レオナヘルムズリー 女帝の呼ばれ、シンデレラストーリーから転落人生へ壮絶人生がアンビリバボー!

レオナヘルムズリー 女帝の呼ばれ、シンデレラストーリーから転落人生へ壮絶人生がアンビリバボー!

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目次

レオナヘルムズリーの人生を奇跡体験!アンビリバボーがスペシャルで

2018年5月10日の放送の奇跡体験!アンビリバボーはスペシャル

番組予告では

幼い頃から夢だったおとぎ話のプリンセス…略奪婚&大勝負の果てに総資産1兆8000億円!?あのトランプ大統領も認めた才能!!大きく狂い始める運命とは!?

番組内容
全米が騒然!愛犬に莫大な資産を残したことでも知られる、レオナ・ヘルムズリー。貧しい生活をしていた少女に、母は「おとぎ話の主人公になりなさい。プリンセスになるの。そうしたら絶対に幸せになれるから。」と、いつも語りかけていた。彼女は、おとぎ話のプリンセスに憧れ、その理想を追い求め続ける人生を歩む。 プリンセスになって夢のような生活を手に入れるべく、レオナは世界に名をとどろかす総資産1兆8000億円の不動産業の帝王と結婚。まさにおとぎ話のプリンセスになり、さらに自らもホテルを経営。徹底したサービスでマンハッタンの女王に君臨したレオナ。しかし、台頭する若手や、愛する息子の突然の死をきっかけに、彼女の運命は大きく狂い始めていく。 プリンセスを目指した最強の悪女、レオナ・ヘルムズリー。彼女のアンビリバボーな転落人生とは!?番組では、彼女の遺書を入手。おとぎ話に添えられた“あとがき”も描いていく!

レオナヘルムズリーの遺言といえば

愛犬に14億もの遺産を相続させようと遺言を残した女帝
徹底的な仕事至上主義、短気で非情、強欲なところから、Queen of Mean(意地悪女王)と呼ばれた

全米に展開するホテルチェーンの運営した正に女帝だった。

しかし、愛犬にしか遺産を残せないほど晩年は孤独だった
その人生とは?

レオナヘルムズリーのプロフィール

氏名     レオナ・ヘルムズリー
本名     リナ・ミンディ・ローゼンタール
生年月日   1920年7月4日
没      2007年8月20日

両親はポーランドからのユダヤ系移民
1920年にニューヨーク市郊外で帽子職人の子として生まれた。
マンハッタンで高校に進学したが中退

モデルや秘書として働く。

結婚、シンデレラストーリーへ

1941年に弁護士と結婚して一子をもうけたが1952年に離婚
1953年に衣類会社社長と再婚、1960年に離婚
1972年に不動産王ハリー・ヘルムズリーと結婚

初めの結婚は平凡で、プリンセスになりたかったレオナにはつまらないものだった。
そこに知り合ったのは2度目の夫だった。お金持ちの御曹司でお金持ちになれる。プリンセスになれるとW不倫の末に結婚する。

しかし、会社経営に口を出したりと思い通りにならない事が多く
夫に愛想をつかされた。
1960年に2度目に離婚をして、不動産屋の受付を勤めることに。
40歳の時だった。

受付を始めるも不動産のライセンスを取得し、社長に取り入り
不動産販売員として頭角を現し、
1960年代末には不動産会社の重役に抜擢

給料のアップを社長に申し出るも断れる断れると
別会社へ自分を売り込み副社長にのし上がっていた。

その時、48歳。離婚からわずか8年で年商1億年になることもあり
ニューヨークでは有名になっていた。

その後、パーティに初めて呼ばれ、運命に人と出会う。

それが資産50億ドルと言われた60歳の不動産王ハリー・ヘルムズリー(Harry Helmsley)だった。

プリンセスの階段を昇るための接近に成功し結婚にこぎつける

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ハリー・ヘルムズリーと結婚でシンデレラストーリーが

会う前にハリーの情報はすべて調べていた。

趣味らしい趣味はないけれど、ダンスは大好き。
30年近く連れ添った妻は引っ込み思案でパーティには出席しない。

さらにハリーを買おうとしている物件も調べ上げてダンス中にハリーに助言をする。

レオナが優秀だとわかると、「うちで働かないか?」と
仕事の誘いを受ける。

しかし、レオナは「私は、そんなに安い女じゃないの」と断る。

それは全て、レオナの計算。
一代で財を築いたハリーは断れたことなどないと
わかっていて心を揺さぶったのだ。

破格の条件でハリーの会社へ移籍
二人が男女の仲になるのに時間はかからなかった。

そして、自分に言い寄っている男がいるとでっち上げた手紙で
ハリーを揺さぶり、ハリーに結婚を決心させた。

ハリー・ヘルムズリーはブルックリンとの結婚でストーリーが叶うことに

ハリー・ヘルムズリーはブルックリンの貧しい出身だった。
法律家のビジネスパートナーと組んで1950年代に不動産ビジネスで成功。
働き者で真面目一徹、信心深く控え目だった。
しかし、33年間連れ添った妻と突然別れてレオナと再婚した。

