クリスマスの約束の場所は?財津和夫がナレーション?!出演者やセットリストは?古希の小田和正の17回目のクリスマスライブ

クリスマスの約束の場所は?財津和夫がナレーション?!出演者やセットリストは?古希の小田和正の17回目のクリスマスライブ

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目次

「クリスマスの約束」は17回目

放送時間
『クリスマスの約束 2017』(TBS系列)
12月25日(月)深夜23 :40~25:25放送

クリスマスの約束とは
小田和正によるクリスマス恒例のコラボレーションライブ番組

「アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬する」がコンセプト

“放送業界屈指の音楽特番”と言われる
ギャラクシー賞を2度受賞
放送文化基金優秀賞を受賞

2001年の放送開始以来、深夜なのに常に高視聴率している。

今年7月に大腸がんの手術を終え、退院したことを報告したバンド「チューリップ」のリーダーでシンガー・ソングライターの財津和夫さん69歳が番組ナレーションを務めることも話題になっている

クリスマスの約束の場所は

今回17回目の「クリスマスの約束」の会場となったのは

千葉市内にある千葉ポートアリーナ

〒260-0025 千葉県千葉市中央区問屋町1?20

15年は横浜赤レンガ倉庫1号館
16年は赤坂BLITZ
約400人収容のライブハウスが会場だった
今年は、古希を迎えた小田を盛大にお祝いしようと、
4万通を超える延べ10万人の応募の中から選ばれた3,000人の観客
と共に千葉ポートアリーナで開催

小田さんは「会場が広いからさ、お客さん来るのかなぁとか思ったりして」
とちょっと心配していたようだ。
10万人からの3000人なんてラッキーな方たちだっただろう。

タイムスケジュール

23:40 「言葉にできない」ピアノソロ
23:45 「They Long To Be」 JUJU 松たか子
委員会バンドステージタイム
委員会バンド
スキマスイッチ(大橋卓弥、常田真太郎)、根本 要、水野良樹、小田和正
23:57 ムッシュメドレー「あの時君は若かった」「我がよき友よ」「ノー・ノー・ボーイ」「バン・バン・バン」「どうにかなるさ」
0:03 「Yes-No」 委員会バンド
0:11 「You’ve Got A Friend」 (忌野清志郎が訳詞)

熊木杏里タイム
0:18 「新しい私になって」
→→熊木杏里 資生堂のCM曲「新しい私になって」をクリスマスの約束で小田和正と歌う「君面白いね」と言わせた天然?どんな人なのか?結婚や子供はいるの

和田唱
0:29 映画メドレー
「Tonight」(ウエストサイド物語)
「 White Christmas」「moon river」(ティファニーで朝食をを)
「Raindrops Keep Fallin’ On My Head(雨にぬれても)」(明日に向かって撃て)
「Chim Chim Cher-ee」(メリーポピンズ)
「My Favorite Things」(サウンドオブミュージック)
「Live And Let Die」(007 死ぬのは奴らだ」
「 When You Wish Upon a Star(星に願いを)」(ピノキオ)
0:42 「FEVER」

JUJUタイム
0:50 「あなたがくれたもの

ソロ(ピアノ)
1:01 「手紙にかえて」

松たか子タイム
1:10 「歌を捧げて」

最後の曲 全員
1:15「Danny Boy」

1:21「the flag」(天に召されたスタッフに捧ぐ)

「クリスマスの約束」の出演者

小田和正

ゲスト(50音順 )
熊木杏里(初参加)
UJU
スキマスイッチ(大橋卓弥、常田真太郎)
根本 要(STARDUST REVUE)
松 たか子
水野良樹(いきものがかり)
和田唱(TRICERATOPS)

演奏者

通称“委員会バンド”(小田が命名)

メンバーは、小田和正、スキマスイッチ、根本要、水野良樹

バンドメンバー
木村万作(ドラム&パーカッション)
栗尾直樹(キーボード)
稲葉政裕(ギター)
有賀啓雄(ベース)

ストリングス
金原千恵子(ファーストバイオリン)
吉田翔平(セカンドバイオリン)
徳高真奈美(ヴィオラ)
堀沢真己(チェロ)

ナレーション
財津和夫

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クリスマスの約束2017のみどころ

ムッシュメドレー

2017年3月1日に亡くなった
ムッシュかまやつの名曲をメドレーで
「あの時君は若かった」「我が良き友よ」「どうにかなるさ」などムッシュが出演した当時の映像も流れた。
小田さんにとって少ない交流のあった尊敬できる先輩だったと
紹介していたが、ムッシュは初めてのあった時に小田さんに無視されたと言っていた。

JUJU、松たか子、和田唱は小田と共にカーペンターズの名曲を披露
JUJU、小田和正プロデュース楽曲「あなたがくれたもの」初披露!

セットリストは

どんな人とどんな人がどんな曲を歌うのか

TBSのHPの「みどころ」によると

小田和正が贈る17回目のクリスマス・ライブ!
古希を迎えた小田が奇跡の歌声を惜しみなく披露
ゲストアーティストたちと共に名曲の数々をお届けする!!

