細野正文タイタニック生存者は細野晴臣の祖父でたった一人の日本人乗客

細野正文タイタニック生存者は細野晴臣の祖父でたった一人の日本人乗客

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目次

細野正文(ほそのまさぶみ)はタイタニック号日本人唯一の乗客

1912年、当時世界最大の客船だったタイタニック号は、
2240人を乗せ、4月14日23時40分に氷山に衝突し、2時間40分後の4月15日2時20分に沈没しました。
1513人の尊い命が失われ、当時海難事故最大の被害者の数でした。
タイタニック号に唯一乗っていた日本人が細野正文さんでした。
細野正文さんは、当時41歳で鉄道院副参事を務めていていました。(現在の国土交通省官房技術参事官に相当のような役にあたるとみられています。)

細野正文さんは、第1回、鉄道院在外研究員として2年間ロシア・サンクトぺルブルク留学していました。
留学が終わり、知人のいるイギリスに寄ってタイタニック号に乗船し、ニューヨーク経由で帰国することにしていたそうです。

細野晴臣は細野正文の孫でミュージシャン

細野晴臣さんは、タイタニック号に乗っていた唯一の日本人の細野正文さんのお孫さんだったのです。

細野正文さんは、細野晴臣さんが生まれる前の1939年に68歳で亡くなっているので、会うことはできなかったのです。

細野晴臣さんは、日本を代表するミュージシャンです。
1947年7月9日生まれで2021年で74歳になります。

1969年、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂で「はっぴいえんど」を結成して、日本語ロックの礎を築きました。

1973年のはっぴいえんど解散後、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆とキャラメル・ママ(のちにティン・パン・アレー)を結成し、荒井由実(松任谷由実)のプロデュースも行いました。

1978年、高橋幸宏と坂本龍一と細野晴臣でイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) を結成して、シンセサイザー・コンピュータを用いた音楽を衝撃的なデビューをしました。

アイドルなど多数に楽曲を提供して、常に新しい音楽を作りだした第一人者です。

さらにダンスミュージック、ビデオ・ゲーム・ミュージックなどの音楽ジャンルを確立するきっかけを作ったのも細野晴臣さん達といえます。
テクノポップもY.M.O.で大ヒット世界からも賞賛を浴びています。Y.M.O.がいなかったら、perfumeも生まれていないかもですね。

細野晴臣さんは、いわゆるお坊ちゃまといえるでしょう。
父方の祖父は鉄道官僚でロシアに留学しています。
母方の祖父はピアノ調律師、叔母が外資系の映画会社勤務。
港区立白銀小学校、港区立青山中学校、立教高校、立教大学という学歴の持ち主です。

小さい頃からポピュラー音楽に親しみ、中学校でロックに興味を持ち、大学時代にベースをはじめ、ベーシストとしてメジャーデビューしています。

細野正文はタイタニック号生還後誹謗中傷を受けていた

細野晴臣さんが小学校3年生の時、タイタニックの映画『SOSタイタニック/忘れえぬ夜』(1958年)を両親に見に連れて行かれたそうです。

映画を見た帰りに、細野晴臣さんの父が「タイタニックにおじいさんが乗っていた」と聞かされたそうです。

細野正文さんは、お子さんたちにもタイタニック号の話はほとんどしなかったそうです。

その後、高校生になった細野晴臣さんは、おじいさんが誹謗中傷を受けていたことを雑誌で知ることになります。

1912年のタイタニック号沈没事件は、当時でも大きなニュースになりました。

タイタニック号の乗客は、2240人。
救命ボートの定員は、68名。定員いっぱいに乗っても、1360名しか乗れません。
全員が乗れる救命ボートがなかったのでした。

そのため、女性と子どもを優先して救命ボートに乗せるように指示が出ました。

浸水してから、2時間40分で沈没してしまうほど早かったため、
現場は混乱して、はじめの方は定員いっぱいになる前に降ろしてしまったに救命ボートが多くありました。

一番亡くなった人が多かったのが二等船室の男性乗客で92%の方が犠牲になりました。
そして、細野正文さんは、8%の人だったわけです。
九死に一生を得て生還しながら、その後は長く誹謗中傷にさらされてしまったそうです。

さらに1912年にタイタニック号の生還者の一人のイギリス人ローレンス・ビーズリーが
「他人を押しのけて救命ボート(13号ボート)に乗った嫌な日本人がいた」と証言したことが日本国内で広まってしまったそうです。
細野正文さんは、その中傷のせいか、鉄道院の役職を解かれてしまったそうです。

