佐藤琢磨 内藤聡子と7年不倫!週刊新潮が不倫報道へ!すでに同居している?!動画が?!

佐藤琢磨 内藤聡子と7年不倫!週刊新潮が不倫報道へ!すでに同居している?!動画が?!
元F1レーサーで昨年は日本人初の「インディ500」を初制覇した佐藤琢磨が
年上の内藤聡子フリーアナウンサーと7年もの間不倫関係だったとは。

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目次

佐藤琢磨と内藤聡子の不倫報道が週刊新潮からスクープ

佐藤琢磨さんと言えば今年5月に開催された世界三大レースの一つ「インディ500」をアジア人として初制覇したモータースポーツのスーパースターだ。

その佐藤琢磨さんが11月16日発売の週刊新潮で不倫報道が出る。
記事の内容は
11月4日、佐藤琢磨さんが運転する車の助手席から内藤聡子さんが降り、スーパーにより、近くのマンションへ彼女は入っていった。少し遅れて車を置いた佐藤琢磨さんが同じマンションへ入っていったという。

この光景は度々目撃されていたという。
すでに同居していると言われている。
交際期間は7年ととても長い二人。

内藤聡子とはフリーのアナウンサー43歳。佐藤琢磨さんは40歳だから
3つ年上の女性だ

内藤聡子さんは「独身ネタ」がウリと言われている
昨年3月まで「5時に夢中!」(TOKYO MX)でアシスタントを務めている。

「独身ネタ」がウリで「セレブ志向丸出し」と評される彼女はどのように不倫になっていったのか

佐藤琢磨は不倫を認める

週刊新潮によると佐藤琢磨さんは不倫関係を認めている。

取材によると

「10年秋、ラジオ番組で一緒になって盛り上がり、僕のレースを番組で応援に行くということにもなって仲良くなった。(不倫関係になったのは)それから数カ月後ですかね」

妻は不倫をどう認識しているのか。

「内藤さんのことは12年夏ごろに知られて、その時期に離婚に向けての話をしたのも事実です。ただ、正直な話、非常に悩んでいます。僕のレースを内藤さんが支えてくれた部分は確実にありますが、一方で、子供への思いも大きい」

妻とは代理人を通して話をしているというが、週刊新潮の取材で
妻の知人からは少しニュアンスが異なる証言があるという。

「警察沙汰を招いた騒動」があったこともあり、その様子についても詳しく報じているという。

11月16日発売の「週刊新潮」では
琢磨と内藤が同居するマンションでの“お見送り”の様子を収めた動画を配信中

佐藤琢磨のプロフィールは

出身地   東京都新宿区
生年月日  1977年1月28日
年齢    40歳
学歴    和光学園高等学校卒業
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に入学
父親    弁護士の佐藤和利、
母親    元舞台女優
2005年7月31日ブログで子供が生まれる事を報告
12月23日に男児が誕生
2008年9月30日に第2子となる女児が誕生

10歳の時に鈴鹿サーキットで初めてF1を観戦したことからモータースポーツに対して強い憧れを持つ

19歳までは自転車競技に
高校では自ら部を立ち上げ部員一人で競技する
94年 インターハイ優勝
95年 インターカレッジ、2位
国体、6位
96年 全日本学生選手権優勝

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内藤聡子のプロフィールは

出身地    山梨県甲府市
生年月日   1974年11月3日
年齢     43歳
身長     164cm
血液型    AB型
最終学歴   法政大学経営学部経営学科卒業
職歴     三桂
職業     フリーアナウンサー、気象予報士

高校時代からモデルとして活動
1995年 大学3年生の時、テレビ朝日『ニュースステーション』のお天気キャスターに抜擢
就職活動では、フジテレビ、テレビ朝日を受験するも最終面接で不合格に
TBS『関口宏のサンデーモーニング』のキャスターに抜擢
2000年 気象予報士の資格を取得
2010年4月から2016年3月まで、TOKYO MX『5時に夢中!』で月曜日から木曜日までのアシスタントを担当

「一度マイクを置いて日本から離れる」
後日更新した自身のブログで改めて海外移住を報告した

佐藤琢磨を追いかけていたのかと思ってしまう

佐藤琢磨のモータースポーツ選手としての歴史が凄かった

1996年 ホンダと鈴鹿サーキットがフォーミュラカーを用いたレーシングスクール「鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)」が設立されると大学を休学してこの世界へ

