北岡昭次が顔出し浅香光代の隠し子がテレビ「今夜解禁!ザ・因縁」

北岡昭次が顔出し浅香光代の隠し子がテレビ「今夜解禁!ザ・因縁」

北岡昭次さん、ずっと話題に出ていた浅香光代さんの隠し子が
満を持してテレビに登場。
息子として実父が誰か知る必要があると訴える。

スポンサーリンク



スポンサーリンク



目次

隠し子として育てられた

ほとんど二人で話すこともなかった親子が
父親の名前を聞くために番組を通して直接対談する

北岡昭次さんは隠し子だったため浅香光代さんのことを
「お母さん」と呼ぶことすらできなかった。
もちろん、一緒に暮らすこともできてなかった。

お金が無くなるともらいに行くくらい。
浅香さんはお金を渡せばいいと思っていたのか。

二人が知り合ったのは浅香さんが19歳の時
初めての男性だったという。

昭次さんの10歳の時に本当に父親に一度だけ会っていたという

浅香光代のプロフィール

本名   北岡 昭子
生年月日 1928年2月20日(89歳)
出身地   東京都千代田区神田
国籍   日本
血液型   B型
職業    女優
活動期間 1937年 –
内縁の夫  世志凡太
愛称    ミッチー
身長    163.5cm

経歴

1937年(昭和12年  9歳で浅香新八郎、森静子に弟子入り。
1942年(昭和17年) 14歳で浅香光代一座を組む。
1955年(昭和30年) 大江美智子、不二洋子らと共に女剣劇全盛時代を創りあげる。
1979年(昭和54年) 「演劇舞踊浅香流」を創始。多数の門弟の指導にあたっている。
2006年(平成18年) 武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授に就任。
2009年(平成21年) 春の叙勲において旭日双光章を受ける。

「女剣劇界の中心人物」
女性でありながら、激しい、殺陣(たて)のシーンをする存在。

1937年(昭和12年) 9歳の時、映画界で活躍していた浅香新八郎、森静子らの舞台劇団「新生国民座」の門戸を叩いた。
1944年(昭和19年) 座長浅香新八郎が急逝、「浅香光代一座」を発足
戦前から活動し、劇中に演出する、太ももなどの素肌をちらりと見せ色気を醸し出すシーンを作った。
「チラリズム」の先駆け的存在。
戦後に舞台演劇や演芸が以前の勢いを取り戻すなか、女剣劇人気は進化した演出を伴って復活し若手の一人だった浅香光代は新らたな女剣劇スターとして大人気となった

ミッチーサッチー騒動

浅香光代さんと言えば、思い出されるのは
野村佐知代さんとの「サッチー騒動」

番組企画等でお笑いタレント等に殺陣や演技指導するという企画に参加
野村沙知代に剣劇を教え舞台で共演したものの、TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』の降板前最後の回(1999年3月31日)の放送で、野村沙知代さんを批判する。

この騒動はサッチー騒動と沙知代さんが脱税で逮捕(2001年12月)されるまで続く。
連日のワイドショーでミッチーvsサッチーで話題となった。
2004年、野村沙知代さんに対する名誉毀損で110万円の支払い命令を受ける。

野村佐知代さんの夫は野村克也さん、その宿敵の長嶋茂雄さんの大ファンだった浅香光代さん。
これも二人をこじらせる一つの原因とも言える。

スポンサーリンク


ダイエッターとしても有名

著書もあるように

「太りすぎよ、さようなら! 浅香式耳飾美容痩身法のすべて」
「浅香光代の代謝復活ダイエット」

【バーゲン本】浅香光代の代謝復活ダイエット [ 浅香 光代 ]

とダイエットをいろいろしている。

番組企画というのもあるが
脂肪吸引?かお腹の脂肪を取る手術をしていた記憶がある。

隠し子騒動

浅香光代さんが86歳の時、4月14日に出席したイベントで
報道陣の隠し子の父親について追及をうけ
「元首相」だと認める。
その直後、「首相になりかけたが、なれなかった人」と訂正

そしていろいろな憶測が飛ぶ
その隠し子は浅香さんが20代前半の頃に知り合った大物政治家との間にで不倫できた子供。

ずっと大物政治家と言うことだけで実名は明かされずにいた。
大物すぎで出せないと
当時は言われていたようだ。

佐藤栄作さんの名前も出ていた。

噂は広がり、元総理ではないか、大臣かと憶測が流れていた。
浅香さんは政治家であったことは認めつつも
特定に人物については「墓まで持っていく」と言ったほど。

しかし、浅香さんも今年89歳。
そして、息子さんに「実の父親は誰か知る権利がある」と
番組で迫られていた。

2017年9月29日放送「今夜解禁!ザ・因縁」
に○○さん自ら出演し
父親の名前を聞くことになる。

それによると不倫相手から
「はじめはおろしてくれ」という条件だったという。

 

スポンサーリンク