シンガーソングライター・小田和正による、クリスマス恒例のTBSのコラボレーションライブ番組『クリスマスの約束』。
今年は12月25日(月)深夜23時40分から放送する。
2001年の放送開始以来、深夜帯にもかかわらず常に高視聴率をマーク。これまで2度にわたりギャラクシー賞月間賞を受賞、さらに放送文化基金優秀賞を受賞するなど、「放送業界屈指の音楽特番」と称するに値する番組の一つと言われている『クリスマスの約束』。
17回目となる今年は、千葉市内にある千葉ポートアリーナでお届け。古希を迎えた小田を盛大にお祝いしようと、4万通を超える延べ10万人の応募の中から選ばれた3000人の観客が、小田をはじめ豪華アーティストたちの奏でる名曲に酔いしれた。
「アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬する」という共通の思いで、小田と共に番組を支え続ける仲間たち、“委員会バンド”(小田が命名。メンバーは、小田、スキマスイッチ、根本要、水野良樹)は、今年3月1日に逝去したムッシュかまやつを偲び「あの時君は若かった」「我が良き友よ」「どうにかなるさ」など名曲をメドレーで披露。JUJU、松たか子、和田唱は小田と共にカーペンターズの名曲を披露するほか、それぞれ思い入れのある楽曲を小田と共にお届けする。このほか和田は、小田と選んだという 映画音楽メドレーを、観客とのコーラスと共に披露し、その場を楽しんでいた。
さらに、シンガーソングライター・熊木杏里が番組初登場! 『クリスマスの約束』を番組スタート当初から見ていたという熊木は、小田のギター伴奏でのびのびと楽曲を披露する。
「70歳を超えてもなお、素晴らしい楽曲を制作し、披露し続ける小田さんこそが奇跡!」と番組プロデューサーが収録冒頭で語った通り、小田の曲を惜しみなく披露した今年の『クリスマスの約束』、ぜひお楽しみください。

スタッフ
製作著作:
TBS

制作協力:
TBSビジョン

プロデューサー:
阿部龍二郎
服部英司

演出:
柴田猛司

小田和正のプロフィールは

出生名   小田 和正
生誕    1947年9月20日(70歳)
出身地   神奈川県横浜市金沢区
身長    172cm
血液型   A型
学歴    聖光学院中学校・高等学校卒業
東北大学工学部建築学科卒業
早稲田大学大学院理工学研究科修了
ジャンル J-POP AOR ニューミュージック
職業    シンガーソングライター、音楽プロデューサー
担当楽器  ボーカル、キーボード、ギター
活動期間  1970年 –
元オフコースのリーダー
レーベル  ファンハウス(1986年 – 1999年)
BMG JAPAN(BMGファンハウス)(1999年 – 2009年)
アリオラジャパン/Little Tokyo(2009年 – )
事務所 ファー・イースト・クラブ

株式会社ファー・イースト・クラブ (FAR EAST CLUB INC.) 代表取締役社長

金沢文庫すずらん通り商店街にある小田薬局の次男
兄は家業を継ぎ薬剤師となり小田薬局の店長を務める
日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職を歴任
幼少期はヴァイオリンを習っていた。

オフコースとして活動

高校受験のための学習塾に通う電車の中で鈴木康博と運命の出会い。
全国でも有数の進学校である聖光学院の学園祭「聖光祭」で
鈴木康博、地主道夫、須藤尊史の4人で演奏を披露

大学はそれぞれ、バラバラに
小田は地主とともに東北大学
須藤は横浜市立大学
鈴木は東京工業大学
仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続ける。

1969年 「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場
東北地区を1位で通過、全国大会に進出

全国大会では1位は赤い鳥、オフコースは2位
(強敵のフォー・シンガーズには財津和夫が所属)
小田さんと財津和夫さんは大学生の頃からのライバル?
知り合いだった。

2位になったことでプロへに道に

2位では終われないとプロに進もうと思いつつも建築家への道も捨てられず、1971年早稲田大学大学院に進学、建築の研究も続ける。
1976年大学院修了時には音楽の道への心を決める

オフコースのメンバーはいろいろ変わったが
1972年より小田、鈴木の2人構成となっている。
(後に清水仁、大間ジロー、松尾一彦を加えた5人に)
1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループ
ヒット曲は「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」など
1989年まで活動

ソロとして活動

1986年に初めてのソロシングル「1985」
1991年、フジテレビ月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌
「ラブ・ストーリーは突然に」は大ヒット
「オリコンシングルチャート第1位」と「シングルミリオンセラー突破」(オフコース時代にはできなかった)

2008年11月、京急本線金沢文庫駅の駅メロに「my home town」

2011年から2012年にかけて、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を開催。
約74万人を動員し、自己記録を超え、国内ソロアーティスト歴代最多動員数記録を更新

タモリさんとの確執

タモリさんが笑っていいともで
オフコースが嫌いと言っていた。
そして、タモリさんは当時ゴルフも嫌いだった。

「男なのに、高い声でキレイに歌うのがあまり好きでない。なよなよした男は嫌いだ」
といい
「あんな、小さい穴の中にボールを入れるだけのスポーツ
そのために朝5時頃からいそいそ出かける気持ちがわからない」
とゴルフも全否定していた。

オフコースは、当時、ツアーしながらゴルフ三昧の生活をしていたのは有名だった。
確執というより、タモリさんが一方的にキライと公言していたのだ。

その後、ゴルフを始めたタモリさんはゴルフに夢中になった。

そして、「オフコースがなよなよしているなんてとんでもない」
ということに気づいた。

「むしろとんでもない体力の持ち主だ
すごく鍛えていないとそんな生活はできない」
「何時間もライブやった次の日に朝早くゴルフに行くなんて
普通はできない。それを毎回やっているなんて・・。」

尊敬しているとまで後に言っていた。

その基礎体力を持っているから
70歳になっても、ツアーを続けられるのかもしれない。

長年培った、ツアーとゴルフ体力で
今後の活動もまだまだ続くと思える

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