ビタリー・カエロフが管制官のピーター・ニールセンを!バシキール航空2937便、ユーバーリンゲン空中衝突事故の被害者加害者の家族は??
ビタリー・カエロフが管制官のピーター・ニールセンを!バシキール航空2937便、ユーバーリンゲン空中衝突事故の被害者加害者の家族は??
目次
ビタリー・カエロフが管制官のピーター・ニールセンを
2002年7月1日、ユーバーリンゲン空中衝突事故で妻と二人の子供の3人を失ったロシア連邦バシコルトスタン共和国出身のロシア人建築士のビタリー・カエロフは、一度に3人を失い
事故がどうして起こったのかわからないまま絶望します。
そして、事故当時、管制官が一人しかいなかったことなどが
後に分かってきます。
その管制官がデンマーク人のピーター・ニールセンだったことも
突き止めます。
しかし、ピーター・ニールセンは、事故後、仕事は辞めていました。
ビタリー・カエロフは、ピーター・ニールセンの自宅も調べ上げ
訪ねていきました。
2004年2月、ビタリー・カエロフはピーター・ニールセンの自宅を
訪れ、謝罪を求めたと言います。しかし、拒否。
しかも、自分の目の前で亡くなった家族の写真を捨てたため
激高したビタリー・カエロフはピーター・ニールセンを
帰らぬ人にしてしまいます。
ピーター・ニールセンにも3人の子供を持つ父親でした。
ピーター・ニールセン一家にも悲劇となってしまいました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故後の処分は
スイス裁判所は、スイス領空全域とドイツ南部を管轄していたスカイガイド社の管制責任者4人に対して、業務上過失致死で有罪判決を下しました。
「4人の責任者は、事故当時に管制官を1人しか置いておらず、安全に対する注意を怠った」
スカイガイドの幹部3人に執行猶予付き禁固1年、
事故発生時に管制業務の責任者だった1人に禁固90日に相当する1万3500スイスフラン(約130万円)の罰金を課しました。
しかし、スカイガイド従業員である管制官4人は全員は無罪となりました。
その中に事故発生時の管制官だったピーター・ニールセンもいたわけです。
ビタリー・カエロフは事故当時の管制官が無実になったことに
納得いかなかったのでしょう。
ビタリー・カエロフの罪は
ビタリー・カエロフは、直接、ピーター・ニールセンに会いにいきます。
そして、悲劇が起こってしまいました。
ビタリー・カエロフは、一度に家族3人を失い、悲しみに打ちひしがれて、事故の起こった2002年7月から事件を起こす2004年2月24日までの
2年間のほとんどの時間を自分の家族の墓の前で過ごしていたといいます。
スイスの法廷は2005年10月26日に計画〇人として懲役8年を宣告し
スイス、チューリヒの刑務所で服役していました。
しかし、2007年11月8日、心神耗弱が認められ、5年3か月に減刑され、12日夜ビタリー・カエロフ(当時57歳)は釈放され、
13日早朝、ロシアの空港に到着しました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故とは
ユーバーリンゲン空中衝突事故とは、2002年7月1日21時35分
バシキール航空2937便とDHL611便が
ドイツ南部にあるユーバーリンゲンの上空で衝突した事故。
両機に搭乗していた71人全員が亡くなるという事故でした。
バシキール航空2937便は、チャーター便
バシキール航空2937便は、チャーター便で
運航予定は
出発地 ロシア連邦内バシコルトスタン共和国・ウファ
経由地 モスクワ
目的地 スペイン・バルセロナ
乗客は60名で
乗客の大半は選抜試験に合格した褒賞として、スペインへのツアーに招待されたウファ市内の小中学生及び引率の教師たちでした。
さらにロシアの大統領府及び政府閣僚の子供たちも含まれていて
バルセロナで開催されるユネスコフェスティバルに参加した後、カタルーニャ地方のリゾート地で休暇を過ごす予定でした。
45人は6月29日に陸路モスクワに到着し、同日中にバルセロナ行きの定期旅客機でスペインに向かう予定であったが、その便に乗り遅れてしまったため、急遽2937便をチャーターしてスペインに向かった。
乗員は9名(運航乗務員5名・客室乗務員4名)
機長 2名(52歳操縦担当・40歳会社のチーフパイロット)
副操縦士 41歳
航空機関士 37歳
航法士 50歳
客室乗務員 4名
乗客60名、乗員9名の合計69名
DHL611便は、定期貨物便
DHL611便は定期貨物便で
運航予定は
出発地 バーレーン
経由地 イタリア・ベルガモ
目的地 ベルギー・ブリュッセル
機長 イギリス人(47歳)
副操縦士 カナダ人(34歳操縦担当)
乗員2名でバシキール航空2937便、69名とDHL611便、2名の
合計71名全員亡くなってしまった大事故でした。
ユーバーリンゲン空中衝突事故の概要は
衝突のしてしまったドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州南部の当該空域はスイスの管制区域で
チューリッヒにある民間航空管制会社であるスカイガイド社によって管制されていました。
事故当時、スイス領空全域及びドイツ領空南部を管制していた管制官はただ一人だけでそれが、ピーター・ニールセンでした。
普段であれば、管制管轄域内で飛行機が異常接近したりした場合は管制センターに備え付けられていた接近警報装置(コンフリクト・アラーム)が警報を発するはずですが
この日は機器点検のため機能が大幅に限定されており、警告を発する機能は無効となっていました。
これが悲劇のひとつでした。
さらに、遅れて着陸する便があり、管制官はその進入管制におよそ5分間掛かりっきりとなって、2937便と611便の異常接近に気付かなかったといいます。
衝突50秒前、2937便と611便の双方の空中衝突防止装置(以下TCAS)が他方の機影を捉えます。
43秒前、管制官は611便と2937便とが同高度で非常に接近していることに気づき、2937便に
「交錯する機があるので早急にフライト・レベル350へ降下せよ」
と指示を出します。
しかし、36秒前、双方のTCASがそれぞれの乗員に警告を発し
611便では降下、2937便では上昇と指示が出てしまいます。
29秒前に管制官は再度2937便に降下するよう指示。
2937便のTCASは上昇を指示するも、管制官の指示通り、降下します。
一方、611便は、TCASの指示通り降下します。
611便は、TCASの指示に従って緊急降下中であることを管制に通報
しようとするも
衝突13秒前、管制官が2937便に対して連絡を行っており、管制官に伝わらなかった。
管制官は、実際には611便と2937便の双方が降下していることに最後まで気づかなかったという。
衝突6.5秒前、2937便のTCASはを指示、
衝突2.8秒前には操縦輪が機首上げ方向に一杯に引かれたが、
午後11時36分32秒、611便と2937便はバーデン=ヴュルテンベルク州ユーバーリンゲンの上空高度34,890 フィート (10,630 m)で、611便の垂直尾翼が2937便の胴体を分断する形で空中衝突した。
2937便は空中分解して墜落。
611便は衝突で方向舵を含む垂直尾翼の80パーセントを失って操縦不能になり、およそ2分間飛行を続けた後7km先の森林に70度以上の機首下げ姿勢で墜落。