秋元正博が葛西紀明が勝てなかった天才だった!レジェントが憧れた天才はなぜ消えたのか

秋元正博が葛西紀明が勝てなかった天才だった!レジェントが憧れた天才はなぜ消えたのか

スポンサーリンク



目次

秋元正博が葛西紀明が憧れた天才だった

葛西紀明さんといえば、世界の葛西、ジャンプ界のレジェント
46歳にして未だ現役。
ただの現役でなくて、表彰台も狙えるまだトップジャンパーだということです。

葛西紀明さんは46歳にして、まだバリバリの現役でいられることと秋元正博さんは関係があるようです。

消えた天才
★5大レジェンドが勝てなかった天才大追跡!3時間SP★

2018年12月16日(日)18時00分~20時54分の放送

番組予告では

▼スキー葛西紀明が唯一憧れた天才!「人生終わった」突然消えた衝撃真相
▼シンクロ小谷実可子の天才パートナー…なぜ五輪直前にペア解消!?「消えた30年」初告白に涙

番組内容
5大レジェンドが勝てなかった天才SP
(1)スキーのレジェンド葛西紀明が憧れた天才…“アクシデント”で突然消えた!涙の復活劇
(2)シンクロのレジェンド小谷実可子が勝てなかった天才…五輪メダルの陰で悲劇!26年ぶり真実に涙
(3)天才打者・山田哲人が絶対に勝てなかった清宮クラスの神童が消えた
(4)IT界のレジェンド堀江貴文が高校時代唯一認めた天才は1000億円事業で大成功
(5)ボクシング山中慎介が恐れた!伝説のヤンキーは今

16歳年上の秋元正博さんはとてもあこがれの存在だったようです。

秋元正博のプロフィール

秋元正博さんは、1970年代後半より1980年代中盤にかけて、八木弘和とともに日本スキージャンプチームの中心選手として活躍

スキージャンプ・ワールドカップで国内開催以外での日本勢初勝利を上げ、4勝した選手。
正に日本のジャンプ界が黄金期を迎える先駆けの選手と言えます。
氏名   秋元 正博(あきもと まさひろ)
生年月日 1956年9月3日
年齢   62歳
出身   北海道札幌市
学歴   北海道岩見沢緑陵高等学校
明治大学政治経済学部卒
ジャンプの
所属   地崎工業(現岩田地崎建設)

秋元正博のジャンプ人生

主な成績

1980年レークプラシッドオリンピック
70m級 – 4位
90m級 – 10位

FISワールドカップ – 4勝(2位0回、3位4回)

1980年2月 レークプラシッドオリンピック
70m級
2位と50㎝の差で4位になってしまった。

90m級
練習では、上位だったのが本番で失敗 10位に

1980年3月 ストラブスケプレソ(チェコスロバキア)でのW杯90m級で優勝。
日本人選手では初めての、日本国外での快挙でした。

苦難時代

1984年2月のサラエボオリンピックでメダルも期待されていたが
1982年北海道瀬棚町で運転中、交通死亡事故を起こして逮捕

約1年間試合出場停止処分と下され、オリンピックには出場しなかった。
(許されるも辞退する形で出場しなかった。

復活

1985年2月10日 大倉山でのワールドカップ札幌大会 優勝
リベンジを果たす

また苦難へ

1986年3月8日 オーストリアのバートミッテルンドルフ
スキーフライング世界選手権

第1日の2本目、空中で大きくバランスを崩して大転倒、右足首を複雑骨折する重傷に見舞われます。

復活が絶望視される中、懸命のリハビリの結果、
翌年復活します。

1987年 第58回宮様スキー大会国際競技会 3位
1987年 伊藤杯 宮の森ナイタージャンプ大会 優勝
その後も好成績を残すも
1988年 カルガリーオリンピックメンバーから漏れ落選
1989年 現役を引退

秋元正博選手引退に替って、原田雅彦選手、葛西紀明選手が代表になっていった。

結局、秋元正博さんは一度もオリンピックに出場することはできずに現役を引退しました。

ジャンプオリンピックの結果

1988年カルガリーオリンピックのジャンプの成績

70m級
11 佐藤晃
25 長岡勝
51 田尾克史
52 田中信一

90m級

33 佐藤晃
47 田中信一
48 長岡勝
52 田尾克史

団体 11位

1992年アルベールビルオリンピックのジャンプの成績

原田雅彦(雪印乳業)
70m級:14位(201.0)
90m級:4位入賞(211.3)

葛西紀明(地崎工業)
70m級:31位(187.1)
90m級:26位(154.4)

上原子次郎(国土計画)
70m級:28位(188.8)
90m級:25位(155.5)

須田健仁(東京美装)
70m級:39位(184.7)
90m級:17位(168.1)

90m級団体:4位入賞 葛西紀明・上原子次郎・須田健仁・原田雅彦

1994年リレハンメルオリンピック ジャンプ成績

ノーマルヒル

5 葛西紀明 134.5
8 西方仁也 130.0
9 岡部孝信 125.5
56 原田雅彦120.5

ラージヒル

4 岡部孝信 110.6
8 西方仁也 120.8
13 原田雅彦121.1
14 葛西紀明99.0

ラージヒル団体

1.ドイツ
2.日本
3.オーストリア

団体のジャンプで最後、原田雅彦の大失敗により
金メダルを逃す

そして、次の長野オリンピックであの感動の金メダルを取るのでした。
しかし、そのメンバーに葛西紀明さんの名前はありません、
リザーブメンバーでした。

日本人初のスキーワールドカップで優勝するなど日本のジャンプかいの第一人者だった秋元正博さん。

カルガリーオリンピックに選出されていたら、日本の成績は
変わっていたのでしょうか。

苦しいことがあっても立ち上がって復活した姿を見ていた葛西紀明さん。

レジェント葛西紀明が現在存在して、現役を続けているのは
秋元正博さんがいたからなのは、間違いないでしょう。

スポンサーリンク



スポンサーリンク