遠藤正己「寉峯」駒師66歳の新星が竜王戦に!大澤建夫「富月」に59歳から
遠藤正己「寉峯(かくほう)」駒師66歳の新星が竜王戦に!大澤建夫「富月(ふげつ)」に59歳から
【#逆転人生】
▽20日(月) 午後10:00〔総合〕主人公は「駒師」#遠藤正己 さん。
40代で職を転々とし、59歳で始めた将棋の駒づくり。
わずか数年で、将棋界最高の舞台であるタイトル戦に自作の駒が採用されるまでに。人生終盤に輝くヒントとは?
#武田真治 #丘みどりhttps://t.co/9TB237I4TD— NHK大阪放送局 (@nhk_osaka_JOBK) July 17, 2020
目次
遠藤正己「寉峯(かくほう)」は66歳の新星が竜王戦に
2018年11月 将棋のタイトル戦「竜王戦」の第3局で遠藤正己さんの駒が使わました。
山梨県の66歳の遠藤正己さんは、「寉峯(かくほう)」とう名前で駒師をしている人です。
59歳から駒師になり、たった7年、66歳で竜王戦で寉峯の駒が使われたことが「66歳の新星」と話題になりました。
将棋のタイトル戦で、自分の駒が使われることは駒師にとってこれ以上ない栄誉なことです。
竜王戦は名人戦と並んで最高峰のタイトルなのでさらに名誉なことと言えます。
タイトル戦で駒師の寉峯が使われるまで
タイトル戦では、将棋連盟所有の駒や、会場となる老舗旅館が所有している駒、地元の名士が所有している駒などが使われることが多いそうです。
タイトル戦で使う駒は対局する2人の棋士がいくつかの候補を手に取って両者の話し合いで決め、それを「検分」と言います。
駒を作り始めて3年目、大澤建夫さん「富月(ふげつ」の紹介で
日本将棋連盟(東京・渋谷区千駄ヶ谷)の売店に遠藤正己さんの駒「寉峯」を置いてもらえることなりました。
2018年11月の竜王戦の時には、将棋連盟の方から
「駒を作ってみて下さい」と遠藤さんに声がかかって、
遠藤さんは2組作って納めました。
2018年11月の竜王戦第3局は、鹿島神宮で行われ、
羽生善治さん(当時、竜王)と広瀬章人さん(当時、八段)の戦いでした。
将棋の駒を決める「検分」は2組の駒から選ばれることに。
するとその2組の駒は、両方とも遠藤正己さんの駒だったそうです。
それを見た時に遠藤正己さんは驚きと喜びで
「どっちが選ばれてもオレの駒だ!」と思ったそうです。
59歳で遠藤正己は大澤建夫から駒師に勧められる
59歳のある日、遠藤正己さんは、静岡県富士宮市を拠点とする将棋駒製作のグループ「富士駒の会」が展示即売会と駒彫りの実演をすると知り見に行きました。
会場には、メンバーが制作した将棋駒が100セットほど並んでいたそうです。
素人には、1.2時間眺めてもどれがいいものかわからなかったそうです。
そこで大澤建夫さんに声をかけられたそうです。
「どれかいい駒はありましたか?」
それに対して遠藤正己さんは
「いやあ、どれも素晴らしくて甲乙つけがたいですね」と答えると
「気に入ったのがなければ、自分で作ってみればいいじゃないですか。私がちゃんと教えますよ」
と大澤建夫さんは言ってくれたそうです。
10万円の投資で始められた駒師。
駒師の道具は彫刻刀1本とサンドペーパー
お店を始める事を考えたら100分の1で済みます。
ものになれば、ラッキー。
ならなければ、表札彫りのアルバイトくらいはできるじゃないかと重く受け止めずに始めたそうです。
大澤建夫は「富月(ふげつ)」の駒師
大澤建夫さんは、富士駒の会でメンバーを指導しています。
駒師の大澤さんもまた、トラックの運転手や歯科技工士など、いろいろな仕事を経たのちにたどり着いたお仕事だったそうです。
山形県天童市の駒師のもとで修業をし「富月(ふげつ)」という雅号で駒師をされている人でした。
将棋駒は大きく分けて4種類
「書き駒」
いちばん安価なのはベースとなる木地(きじ)に直接字を書く。
「彫り駒」
次が文字を彫刻刀で彫って漆で色を塗る。これは中級品。
「彫り埋め駒」
その次がといって、字を彫った溝に漆(うるし)を埋めて平らにしたもの。これは高級品。
「盛り上げ駒」
そして最高級は、彫り埋め駒の上にさらに漆を盛って文字を浮き上がらせる。これを作るには、高度な技術が必要だそうです。
駒師はみんな「盛り上げ駒」をやりたいと思うそうです。
しかし、挑戦して挫折する人がとても多いのも事実だとか。
遠藤正己さんは、「盛り上げ駒」だけを作るとても珍しい駒師さんだそうです。
ひと組作るのに、約2ヶ月かかるそうです。
ひと組は、20個×2人分で40個になります。
プロ棋士の条件とタイトル戦は
現在、プロの世界では、現役、引退合わせて約200名の棋士がいます。現在は男性のみ、女性も可能ではある。
奨励会という棋士養成機関に入る。
(一定以下の年齢で、プロ棋士の推薦を受けた人のみが受験できる)
階級は6級から三段(成績によって上がっていく)
三段になると年2回の三段リーグを行う上位2名が四段に
四段から正式なプロ棋士となります。
プロ棋士になると、各プロ棋戦に出ることができます。
将棋のタイトル戦
竜王戦
名人戦
叡王戦
王位戦
王座戦
棋王戦
王将戦
棋聖戦
があります。なので現在タイトル保持者をそれぞれ
「○○竜王」
「○○名人」
「○○叡王」
「○○王位」
「○○王座」
「○○棋王」
