フランクモリスはアメリカの天才脱獄王!映画にもなった アルカトラズ連邦刑務所からの脱出方法は?

フランクモリスはアメリカの天才脱獄王!映画にもなった
アルカトラズ連邦刑務所からの脱出方法は?

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目次

フランクモリスは天才脱出王

フランクモリスは、アメリカの天才脱出王

1926年9月1日生まれでか1962年6月11日失踪
脱獄不可能とされたアルカトラズ連邦刑務所から脱出した人物として知られている。

アルカトラズ連邦刑務所とは

脱出不可能とされていたアルカトラズ連邦刑務所。
アルカトラズ連邦刑務所はアルカトラズ島に建てられている。

アルカトラズ島は、アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンフランシスコ湾内、サンフランシスコ市から2.4kmのところに浮かぶ、面積0.076km2の小島。

1848年、シエラネバダ山脈の麓で金が発見されてゴールドラッシュが始まり、サンフランシスコは多くの船が寄港する重要な地となり、1852年に灯台が設置される。

1853年には、アルカトラズ島をサンフランシスコ湾の守りとするための要塞化工事に着手する。

南北戦争(1861年 – 1865年)の直前までに、86門の大砲が島を巡らすように設置される。
南北戦争中は、アルカトラズ島は南部連合のサンフランシスコ湾への侵入を防ぐ役割を果たす。

南北戦争後は、大砲は撤去され、中には、弾薬庫などが設けられ
防弾壁が島を取り囲むように建てられた。

南北戦争の頃から、島は監獄としての役割も果たすようななっていた。
地下の留置場に、島内や周囲の砦から送られた脱走兵、窃盗犯、酔っ払いなどが収容される。
反逆罪のこのアルカトラズ島に送られたという。

1906年「アルカトラズ島・合衆国軍事刑務所太平洋支所」となる。
1912年に3階建ての大型監房棟が島中央にでき、合計600の監房、厨房、食堂、病院、運動場、管理事務所などを備えた大刑務所になる。
発電所も設置されたという。

1915年、島は「合衆国矯正兵舎太平洋支所」と改名
教育と更生に力が入れられた。

しかし、島内への水と食糧の供給にコストがかかったため
1933年 アルカトラズ島の刑務所を閉鎖となる。

1934年7月1日、軍から連邦司法省刑務所局に移管され
アルカトラズ連邦刑務所を開設

「社会の敵」である凶悪犯を収容する施設となる。

1934年4月 脱走対策に力を入れ、上からすべてを見下ろされるように「ガン・ギャラリー」が高い所に設置。

どの監房も建物の外壁とは接しないようになっていた
食堂の天井には催涙ガスの噴射装置が取り付けられていて
ガン・ギャラリー又は外部の監視場所からの遠隔操作で噴射できるようになっていた。

「ザ・ロック、監獄島」とも呼ばれ、脱獄できない刑務所されていた。
1963年まで続くことなります。

アメリカ合衆国 〒94133 カリフォルニア州 サンフランシスコ

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フランクモリスが脱獄した方法とは

1962年6月11日、フランク・モリスとアングリン兄弟が監房から消えるという有名な脱獄事件が発生した。

ベッドには作り物の人間の頭を設置した。
手製のドリルで通気孔が広げ、
夜の見回り時に気付かれないように、壁の後ろのパイプなどを伝って建物から脱出、煙突を登って屋根伝いに脱出する。

かねてから用意しておいた手製のいかだで島の北東部からで脱出を図ったと見られている

看守がモリスらの脱獄に気づいたのは翌朝でした。
直ちに連邦捜査局 (FBI) は大勢の捜査員を動員し、沿岸警備隊や地域の捜査官と共に追跡を開始します。

その後、いかだの一部やエングリン兄弟の物であった防水バッグなどが発見されますが、見つからず、島外にたどり着いたかは不明とされています。

遺体が見つからなかったが、FBIは1979年に捜索を中止しフランクモリスとエングリン兄弟がサンフランシスコ湾で溺死したと断定しました。
実際のところはどうなのか謎となっています。

彼らが強盗などの常習犯であったにもかかわらず、現在に至るまで一度も捕まっていないことが理由として挙げられている。

その後
1963年3月21日にアルカトラズ刑務所は閉鎖されました。

フランクモリスのプロフィール

生誕    1926年9月1日
出身    アメリカ合衆国・ワシントンD.C.
現況    消息不明
死没    ?
罪名    強盗
刑罰    懲役刑
有罪判決  強盗罪

幼い頃から里親に育てられ、13歳の頃には犯罪に手を染めた。
10代の後半に麻薬所持や強盗の罪などで逮捕される。
IQは133だったと言われている。

囚人番号はAZ1441

フランクモリスの脱獄計画

1960年1月20日 フランクモリスは、アルカトラズ連邦刑務所に護送される
フランクモリスはアルカトラズに着いて間もなく脱獄を計画したとされています。

実際に脱獄したのは、フランクモリスとエングリン兄弟
(ジョン・エングリンとクラレンス・エングリン)の3人

しかし、計画ではその他に、アレン・ウェストも加わっていた。
脱獄時に独房内の換気口の格子が切断できなかったため、脱獄できなかったとされている。

約2年間に渡ってモリスとエングリン兄弟はいかだと自分たちに似せた人形を作った。

いかだは、長細い浮き袋を三角形に組み合わせ、その間にシートを貼り付けたものだった。
人形は、紙くずと、粘土や穴の削りくずを合わせた。

1962年3月 ようやく独房の裏手へと続く穴を掘ることに成功する。仕事場から穴を掘る道具を盗み取り、交替で穴を掘ったという。
そして、1962年6月11日の夜、脱獄は実行されました。

『アルカトラズからの脱出』が映画化

脱獄が成功したのかどうか、疑問なところが多いこの脱獄劇
そのことを

後にクリント・イーストウッド主演の映画
『アルカトラズからの脱出』に描かれることになります。

その他にもアメリカの『怪しい伝説』という番組の企画で

当時のモリスらと同じ材料同じ道具で作ったイカダで
サンフランシスコ湾を渡れるか実験し、成功している。

脱獄に成功した3人は本当はどうしたのでしょうか?
永遠の謎ですね。

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