「仙台えだまめプロジェクト」ブランド化でずんだ文化を!生産量増加で萩の月の菓匠三全も
「仙台えだまめプロジェクト」ブランド化でずんだ文化を!生産量増加で萩の月の菓匠三全も
目次
「仙台えだまめプロジェクト」とは
これまで、JA全農みやぎが中心となって、「仙台えだまめ」どブランド化して、販売する取り組みをしていきました。
まず、宮城県の5つの市と町で収穫された枝豆(仙台、登米、大崎、大和、大郷)の宮城県産の枝豆を「仙台えだまめ」としてブランド化する。
地元の生産者や小売り、食品関連企業、県が連携して生産と消費の拡大を図ることを目指してきました。
2021年6月15日に「仙台えだまめプロジェクト」を立ち上げたことによってこれまでは、仙台市内の居酒屋やスーパーに限られていた販売先を拡大するために、県内に広げて連携して行うことにしました。
大豆を未成熟に収穫したもが枝豆です。
大豆製品が好む日本人なのに、国産大豆はとても少ないのです。
仙台枝豆ずんだ文化
宮城県には「ずんだ」という食文化があります。
えだまめを潰して、ペーストにしたものを「ずんだ」と呼びます。
砂糖とまぜた「あん」をお餅に和えて「ずんだ餅」という地元の季節料理で旬の時期は、「仙台七夕」とも重なり、仙台の郷土料理として知られています。
仙台では、郷土食として「ナスのずんだ和え」と甘くない料理もあります。
(その他ずんだは、北東北南部の秋田県・横手盆地や岩手県南部、南東北の宮城県・山形県・福島県、および、北関東の栃木県北西部でも作られています。)
最近では、和菓子だけでなく洋菓子にも使われて「ずんだスイーツ」としていろいろなスイーツに使われるようになりました。
マツコ・デラックスさんが、月曜から夜ふかしで、仙台に行った時には必ず「ずんだシェイク」を飲むという、あまりに美味しくて4杯飲んだと発言したことから、全国的に話題になりました。
日本の大豆の自給率と生産県は
日本の大豆の消費量は、約357万トン(平成29年度)
243万トンが精油に、残りのうち99万トンが味噌、豆腐、納豆、醤油などの食品用になっています。
平成30年の国産大豆は24万5千トン、ほぼ食品用として使われています。
大豆の日本の自給率はたった7%しかありません。
日本では、味噌、しょうゆ、豆腐に納豆と大豆を使った伝統の食品が多いのに、材料の大豆はほぼ、輸入に頼っているのが、現状です。
日本での大豆の作付面積は
(2020年度)
1位 北海道
2位 宮城
3位 秋田
4位 福岡
5位 佐賀
6位 滋賀
7位 山形
8位 青森
9位 愛知
10位 富山
2019年度では、宮城県は、全国10位で296ヘクタールでした。
2020年度は、1万800ヘクタールまで上がっています。
仙台えだまめをブランド化するために、地産地消を目指して、県の各企業が協力しています。
仙台えだまめプロジェクト
まず、仙台えだまめを生産するところからプロジェクトは始まります。
生産者側は仙台、登米、大崎、大和、大郷5市町の法人や個人が参加しえ、作付面積約16ヘクタール、収穫量約80トンのうち出荷量約48トンを見込んでいます。
作られた一部の枝豆は、学校給食用・業務用食材を手掛けるマルヒ食品(大崎市)がむき豆に加工。
菓子製造販売の菓匠三全(仙台市)、水産加工の白謙蒲鉾(かまぼこ)店(石巻市)にサンプルを提供し、枝豆を原料とした新商品開発を目指します。
「仙台えだまめ」は、7月中旬から販売される予定だそうで、どこで買えるのかは、発表になっていません。
やはり、宮城県内だけなのでしょうか。
枝豆を成長させた大豆は種として、次の年の枝豆になるのです。
菓匠三全は仙台の「萩の月」の老舗銘菓
仙台えだまめプロジェクトに参加している企業に菓子製造販売の「菓匠三全」という菓子メーカーがあります。
仙台銘菓「萩の月」を作っているのが「菓匠三全」です。
その他、世界の食品コンクール「モンドセレクション」において、『ロワイヤルテラッセ』『ら・ふらんす』も金賞を受賞しています。
その「菓匠三全」がずんだスイーツの専門店「ずんだ茶寮」を立ち上げました。
そう、マツコさんが絶賛した「ずんだシェイク」は「菓匠三全」さんが作ったものでした。
「菓匠三全」さんにはこだわりがあって、仙台に来た時のおみやげに買ってもらうために他の土地では売らないというものでした。
実際に、「菓匠三全」の店舗はほとんど宮城県内です。
東北の3県(岩手、福島、山形)に1店舗ずつあるものの、地元愛の強さを感じます。
しかし、「ずんだシェイク」だけは、東京と大丸さんにあるのです。マツコさんの影響は大きいですね。
「菓匠三全」の歴史は
「菓匠三全」は1947年宮城県刈田郡蔵王町に「田中飴屋」として創業しました。
2020年に社長が変わりました。
田中裕人さんの息子さん田中秀史さんがの2020年に引き継ぎ現社長になりました。
仙台銘菓「萩の月」を全国区にしたのは、田中裕人さんの手腕です。自ら仙台空港に通い、JAL機内のお茶菓子に採用されたことがきっかけでした。
田中裕人さんとはどんな人かというと
略 歴
1941年 北海道夕張市に生まれる
1985年 (株)菓匠三全 専務取締役に就任
1994年 (株)菓匠三全 社長に就任
2020年 (株)菓匠三全 代表取締役会長に就任
在学中より家業を手伝い、卒業入社後は創業者である父を助け、現在の「菓匠三全」発展の原動力となる。
「伊達絵巻」や「萩の月」は、業界での画期的商品として注目を受ています。
創業者と三菱ガス化学との研究の成果で脱酸素剤を最初に食品に使ったのがこの『萩の月』だそうです。
2020年に息子の田中秀史さんが3代目の新社長に就任しました。
「仙台えだまめ」「菓匠三全」のこれからも目が離せません。