の邦博は会社を辞め新潟から福岡に移り逸子と同居を開始して主夫となる。
逸子は産後3ヶ月で復帰。

1999年7月5日、次女を出産。産後3ヶ月で復帰。

成績

2002年10月5日、唐津競艇場で通算1000勝達成。
2008年10月3日、下関競艇場で通算1,500勝を達成。
2015年7月9日、通算2,000勝を達成(女子2人目)

通算優勝回数
73回
(2018年10月14日現在、女子王座決定戦及び賞金女王決定戦競走での優勝含む)

G1優勝
女子王座決定戦競走(2005年・大村競艇場)
賞金女王決定戦競走(2014年・住之江競艇場)

SG競走記録
SG出場回数:41回(2019年5月21日現在・女子歴代1位)
同一SG出場:20回(笹川賞・女子歴代1位)
同一SG連続出場:17年連続(2003年~2019年・笹川賞・女子歴代1位)
SG準優出:4回(女子歴代1位タイ)
その他タイトル
JAL女子王座決定戦競走(1989年・多摩川競艇場)
表彰
優秀女子選手(2003年、2005年、2010年、2014年)

日高邦博、日高逸子が逆転人生に出演

逆転人生「荒波こえて挑み続ける 伝説ボートレーサー」
水野美紀が降参!?最高時速80キロ命がけ。女性ボートレーサーのレジェンド登場。愛称は「グレートマザー」男子選手ぶっちぎる実力。波乱万丈の人生支えた専業主夫の夫。

番組内容
主人公はボートレーサーの日高逸子さん。女子選手として2人目の通算2千勝を達成した。今年、還暦を迎えるが強さは健在。後輩選手は尊敬を込めて「妖怪」と称する。その生い立ちは華々しい実績とは対照的。幼い頃に母と生き別れ、貧しい生活。「居場所」がないまま成長した。その後ボートレーサーとなった逸子さんに最高の味方が出現。夫は専業主夫として波乱万丈の人生を支えた。「居場所」を得たことで更なる飛躍を遂げる。

出演者
【司会】山里亮太,杉浦友紀,
【ゲスト】日高逸子,日高邦博,
【出演】水野美紀,吉田敬,
【解説】ボートレースアンバサダー…植木通彦,
【語り】小松由佳,高塚正也

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