テレニン晃子『ゆりちかへママからの伝言』10年経って中学生になったゆりあちゃんが マサカの映像グランプリできる母へのメッセージ

テレニン晃子『ゆりちかへママからの伝言』10年経って中学生になったゆりあちゃんが マサカの映像グランプリできる母へのメッセージ

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目次

テレニン晃子さんが書いた『ゆりちかへママからの伝言』

2007年10月1日発行の『ゆりちかへママからの伝言』

日本テレビの24時間テレビやNEWS ZERO、THE・サンデー、
フジテレビのザ・ベストハウス123

2013年1月26日にはメ~テレ開局50周年記念ドラマとして放送

テレニン晃子さんとは

テレニン晃子(てれにん あきこ)
1972年2月6日 ~ 2008年2月25日 享年36歳

佐賀県唐津市出身
福岡県の西南学院大学卒業

2002年4月1日 ロシア人のテレニン・レオニドさんと結婚
福岡県小郡市に暮らす

2005年の秋に妊娠中に脊髄悪性腫瘍が発覚
2006年2月6日には帝王切開で長女の柚莉亜(ゆりあ)ちゃんを出産
2007年10月1日自身の闘病記と娘へのメッセージを綴った『ゆりちかへ ママからの伝言』を出版

2008年2月25日、硬膜内髄外腫瘍にて福岡県久留米市で死去 36歳

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妊娠中にガンが発見される

2005年、テレニン晃子さんは妊娠する、新しい家族が生まれる幸せに時にガンが発見される。

選択肢は二つ。
赤ちゃんを諦めて、ガンの治療に専念するか
出産まで治療を待ち、出産後にガンの治療をするか
しかしそれは、ガン進行や子供へのリスクを伴う

妊娠中のご主人とのやりとりをこう書いている。

〈ママはパパに約束したの。パパに健康な赤ちゃんをあげるってね。ママ、パパに聞きました。「Do you really want this baby?」パパは泣きながら「Yes.ごめんね。I want both.(ゆりあもママも)」と言いました。パパが泣きくずれるのを見たのは、これが初めてでした〉

テレニン晃子さんのガンとの戦い

テレニン晃子さんは、脊髄のがんだった。
産前に腫瘍を取り除く手術を受けた
産後すぐから放射線治療と抗がん剤治療とを受けた。

ガンは進行し、転移し余命半年と告げられた。

その後自宅療養する事に

ベッドの上で手鏡を持ち、
柚莉亜ちゃんの様子を鏡越しに追っていたという。

その様子を母の青山つや子さんは語る

「晃子は腰に激痛としびれを抱えていて、少し触っただけでも大声で叫んでいたのに、柚莉亜がベッドに乗っかって遊んでいた時は、一言も痛いとは言わなかった。やっぱり母親やね」

テレニン晃子さんの残された時間をできることをしたいと
将来の娘に「本」という形でメッセージを託すことに。

「友達、おしゃれ、恋、〇ックスのことなどを何でも話し合える親友みたいに書き綴った」

それが『ゆりちかへママからの伝言』になった。

マサカの映像グランプリで放送

2018年6月6日放送のマサカの映像グランプリ

あれから10年経った、テレニン晃子さんの娘、柚莉亜(ゆりあ)ちゃんは12歳になった。

天国のお母さんに感謝の思いを初告白。

母がいない寂しさは小さい頃からあっただろう。
思春期12歳の時にはもっと強く感じるだろう。

現在、12歳になった柚莉亜(ゆりあ)ちゃん母に対する思いは?

ゆりちかへ ママからの伝言 (幻冬舎文庫)
ゆりちかへ ママからの伝言 (幻冬舎文庫)

テレビドラマ版「ゆりちかへ ママからの伝言」

名古屋テレビ放送開局50周年特別ドラマ。

2013年1月26日(土曜)の21:00-23:06
名古屋テレビ放送開局50周年特別ドラマとしてテレビ朝日系列で放映された。

原作では福岡県小郡市である舞台が、
テレビドラマでは神奈川県小田原市になっている。

キャスト
小山田晃子 常盤貴子
小山田亮太 田辺誠一
中井美津子(晃子の母) 十朱幸代
中井裕子(晃子の妹)  中村ゆり
村田和江(出版社編集者・原作クレジットの「田島安江」にあたる) 片平なぎさ
内田真人(小田原総合病院外科医、晃子の主治医) 柴俊夫
山口肇(美津子の友達) 泉谷しげる

小山田柚莉亜 中島夢乃(乳児期)、篠原ことみ(幼少期)、横溝菜帆(幼少期)、庵原涼香(小学生)

大谷みつほ、柊子、森郁月、西野亮廣、佐藤裕二、鈴木しおり
真白リョウ、植田浩二、西川瑞、浜崎堅太、杉山一士

スタッフ
原作 テレニン晃子「ゆりちかへ ママからの伝言」、
田島安江 「もう一冊のゆりちかへ~テレニン晃子さんとの日々」
脚本  吉澤智子
監督  若松節朗
音楽  住友紀人
主題歌 Hilcrhyme「想送歌」

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