伊藤若冲の御朱印はどくろ宝蔵寺で!錦市場(京都中心の商店街)を守った絵師

伊藤若冲の御朱印は宝蔵寺で!錦市場(京都中心の商店街)を守った絵師

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目次

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の御朱印はどくろ宝蔵寺で

宝蔵寺(ほうぞうじ)は、京都市中京区にある浄土宗西山深草派の寺院。本尊は阿弥陀如来。

伊藤若冲ゆかりの寺院として知られています。
錦小路にあった青物問屋「枡屋」、伊藤家の菩提寺です。
先祖を大切にした伊藤若冲は父母や弟の墓石を建立しています。

伊藤若冲が書いた「竹に雄鶏図」「髑髏図」や
若冲の弟で弟子の伊藤宗巌(白歳)、弟子の若演、処冲、若啓、若拙、大光、環冲の若冲派作品を宝蔵寺は所蔵しています。

「髑髏図」は「どくろ」が描かれていてとてもインパクトがあり
「人間をその人たらしめているものは肉体にあり。」というコンセプトだそうです。

伊藤若冲生誕300年を記念して「どくろ」や「鳥」の御朱印があります。
どくろの御朱印とは中々お目にかかれないでしょう。

所在地 京都市中京区裏寺町通蛸薬師上ル裏寺町587番地

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は錦市場出身の絵師

伊藤若冲は、正徳6年2月8日(1716年3月1日) – 寛政12年9月10日(1800年10月27日)85歳の長寿を全うした。

京都の中心の錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生まれます。

問屋なので多数の商人を管轄し、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して、場所代や手数料を取ると言う代々続く問屋でした。

長男であったため、23歳で父が亡くなって4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名し、跡を継ぐことになります。

しかし、小さい頃から、絵が好きだったため、仕事は人に任せて絵の勉強ばかりしていたそうです。

絵を描くこと以外興味がなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、独身だったそうです。

そして、40歳の時にとうとう、家督を3歳下の弟・白歳(宗巌)に譲り、名前も「茂右衛門」と改名し、隠居の身になります。

伊藤若冲は絵師として絵を書くことに没頭したいったそうです、
弟は経済的にずっと援助をしてくれたそうです。

しかし、弟が亡くなると援助もなくなり、絵を売りながら生活することになります。

生活のために絵を売るというのは今までなかったようです。

錦市場は京都中心の商店街

錦市場は「京の台所」といわれる京都の中心地にある商店街です。
伊藤若冲の生まれた青物問屋「枡屋」もここにありました。

「京の台所」となったのは地下水に流れていた冷たい水があったことで、

伊藤若冲が錦市場を救った

伊藤若冲は絵を書かなかった3年間がありました。

絵しか興味のなかった若冲が書かなかった3年間は
錦市場の再開に翻弄していたためだということが

近年その資料が見つかったというのでした。

一流に絵師になっていた伊藤若冲は錦市場のため身を尽くしたのでした。

その時、伊藤若冲が活動していなかったら現在の錦市場はないということです。

錦市場
〒604-8054 京都府京都市中京区西大文字町609番地

 

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