「○○王将」
「○○棋聖」と呼ばれます。
そのタイトル保持者に、約1年のトーナメント戦かリーグ戦でタイトル挑戦者を決定します。
タイトル保持者の竜王と挑戦者の間で7番勝負か5番勝負で勝ち越した方がタイトル保持者となります。
さらにランキングがあって成績によって1年に1回成績上位者は昇級、成績下位者は降級する挑戦権争い以外にも厳しい戦いがあります。
最近は藤井聡太棋士の最年少記録でよくニュースになっているので聞き覚えがあるタイトルがあります。
藤井聡太七段は最年少でタイトルを獲得するのでは?と
話題になっています。
タイトルを取るためには、まず挑戦権を獲得しなければなりません。それもとても大変なことですが、藤井聡太七段は、棋聖戦と王位戦の挑戦権を取っています。
そして、棋聖戦第4局で勝利して第91期棋聖戦のタイトルを取りました。その記録が17歳11ヶ月で最年少記録の更新となりました。
王位戦は第2局まで終わって藤井聡太七段の2連勝です。
7番勝負なので4勝した方がタイトル獲得です。
こちらも目が離せませんね。
遠藤正己が駒師になる前は
遠藤正己さんは、1952年東京で生まれ、
すぐに山梨に移住し高校まで過ごしますが、
公務員のお父さんの仕事の都合で、山梨県内で引っ越しを何度も繰り返したそうです。
高校を卒業すると上京して、パブでアルバイトをするうちに
飲食業で将来は自分の持ちたいという夢を持つようになります。
芸能プロダクションの社長と知り合い、ギターの弾き語りに転身します。
全国各地を回り、秋田のお店でお客の女性に一目惚れ。
結婚して2人の子供が生まれます。
29歳の時、3人目のお子さんを奥さんが身ごもった時に
ギターの弾き語りのお仕事を辞めて実家がある山梨県に戻ってきます。
サラリーマンとして自動車販売店の営業を2年したのち、
以前からの夢であった居酒屋をオープンします。
店の名前は「龍」だったそうです。
「龍」は売り上げも順調で繁盛していました。
悲劇が起こったのは44歳の時でした。
最愛の奥さんが交通事故で亡くなってしまいました。
その時のことを遠藤正己さんは
「不思議なもので、それまでは本当に何でも思うように全部動いていたのが、歯車が狂ったように何をやってもだめになりました。それからの15年は泥沼でした」
「龍」は赤字続きで2年後には閉店してしまいました。
その後は仕事を転々とします。
スーパーの総菜係、
ゴルフ場のレストラン勤務、
テイクアウトの寿司店の支配人
しかし、どれもうまくいきませんでした。
60歳が近づいてくると、母親の介護が始まりましたが、
「消えた年金問題」で
遠藤正己さんが東京で働いていた頃の記録がなくなっていて
年金もアテにできなくなっていました。
母親の介護と仕事も家を離れる仕事でないものを考えといいます。
定年退職した人たちが昼間集まれる場所を作りたいと
家の近くに空き家があって、「将棋サロン」を始めたらどうかと思ったそうです。
昼間家にいると邪魔にされ、パチンコだとお金がかかる。
将棋サロンだったらお金もかからないし、集まっていもらえるのではないか、遠藤正己さん自身も将棋好きだったため考えたそうです。
将棋サロンを始めるためにネットオークションなどで
将棋盤などを少しずつ買い集めました。
そのうちに駒も探すようになって、良い駒とはと
探すのが習慣になっていきました。
そんな時に「富士駒の会」が展示即売会と駒彫りの実演をすると知って出かけていくのでした。
そして、運命の大澤建夫さんと出会い、駒づくりが始まります。
作業時間は、母親の介護が終わった夜8時から深夜2時頃まで。
59歳になってから、わずか7年でタイトル戦の駒に選ばれるのは、この世界では異例の快挙。
夢はいくつからでも叶うものですね。
遠藤正己さんは「超遅咲きの新星」として中年の星です。
藤井聡太七段のタイトル戦で「寉峯」が使われる日も近いかもしれません。
遠藤正己が逆転人生に出演
【20日夜10:00】#逆転人生「40代で職を転々…人生終盤に輝くヒント」
44歳で最愛の妻を交通事故で突然亡くし、その後店の経営が傾き無職に。職を転々とする中、59歳で始めた将棋の駒づくりが天職に。わずか数年でタイトル戦に自作の駒が採用されるまでに。
[総合]https://t.co/lBMgnVdFP7— NHKドキュメンタリー (@nhk_docudocu) July 19, 2020
2020年7月20日(月)22時00分~22時45分の放送の逆転人生は
逆転人生「40代で職を転々…人生終盤に輝くヒント」
人生諦めたらそこで終わり。今回は、妻の死・20回に及ぶ転職・母の介護・消えた年金…。泥沼の人生を、終盤に大逆転させた男の物語。どん底人生、最後に輝くヒントとは?
番組内容
主人公は遠藤正己さん(68歳)。職業は「駒師」将棋の駒を作る職人だ。遠藤さんは元々、居酒屋を経営していた。
しかし、44歳の時、最愛の妻を交通事故で突然亡くすと店の経営は傾き、無職となってしまう。再就職先を探すも連戦連敗、20以上の職を転々とする。59歳で始めたのが将棋の駒づくりだった。
そこからわずか数年で、将棋界最高の舞台であるタイトル戦に自作の駒が採用されるまでになる。人生終盤に輝くヒントとは?
住む場所、職業と数えきれないほどかわって
そこから、正に逆転人生ですね。