森岡哲(もりおかあきら)さんを救った7人の高知龍馬マラソン参加の医療のプロはアンビリバボー

森岡哲(もりおかあきら)さんを救った7人の高知龍馬マラソン参加の医療のプロはアンビリバボー

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2016年2月の高知龍馬マラソンで起こった奇跡をアンビリバボーで

2018年3月8日放送のアンビリバボーは

https://t.co/ziA3vMqZPW#fujitv #アンビリバボー pic.twitter.com/ozFWGxPPPb

— フジテレビ (@fujitv) 2018年3月7日

【絶体絶命から偶然の連続!九死に一生事件SP】

番組予告は

■マラソン大会で男性が意識不明に!奇跡の救命リレーが命を救う! 高知県で毎年開催されている「高知龍馬マラソン」。
今から2年前に行われた大会に、県内に住む65歳の男性が初参加していた。
しかし、2月としては記録的な暑さで突如意識を失ってしまう。この日はマラソン大会のため交通規制が敷かれており、救急車の到着までは時間がかかるという緊急事態に。
果たして男性の命を救えるのか!?マラソン大会でランナーたちが起こした奇跡の救出劇を描く!</blockquote>
<h3>メイプルさんが九死に一生を得た2005年ミシガン州の奇跡は</h3>
メイプルさんは九死に一生を得た経験の持ち主だった。

目次

2016年2月の高知龍馬マラソンで起こった奇跡

これに関わったのは

二人の医師
三人の看護師
二人の救急救命士のドリームチームが起こした奇跡

森岡哲(もりおかあきら)さん65歳が
定年をして、高知龍馬マラソンに初参加したのは2016年ことだった。

高知龍馬マラソンは

高知龍馬マラソンの歴史は古く、1946年に第一回が開催された。
2018年第72回になる。
これは、日本では2番目、世界でも7番目に古いとされている。
(一位はびわ湖マラソン)

高知龍馬マラソンは制限時間が7時間と走りやすい大会。

県庁前(スタート)→ はりまや橋 →(南国バイパス)→(県道春野赤岡線)→ 浦戸大橋 → 桂浜付近 →(県道春野赤岡線)→ 仁淀川河口大橋 → 土佐市新居甫渕折返し →(県道春野赤岡線)→ 春野陸上競技場(ゴール)

と歴史にゆかりのある場所を走ることもあり、人気のマラソン大会である。
出場料金は8000円と安めな設定なのも親しみやすい。

次回は平成31年2月17日(日)に開催する予定だという。

スタートから10㎞のところで起こった

2月の行われるマラソンだったが、この年は記録的な暑さだったという。
スタートから10㎞のところで森岡哲(もりおかあきら)さん65歳が
突然倒れた。

助けた奇跡のリレー

倒れた男性にすぐに駆け寄ったのは「看護師」の女性だった。
さらにもう一人駆け寄ったのは
近森病院脳神経外科 西本陽央(にしもとよう)医師。

さらにランナーから
愛知県の看護師の竹内さんと大阪大学 消化器外科 勝山晋亮医師の
加わる。

さらに、ランナーから、救命救急士の二人が加わる。
四万十川清流消防署、谷脇康平救急救命士だった。

この二人の参加の意義も大きかった。
ある意味、「心臓マッサージのプロ」だったから。

心臓は止まっていた

倒れた森岡さんは心臓は止まり、瞳孔は開いていたという。
すぐに、心臓マッサージは始まった。

それから、絶えることなくマッサージは続く。

救急車はすぐに呼んだが、マラソンの交通規制がかかっているため
到着に時間がかかっていた。

AEDも中々届かなかった。

救急救命士が合流したとき、たまたまそばにいた2台の白バイに
それぞれ、AEDを探しに行ってもらように頼んだ。

大会管理者が到着するも、救急箱しかなくAEDは持っていなかった。

そして、心臓が止まってから7分後、白バイがAEDを持ってきた。
ショックを与える。

すぐに心臓マッサージを再開。
2分後に呼吸が再開した。

13分後、救急車は到着、高知市内の病院に搬送された。

倒れた原因は

想定外の気温上昇により発汗してしまったのに
給水ポイントで給水しなかったことで、血液がドロドロになってしまった

そして、2カ所の血管にできた血栓が血流を阻害し、
心臓の動きを止めてしまったのだろうとされた。

森岡さんは回復

森岡さんは、緊急手術を受けた森岡さんは幸い一命を取り留めた。
1ヶ月の入院をしたが、無事退院された。

西本先生は当時の状況を

「そもそも走っている状態で倒れている
通常の状態より酸素が低かった。
脳とか全身の臓器に非常にダメージが出やすい状態だった。

さらに、除細動(AED)までの時間か結構かかっていた。
それで、AED直後に動かない状態で瞳孔も開いている。

心臓の治療が完治しても
「脳の酸素不足」が完成して
意識が出ない状態になりうるという状態だった。」

と話している。

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後遺症はどうなったのか

 

一か月の入院ののち退院した森岡さんには
一切の麻痺や言語障害はなかった。
完璧な健康体を取り戻したのだ。

この奇跡的な回復の理由は

倒れた直後、適格な状況証拠がなされ、
救急車が到着するまでの13分間

完璧な心臓マッサージが一瞬も途切れることがなかったこと
脳への血流が阻害されなかったことだと思われる。

言語にも障害がない
運動機能にも障害がない
脳にも異常が見つからない

森岡さんは主治医に

「ここまで回復しているのはすごいことですよ」
「皆さんに助けてもらった命だから大切に使わなきゃダメですよ」

と言われたという。

何より、主治医が感激したようだったと森岡さんは語る。

もう一人の医師勝山先生は

「現場が病院のひとつの救命室にいるような感じで
スムーズに心肺蘇生をする様子が心臓マッサージをしながら感じていた」

という。

まさにその道のプロが集まった医療チームだったのだ。

7人は失格に

2016年の高知龍馬マラソンに参加したこの7人
蘇生活動を行った7人全員が

制限時間オーバーとなり、失格となってしまった。

しかし、全員が「完走より命」と口を揃えていたという。

2018年高知龍馬マラソンに再参加

森岡さんは退院後
救助に当たってくれた人にお礼の手紙を書き
会いに行ける人には直接会いに行っていた。

マラソンの練習も再開した。
血液の循環もよくなるという医師の勧めもあって
2018年の高知龍馬マラソンに参加することに。

目標は完走といっていたが
記録4時間45分03秒(ネットタイム 4時間39分27秒)
男子総合 9855人中 3316位

と素晴らしいタイム

さらに 助けてくれた恩人との再開も果たした。

ひとつでも、何かが違っていたら、完璧な体では
復帰できなかっただろうと言われている。

森岡さんは生かされていると感じているという。
これからの人生もきった大切に生きていかれるのだろう。

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