高橋康之医師は日本航空350便墜落事故、羽田沖事故で乗客を救助し、ドクター・ボート・センターを設立

高橋康之医師は日本航空350便墜落事故、羽田沖事故で乗客を救助し、ドクター・ボート・センターを設立

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目次

村石久徳漁師が一番乗りで現場に到着

事故後、12分後に村村石久徳さんの小型船を到着させました。
現場近くの漁師、村石久徳さんは誰よりも早く現場に着き、海の中で溺れている
人を助けました。

村石久徳さんは小型の釣り船を6往復させて多くの人を助けました。

漁業関係者が現場に駆け付け、海の中にいた人や機内にいた人を助けて
岸に連れて行った。

あまり知られていないが、地元の人、漁師たちの活躍が大きかった。
海の男は本当に頼りになります。

高橋康之医師は日本航空350便墜落事故で救助

1982年2月9日、日航機羽田沖墜落事故が起こりました。
日本航空、福岡発東京行350便、DC-8-61型機(機体番号JA8061)が羽田空港沖に墜落した事故です。

この事故は機長による人災だとされ
日航羽田沖墜落事故、羽田沖事故、日航逆噴射事故と呼ばれていて当時の航空事故として衝撃的な事故でした。

日本航空350便は、18982年2月9日午前7時34分に福岡空港を離陸し、その後、フライトプランに沿って順調に飛行し、午前8時35分には羽田空港への着陸許可を受け車輪、フラップをおろして着陸準備に入りました。

しかし、8時44分7秒、滑走路手前の海上にある誘導灯に車輪を引っ掛けながら滑走路直前の浅い海面に機首から墜落。

機体は機首と機体後部で真っ二つに割れたが、浅瀬だったために
機体の沈没は免れました。
機体が折れたのは、前方4列目と5列目の境。

機内で亡くなってしまった乗客は、4名。
海中で命を落とした乗客は、20名。
乗務員を含む149名が重軽傷を負うことになってしまいました。

高橋康之医師は、大森で髙橋医院を開業している町医者でした。
大森から羽田はとても近い場所で、すぐに医師として救助に向かいました。

高橋康之は日本航空350便墜落事故で救助

事故の一報を聞いて
救助活動には海上保安庁や防衛庁(当時)、周囲の消防局や地元漁業組合などが参加し、日本赤十字社と蒲田・大森医師会などの医師も参加しました。

高橋康之さんは大森医師会に所属しており、救助に向かいました。事故が起こったのは2月9日、真冬のとても寒い日。
海水温度はとても低く、海中に投げ出されてしまうと15分という時間との闘いだとされていました。

高橋康之は父高橋賜から航空事故の無念を聞いて育った

高橋康之さんの父高橋賜さんは、1932年、茨城県生まれで大森に移り住み「髙橋医院」を開業。
父の跡を継ぎ、高橋康之さんは医師になりました。

父には航空事故で苦い思い出がありました。
1966年に起こった墜落事故で羽田近くの大森の町医者だった高橋賜さんは、救助に駆けつけます。
しかし、近寄ることすらできず、「俺は誰一人救えなかった」と
ずっと後悔していました。その思いを息子で、同じ医者となった
高橋康之さんは、どこかにいつも残っていました。
そして、いつか来るかもしれないその日にために航空関係の専門書も読んでいました。

日本航空350便が墜落し、消防からの応援要請が来てすぐに駆けつけます。
父高橋賜さんとの縁を感じたと高橋康之さんは言います。

高橋康之は機内の残る最後の乗客の女性を助け出す

飛行機は真っ二つに折れ、墜落しました。
浅瀬だったため、沈没は逃れましたが、4列目と5列目で折れました。
前方から11列目にいた乗客の多くが犠牲になったそうです。
最後の生存者は12列目の乗客の女性でした。

