富久信介さん、日比谷線脱線事故から20年後のラブレターが大橋秀行会長に
富久信介さん、日比谷線脱線事故から20年後のラブレターが大橋秀行会長に
事故で亡くなったボクサー富久信介さんへ“20年後のラブレター”「痴漢から守ってくれた」同じ電車で恋心を抱いた女性から https://t.co/pWo8NmdOBS #スポーツ #sports #ニュース
— スポーツ報知 (@SportsHochi) May 9, 2020
目次
富久信介さん、日比谷線脱線事故で
2000年3月8日に起きた日比谷線脱線事故に巻き込まれ
17歳という若さで命を落とした富久信介さん。
富久信介さんは、麻布高校の1年生で運動神経もよく
ボクシングをしていました。
麻布高校と言えば偏差値は76、東大合格率NO.1の優秀な学校です。ボクシング部がなかったため富久信介さんは、自身で創部したほどでした。
2000年3月8日、富久信介さんは、期末試験最終日え2時限目からの登校でいつもより時間を遅らせて日比谷線に乗り事故に遭いました。
日比谷線脱線衝突事故とは
2000年3月8日、北千住発、東京急行電鉄(現:東急電鉄)東横線直通各駅停車・菊名行き(営団03系電車、列車番号A861S、03-102編成)が起こした事故。
午前9時1分、東京・目黒区の中目黒駅付近で
走行中の地下鉄日比谷線上り電車の5.6両目が急カーブから直線に移るところで脱輪。
下り電車、中目黒発東武鉄道伊勢崎線直通竹ノ塚行き(東武20050系電車、列車番号B801T、21852編成 モハ23852 – 26852)と衝突して最後尾車両(6両目)が大破し、頭などを強く打った乗客5人が死亡、63人が重軽傷を負った事故。
原因として、1車両の内の8輪にかかる重量の不均衡(輪重比)が30%に及んでいても放置されていたことや、事故が起こった箇所は半径160mの急カーブであるにもかかわらず護輪軌条(ガードレール)が無かったこと、多数の列車が集中し、レール塗油の効果が減少する朝ラッシュ時であったことなどが挙げられており、複合的要因により発生した事故だとされている。
そのため、いづれか1人に刑事責任を負わせる事できないとされました。
また保線関係者5名が管理限界を超える線路の狂いを放置したとして、
警視庁から東京地方検察庁に業務上過失致死傷罪で送検されていたが、不起訴処分となりました。
結局、誰も罪になることはなかった。
富久信介さんへ20年後のラブレターが大橋秀行会長に
日比谷線脱線衝突事故から今年、20年経ちました。
富久信介さんのボクシングの指導者だった大橋ジムの大橋秀行会長に見知らぬ女性からメッセージが来ていたと言います。
その内容は、富久信介さんに対する思いでした。
「ほぼ毎朝、彼と同じ車両にいた、当時の女子高生です。いつもカッコいいなと思ってました」
当時、麻布高校2年生の富久信介さんは横浜市の自宅から学校まで東横線と地下鉄日比谷線と利用して通っていました。
当時の女高生はいつも同じドアから乗り込む富久信介さんが気になっていたと言います。
その女子高生は、電車内で何度か〇漢に遭っていた時に富久信介さんは、いつも助けてくれたそうです。
「彼が守ってくれました。とても優しい。話したこともないけど、優しさを向けてくれた」
話はしたことはなかったけれど、お互いに意識している存在だったようです。
そして、2000年3月8日、富久信介さんは、試験のためいつもより遅い時間に乗った電車で日比谷線脱線衝突事故に遭ってしまいました。
女子高生は、「間違いであってほしい」
と連日、車内で彼を探し続けたという。だが
「探しても探しても、電車に乗る時間を少しずらしたり車両を変えたりしてみても、やっぱり会えなかった富久くん。朝の電車で何度泣いたことか」
「どうしても会えなくて、現実を受け入れるまで、たくさん泣きました」
富久信介さんの両親からの返事が
このメッセージを大橋秀行さんは、すぐに富久信介さんのご両親、父・邦彦さん、母・節子さんに転送しました。
うれしくて涙が止まらなかったという両親は当時の女子高生へお礼の言葉と大橋秀行さんに託します。
その内容は
「お優しい心遣いに何度も読み返し、うれしくて少し悲しくて読むたびに涙が止まりません」
「武骨でシャイでプライドが人一倍高く、口数の少ない奴でしたので彼女はいないんだろう、できないだろうと思ってました」