そして、急に華やかな生活を送るようなって周囲を驚かせたという。

レオナと結婚後すぐに、セントラル・パークを見下ろす一等地にあるハリー所有の高級ペントハウスを室内プールと温室付きの超豪華版に大改造した。
フロリダ州パームビーチの別宅から自家用ジェットでマンハッタンに通勤する生活を始めた

満足しないプリンセス、レオナヘルムズリー

レオナの誕生日にはハリーの所有だったエンパイアステートビルを
特別なライトアップするなど

プリンセスの生活をしていた。

その頃には不動産業界から引退ししていた。

しかし、不動産王の妻でしかない生活に不安を覚えていった。

レオナヘルムズリーと息子との再会を

1973年にフロリダの別宅でケガをして入院がきっかけで息子ジェイと再会。
ハリーの子会社の重役にした。

レオナヘルムズリーが女帝となる

自分が女王にならなくてはいけないと感じたレオナは
現場復帰することなる。

1980年に、全米に30のホテルを有すヘルムズリー・ホテル・チェーンの社長に就任

徹底したサービス向上をして、ホテル稼働率を25%から75%に引き上げた実績も持つ

しかし、自ら「ホテルの女王」と称したが
短気でヒステリックな暴君ぶりからは「性悪女王」と呼ばれた。

レオナヘルムズリーの息子の死

1982年に41歳で妻と4人の子を残して病死した。心臓発作だった。

レオナ62歳の時だった。
元々心臓が弱っていたがかなりのショックだった。

息子の死はすべて息子の妻のせいだと。

レオナは息子の未亡人に対して借金の返還請求をして家と財産を奪った。
息子の死を境にレオナの横暴な態度はひどさを増していった。

気に入らないと従業員のクビを気分でどんどん切っていた。

ライバル出現、ドナルド・トランプ

高級志向のホテル、徹底したサービスで大成功したレオナだったが

それと同じ高級志向のホテルが急成長していた。
そのホテルのオーナーがドナルド・トランプだった。

26歳年下だったが、レオナは「あんな若造に」と激しく嫉妬したという。

息子の死とトランプの台頭の焦りから、横暴さは激しさを増していった。

レオナヘルムズリーが転落へ「わたしのおとぎ話は終わった」

1986年、従業員から起こされた訴訟をきっかけに次々と経費の私的利用や脱税が発覚

私用もすべて経費で計上していたのだ。

アメリカの法律では重罪人はアルコールの販売はできない
つまり、有罪になるとホテル経営はできないということになる。

裁判の中で暴露合戦が続く。

従業員や下請け業者など、日ごろ辛く当たっていたレオナに協力してくれる人はほとんどいなかったという。

中でも世間を一気に敵にしたのが

ヘルムズリー家の家政婦が証言した発言「税金は庶民が払うもの」

1989年6月に起訴された。
夫のハリーは80歳で記憶障害も認定されハリーは外された。

1992年3月18日判決がでた。有罪で罰金と4年の服役の実刑判決。

刑務所に入る前にレオナのテレビ出演している。

「お願い誰か助けて」と涙ながらに訴えた。

しかし、実刑は変わらず、収監された。

高齢であったこと、夫の病気も案じて
最終的に18か月の収監と社会奉仕に軽減

1993年に服役を終えると、篤志家として、病院建設などに寄付を始めたが
次々と不当解雇などで元従業員から訴訟を起こされ続け、莫大な賠償金を支払った。

ハリーが病床につくと、長年のビジネスパートナーたちからも放漫経営を理由に訴訟を起こされた。

「わたしのおとぎ話は終わった」

1997年にハリーの死去「わたしのおとぎ話は終わった」

ハリーと前妻との間には子供がなくレオナとの間にも子供がなかったため
ハリーの全財産を相続した。

随分と処分をしたがそれでも600億円といわれる

訴訟をおこしていたビジネスパートナーたちに同社を売却し、
慈善活動家として寄付を続ける

2007年、富裕層が多く住むことで有名な高級住宅街コネチカット州グリニッジの豪邸で「わたしのおとぎ話は終わった」と言い残し病死した。

87歳だった。

遺言書には

弟に約17億円、孫たちに12億円

そして世間を驚かせたのは愛犬のマルチーズに14億円を送ると記してあった。

ハリーの死後、誰も寄り付かなかくなっていた。
そして、彼女の家族、唯一の心のよりどころだった。

その名前は「トラブル」すべてのトラブルから遠ざけるためだった。

しかし、孤独な死で最後に残ったのは愛犬だけだったのだろう。

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