その乗客の女性を助けるために飛行機の中に入ります。

乗客の女性は、飛行機の天井が体に挟まって動けない状態でした。
金属を切断するカッターを使うことができずに、火花が出ない鋸で切断を試みますがうまくいきません。

墜落から3時間後、乗客の容態はどんどん悪くなっていきます。
椅子のボルトを外し、わずかな隙間から乗客の女性を救い出すことができました。

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日本航空350便墜落事故の事故の原因は機長の操縦ミス

日本航空350便墜落事故は機長の精神疾患による操縦ミスだということがわかりました。

この日本航空350便はダグラス DC-8-61型機(機体番号JA8061)というのは、1950年代後半に開発されたジェット旅客機で
飛行中でも減速目的のために逆噴射機構が作動するように設計されていたために事故につながることとなります。

機長は、精神疾患を患っていて、数度の異常な言動や操縦を行っていたが放置されていた。
事故の前日にも、飛行中に機体のバンク角を70度近くまで取って旋回させるという、旅客機としては異常な操縦も行っていたことがわかっています。

着陸の直前に手動操作に切り替え操縦桿を押し込み、エンジンを逆噴射させた。
航空機関士が機長のこの異常操作に気づき、機長の右手を叩いて止めさせ、リバース・レバーを戻した。

副操縦士も機首が急に下がったことに気づき、操縦かんを戻そうとするも機長が押していたという。

「キャプテン、やめてください!(機長、やめてください!)」
と叫んだ言葉や「逆噴射」「心身症」はその年の流行語になったという。

航空機関士と共に機長を羽交い締めにするようにして、機長席側の操縦桿を思いっきり引いて戻し、機体が水平になったと同時に墜落した。

副操縦士と航空機関士が制止しなければ、水平に戻ることが出来ずに、さらに死傷者が増えていた可能性が高いと言われている。

日本航空350便は現在も欠番になっている

日本航空350便は機長の操縦ミスで墜落したのみ関わらず、

機長は乗客の安否を確認し、救助に当たらなければならないのに、早々に避難していました。
始めは機長が死亡というニュースが流れましたが、その後、真っ先にボートで救出される機長の姿が報道され、厳しい批判を浴びた。
さらに統合失調症であることが判明するとそのような状態で勤務させていた日本航空に安全軽視として厳しく批判された。

日本航空350便は現在も欠番になっています。

この事故を教訓に1984年(昭和59年)6月27日
航空機の乗務員の健康を向上させるための医療機関である財団法人 航空医学研究センター(現:一般財団法人 航空医学研究センター)が設立された

機長は不起訴に

人災だった350便の墜落事故でしたが、機長の統合失調症だったため
刑事責任を負うことができず、不起訴となっています。

高橋康之はドクターボートセンターを設立

日本航空350便墜落事故において大活躍された高橋康之さんですが、
救助活動において、「相互の連絡調整が大切」ということが改めに感じ、「連絡と連携」は課題として残り続けていると言います。

ドクター・ボート・センターはボランティア団体で、
医師、看護師をはじめ、船長や甲板員などの協力者によって構成されています。

協力員総数70人、登録船舶数20隻、緊急時に対応できるようになっています。

日本航空350便墜落事故がワールド極限ミステリーで

2019年11月27日(水) 21時00分~22時57分の放送のワールド極限ミステリーは

ワールド極限ミステリー
★羽田沖航空機墜落 奇跡の救出劇!命の恩人と感動の再会

日本中を震撼させた羽田沖航空機墜落事故!極寒の海に投げ出された乗客…奇跡の救出に向かった伝説の男★前代未聞!上空1万mで全エンジンが停止…機長がとった驚異の着陸

番組内容
日本中を震撼させた羽田沖航空機墜落…極寒の海に投げ出された乗客たち…命のタイムリミットは15分だと思われた!絶望の淵にいた彼らの命を救ったのは勇気ある男たちだった!九死に一生の生還者と命がけで救助を続けた命の恩人の涙と感動の再会!
★上空1万mで全エンジンが止まった!前代未聞の危機に直面した機長がとった驚異の着陸方法とは?
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