細野晴臣さんのお父さんは、細野正文さんが生還されてから生まれているので、生還しなければ、細野晴臣さんはこの世にはいなかったことになります。

細野正文さんの名誉回復を叔父が翻弄

「他人を押しのけて救命ボート(13号ボート)に乗った嫌な日本人がいた」という証言は、細野正文さんはではなく人違いだったということがわかるのは、1997年でした。

細野正文さん自身は、生前、タイタニック号のことはほとんど語らなかったそうです。

細野正文さんが亡くなった後、細野晴臣さんの叔父さんの細野日出男さんが1942年に遺品の中からタイタニックが沈んだ4月14日の夜から、救助されてニューヨークに送り届けられる18日までのことがタイタニックの船室にあった便箋に書き綴られているのを発見したのでした。

その手記を読むと卑劣な態度はしていないことがわかったそうです。そのため、叔父さんは、汚名返上に翻弄しますが、戦中戦後だっため、叶わなかったそうです。

その時の手記がこちらでした。

ふと舷側を見ると今や最後のボート卸ろされるところで中には45人分の女子供が乗って居たが、スルスルと1ヤードか2ヤード程卸した。ところが何か滑車に故障があったと見えてピタリと止まった。ふと聞くともなしに聞くと『何にまだまだ3人位ゆっくり乗れるじゃないか』と船員同士の話声がした。私は立ち止った。すると私の側に居った一人の船員がヒラリとばかりにボートに飛び下りた。見るとボートは元の儘、舳のところが空いて誰も居ない。これなら飛込んでも誰れにも危害を与えまいと思ったので、いきなり飛び下りた。

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アカデミー賞のデカプリオ主演映画タイタニックの取材で明らかに

1997年、ジェームスキャメロン監督がデカプリオ主演の「タイタニック」を撮りました。
アカデミー賞総なめの大ヒット作品でした。

映画公開に合わせて「タイタニック財団(RMSタイタニック社)が調査に日本にも来たそうです。

そして、細野晴臣さんは、おじいさんの手記を貸しました。
その調査によって、新たな事実がいろいろわかったそうです。
(その後手記が戻るまで、細野晴臣さんさんはかなり奔走したそうです。)

以前は、細野正文さんは、どの救命ボートに乗っていたのかわかっていませんでした。

しかし、RMSタイタニック社の調査で、細野正文さんは、10番ボートに乗っていたことが判明したのでした。

10番ボートには、アルメニア人の男が2人乗っていたとされていましたが、後のアルメニア人が日本人と一緒にボートを漕いだと書いていたことがわかったのでした。

当時のヨーロッパ人は、東洋人の区別がつかず、13番ボートの東洋人を日本人と言われてしまったようでした。
(のちに中国人と判明)

その調査結果は当時、細野正文さんの手記とともに新聞や雑誌で取り上げられたそうです。
細野正文さんの汚名返上が出来た瞬間でした。

1997年のことですから、事故が起こって85年、細野正文さんが亡くなって58年後のことでした。

当時のことを細野晴臣さんは、
「僕ばかりでなく、親戚一同が「ああこれで終わった」と皆が一堂に会してお祝いをしましたよ。」

と言っています。なんと長かったことでしょう。

最後まで演奏を続けたミュージシャン

細野晴臣さんは、2012年タイタニック号沈没事故犠牲者の共同墓地があるカナダのハリファックスを訪れました。

大西洋海洋博物館に展示されている乗船名簿に祖父の名を見つけました。
「M.Hasonoと書かれていた(本当はM.Hosono)

2012年はタイタニック号が沈没して100年の年でした。

同じミュージシャンとしてタイタニック号沈没まで演奏していて犠牲になった8人の音楽家のことが気になっていたそうです。

そのうち3人は、この港町の人々によって引き揚げられて葬られたそうです。
映画でもずっと弾いていたシーンは印象的でした。

今の日本の音楽界を作ったと言っていい細野晴臣さんにとってタイタニック号、ミュージシャンの存在はとても大きいものなのですね。

細野正文がワールド極限ミステリーに

2021年2月3日(水)20:00~21:57放送のワールド極限ミステリーは
ワールド極限ミステリー★タイタニック沈没…日本人生存者が!隠された家族の物語★

番組内容
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