金栗四三はマラソンオリンピック日本人初出場で最下位記録! 「マラソンの父」箱根駅伝開催に尽力「いだてん」のモデル
金栗四三はマラソンオリンピック日本人初出場で最下位記録!
「マラソンの父」箱根駅伝開催に尽力「いだてん」のモデル
目次
金栗四三(かなくりしそう)はマラソンオリンピック選手
金栗四三(かなくりしそう)さんが出場したオリンピックは
明治45年。1912年のスウェーデン、ストックホルムオリンピック。
前年1911年の予選会に出場、マラソン足袋を履いて
当時の世界記録を27分も縮める大記録を出してマラソンでオリンピックに出場した日本人で初めての選手です。
当然、金栗四三さんは金メダル候補でした。
しかし、その結果はというと。
金栗四三はマラソンオリンピック最下位記録保持者
金栗四三さんのストックホルムオリンピックのマラソンの記録は
54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3
このゴールテープを切った瞬間に
「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」
とアナウンスされました。
この記録、54年8か月6日5時間32分20秒3という記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録
この記録を塗り替えられることはないだろうと言われています。
なぜ、そのようなことになったのかというと
1912年第5回ストックホルムオリンピックのマラソンのレース中に
金栗四三さんは、日射病、現在の熱中症で意識を失って倒れ
近くの農家で介抱されました。
金栗四三さんが気が付いたのは、翌日の朝でした。
レースは終わっていて失意の中金栗四三さんは帰国します。
それから55年後の1967年、昭和42年に金栗四三さんは、
スウェーデンのオリンピック委員会は、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待されることになります。
この時に、スウェーデンオリンピック委員会は、1912年のオリンピックの記録を調べたところ、金栗四三さんは
「競技中に失踪し行方不明」となっており、棄権とされていなかった。
そこで記念式典で金栗四三さんをゴールさせることになったのでした。
金栗四三さんはゴール後のスピーチで、
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」
とコメントしています。
スウェーデンのオリンピック委員会も、金栗四三さんも
粋なことをしますね。
その後、ストックホルムオリンピックの100年後の
2012年には、金栗四三さんのひ孫の男性が、金栗四三さんを
介抱した農家の子孫を訪ねに行くという、またステキな話は続いているそうです。
金栗四三はマラソンでオリンピックに3度出場
1912年のストックホルムオリンピックの予選で27分も世界記録を縮めるタイムを出していた金栗四三さんは金メダルを期待されていました。
次のオリンピックは1916年(大正5年)のベルリンオリンピック
しかし、第一次世界大戦の勃発で開催中止となってしまった。
その後も
1920年(大正9年)アントワープオリンピック では16位
1924年(大正13年)パリオリンピックでは 途中棄権
とメダルを獲ることはできなかった。
金栗四三さんがメダルを取れなかったのは
いろいろなコンディションの問題があるとされている。
現代では考えれないことばかりが当時はあったようです。
特にストックホルムオリンピックでは
オリンピックに初参加のためスケジュールや選手の体調管理などのノウハウが全くなかった。
スウェーデンには船とシベリア鉄道で20日もかかって負担も大きかった。
スウェーデンは白夜だったため睡眠が十分に取れなかった。
スウェーデンには白米がなく予算の都合で人数分をもっていくことができず、食事面での苦労が大きかった。
マラソンの当日、金栗四三さんの迎えの車が来ず、試合会場まで
走っていかなければ、ならなかった。
マラソンの父、箱根駅伝の開催に尽力
1917年 (大正6年)、駅伝の始まりとされる東海道駅伝徒歩競走
(京都の三条大橋と東京の江戸城・和田倉門の間、約508キロ、23区間)
の関東組のアンカーとして出走。
1920年(大正9年)第1回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の開催のために尽力している。
金栗四三のプロフィール
氏名 金栗四三(かなくりしそう)
生年月日 1891年8月20日
生誕地 熊本県玉名郡春富村(現・和水町)
没年月日 1983年11月13日(92歳没)
死没地 熊本県玉名市
自己ベスト 2時間32分45秒
学歴 旧制玉名中学を卒業
東京高等師範学校(現・筑波大学)入学
金栗四三有名な言葉「体力、気力、努力」
金栗四三の名前が残る
1969年(昭和44年)に、金栗本人が卒業した旧制玉名中学を継承した熊本県立玉名高等学校の敷地内に銅像が設置
金栗四三さん本人が除幕式に出席しています。
2018年(平成30年)11月、九州新幹線新玉名駅の駅前広場にも銅像が完成。
金栗四三さんの娘さん3人が除幕式に出席
「金栗四三杯」が創設されている。
富士登山駅伝では一般の部の優勝チームに金栗四三杯が贈呈されている。
箱根駅伝では2004年(平成16年)より最優秀選手に対して金栗四三杯が贈呈されている。
「金栗記念選抜中・長距離熊本大会」
「金栗杯玉名ハーフマラソン大会」
熊本県民総合運動公園陸上競技場の愛称「KK ウィング」は金栗にその名を由来
いだてんのモデルに
2019年のNHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』
あらすじは
日本が初めて夏季オリンピックに参加した1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックから、幻となった東京オリンピック(1940年の予定が、戦争で返上)開催を決めた1936年(昭和11年)のベルリンオリンピック(1936年)
1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催までの52年間の知られざる歴史を章立てに分けて
日本人初のオリンピック選手となった「日本のマラソンの父」金栗四三と、
東京オリンピック招致に尽力した田畑政治(日本水泳連盟元会長)の2人の主人公をリレーする形式で描く
歴史ものでも明治以降のものは、33年ぶりだという。
さらにスポーツ選手が主役というのは初めての試みだという。
脚本は宮藤官九郎さん。
あまちゃんのスタッフ陣で臨む。
劇中音楽も『あまちゃん』の音楽も担当した大友良英さんに
金栗四三役には中村勘九郎さん
田畑政治役を阿部サダヲさんと
今までない大河ドラマが期待できるかもしれない