「貴女(あなた)のお便りを拝読して、彼奴(あいつ)にも「守ってやる」女性がいたんだと」
「今となっては彼奴の胸の内は知るよしもありませんが、淡い恋心が芽生えていたとしても何ら不思議ではありません。そうあって欲しいと切に願います。少しでも恋する心、愛する心を知って旅立ったと思いたいのです」
富久さんは友人がいじめられると、たとえ上級生でも殴り合いのけんかで守ったといいます。
「自分の愛するものは全力で守るというのは彼奴の自然な行い」
「それは間違いなく、本人が意識してなくても、彼奴の愛情の発露」
「お互い名前も知らなくても毎朝電車に乗り合わせる女の子、彼奴は時間も車両も合わせていたのでしょう。間違いなく彼奴の「初恋」です」
「彼奴の短い生涯に最後に花を添えていただいて、ずっと涙が止まりません」
と女性に返事を返したそうです。
返事を受け取った女性も涙が止まらず、
「やっと、やっと、彼の素敵な姿を伝えられて、ご両親に聞いていただけたこと、うれしくて、ほんとにうれしくて」
座席で楽しそうに参考書を広げる富久信介さんの姿など
「大好きでした。言うまでもなく、ものすごくカッコよかった」
と告白しました。
女性は現在結婚して、お子さんもいます。
その5歳の息子に富久信介さんの話をしているそうです。
「本物のヒーローは日常にいる」
「真の意味でかっこいい男になりなさい」と伝えているそうです。
女性は、今でも日比谷線に東横線、日比谷線に乗る時には、
「ありがとう」と言い続けているそうです。
ボクシングジム通いをしていた富久信介さん
富久信介さんは、中・高とサッカー、ボクシング、ラグビーに熱中しながらも麻布高校という優秀な高校に通っていました。
麻布高校には、ボクシング部がなかったため、創部に尽力するほどの行動力もありました。
夢の一つが「プロボクサー」だったこともあって
学校帰りには大橋ジムで鍛錬しました。
大橋ジムは、会長が大橋秀行さん 55歳
元プロボクシングWBC、WBA世界ミニマム級王者
大橋秀行さんは、指導者としては、井上尚弥ら世界王者を送り出す日本でも有名なボクシングジムの会長です。
大橋秀行会長から指導を受けていた富久信介さんは、多くの人から愛されたといいます。
大橋秀行会長は、富久信介さんの生きた証として
「富久信介杯」を創設しました。
2004年6月には、先輩・川嶋勝重がWBC世界スーパーフライ級王座を獲得しました。
この時、川嶋勝重は、「リングに上がりたいだろうから」と、トランクスに富久さんのイニシャル「S・T」を入れていたそうです。
3月8日は大橋秀行会長の誕生日
大橋秀行会長は、富久信介さんのことを印象的だったと語ります。それは、3月8日は大橋秀行会長の誕生日だったのです。
誕生日に日比谷線脱線事故が起こり、富久信介さんは、17歳という若さで亡くなってしまったのです。
大橋秀行会長は富久信介さんについては、
「麻布高校にボクシング部がなくて直談判して自分で作って
将来の夢は、プロボクサーだったけれど、
世界チャンピオンになるのではなくて、事業に成功して
大橋ジムの大スポンサーになりますと言ってましたから。」
「皆に誕生日会をやってくださいと言われ、誘われるんだけどずっと断ってたんです。誕生会というとこの日だから…。それで13回忌の時に家に行って『自分も誕生日をやってないので』と、これを区切りに、再開することをお願いして」
「頭の良い子でしたから東大を出て実業家になる夢も本当になるなと思ってましたよ。あの麻布高校でボクシング部を自分一人で作って顧問も見つけて…」
父親も実業家で高校1年生の時に100万円渡されて
月謝とか小遣いは株取引でもうけて払っていたという。
富久信介さんは、とにかく将来が楽しみな17歳の若者でした。
富久信介さんへの手紙がザ!世界仰天ニュースに
2020年6月30日(火)19時00分~22時54分の放送の
【テレビ情報】
今日19:00~22:54 日本テレビ系
『ザ!世界仰天ニュース』2000年3月8日に起きた日比谷線脱線事故で亡くなった、大橋ジムの高校生の練習生、富久信介さん。彼の知られざる感動の物語が、20年経ったいま、明かされる──
— ボクシング・マガジン(毎月15日発売?) (@boxing_magazine) June 29, 2020
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