まずはカートを始め、モータースポーツ歴わずか半年で、選抜方法を変えさせてまでして競争率10倍の難関を突破してSRS-Fへ入学を果たす。
1997年首席で卒業
1998年 無限×童夢プロジェクトから全日本F3選手権へのデビュー2戦走るがそのまま渡英している。

F3より格下のジュニア・フォーミュラであるフォーミュラ・ボクスホールJr.にダイヤモンド・レーシングより参戦

F3
1999年 イギリスF3ナショナルクラス3勝
マカオ・エリクソンチャレンジ優勝
2000年と2001年にイギリスF3選手権にフル参戦
2001年 日本人初のイギリスF3チャンピオン
国際F3レース(マールボロマスターズ、マカオGP)も制してF3ドライバーとして世界の頂点を極めた

F1
2002年シーズン 史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーに
2001年10月に、ホンダエンジンを搭載するジョーダンのレギュラードライバーとして2002年シーズンのF1に参戦することが決定したためだ。
シーズン一年目のポイントは日本グランプリでの決勝5位・2ポイントのみに

2003年シーズンは、翌2004年以降のレギュラー・ドライバー昇格のオプション付でリザーブ兼テスト・ドライバーとしてB・A・Rに移籍
最終戦日本GPで代走し6位入賞
2004年シーズンはB・A・Rのレギュラードライバーに昇格
アメリカGPで日本人最高位タイの3位フィニッシュ
2005年イギリスからモナコに移住
この年は調子が悪く2006年シーズンのB・A・Rでのレギュラードライバーの座を失う

2006年~2008年
元F1ドライバーの鈴木亜久里がオーナーを務め、ホンダがエンジンを供給する新規参戦チーム スーパーアグリF1チームから参戦
最終戦ブラジルGPでは、チーム最高位の10位という結果を出すと共にチームメイトの山本左近とのダブル完走

2008年5月6日、スーパーアグリF1チームがF1からの撤退を表明
そのため佐藤琢磨は所属チームを失った。
あくまでF1レギュラーシートを獲得する方向で交渉を進めていた。当時の佐藤自身もF1を引退する考えはまったくないことを表明。

2009年はレギュラードライバーに選ばれなかった。
2010年にもレギュラードライバーを交渉したが実現はしなかった。
現在、2008年4月末に行われたF1スペインGPが、F1における佐藤最後のレースとなっている。

インディカー・シリーズ

2010年~2011年
KVレーシングよりインディカー・シリーズに参戦することを発表
2012年
インディカー・シリーズフル参戦を表明
第4戦ブラジルのサンパウロで自己最高の3位となり初の表彰台に
年間ランキングは14位

2013年~2016年
A.J.フォイト・エンタープライズとの契約
第3戦ロングビーチで日本人として初めての優勝
2013年総合17位
2014年総合18位
2015年決勝最高位は2位 総合14位

2017年 アンドレッティ・オートスポーツに移籍

5月28日、自身8度目となるインディ500では、予選で日本人過去最高の4位
日本人初のインディ500優勝を達成
日本国政府も「日頃のたゆみない精進によって、モータースポーツにおいて数々の記録を打ち立て、極めて優れた業績を挙げた」として、8月4日付で内閣総理大臣顕彰を授与

2018年
2017年9月20日、2018年シーズンをRLRに移籍して戦うことを発表

日本ではモータースポーツは欧米ほど盛り上がってない。
日本ではモータースポーツ選手が普通に歩けるが
ヨーロッパなどでは人だかりになってしまうという。
佐藤琢磨さんもその選手の一人だろう。

もちろん、ヨーロッパではプライベートと仕事は別だから
不倫しているから、干されるということはない。
2018年の所属チームも決まっているから、実力を示すことが必要だろう。

二人の結末は

不倫が7年も続いていて、同居までしている。
そして、妻も知っているという。
中々素覚ましい関係だ。

離婚の話を進めていると言いつつ、佐藤琢磨は子供のことを考えるとなどど、発言しているところをみると

これは、妻次第なのでは?とも思える

妻とは2005年に辛い時代をながく支えてくれたパートナーといい、子供を妊娠してもすぐには入籍していない。

海外生活が長いからなのかもしれないが
戸籍に関してはあまり興味がないようだ。

不倫相手としては「早く奥さんと別れて」
不倫相手という立場を脱出したいと思うものだ。

不倫は誰かが不幸になるということはわかっているはずなのに
止められない、なくならないものなんだ

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