湯木尚二(ゆきしょうじ)はささやき女将船場吉兆の次男!廃業から日本料理店湯木4店舗へ
湯木尚二(ゆきしょうじ)はささやき女将船場吉兆の次男!廃業から日本料理店湯木4店舗へ
船場吉兆の息子、どん底からの“逆転人生”「日本全国を敵に回した」#山里亮太 #杉浦友紀 #逆転人生 #船場吉兆 #湯木尚二 @YAMA414 https://t.co/GUvIxF82yZ
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目次
湯木尚二(ゆきしょうじ)はささやき女将船場吉兆の次男
1969年生まれの湯木尚二さん、2020年で51歳になります。
船場吉兆のささやき女将の会見が話題になったのは、2007年12月10日の事でした。
ささやき女将である湯木佐知子さんは、長男の湯木喜久郎さんと共に、2007年に発覚した船場吉兆の食品偽装の釈明会見をしました。
緊張で記者の質問に答えられない長男の湯木喜久郎さんに対して
答えを助け舟として小声でささやいて長男がそのまま答えるという「腹話術のような」会見でとても話題になり「ささやき女将」と呼ばれました。
しかし、マイクの性能が良すぎて女将が言ったことはすべて
拾われていました。
これは相当なバッシングになりました。
船場吉兆の破産の理由は
2008年5月28日船場吉兆は会社を廃業することなり
2008年5月29日湯木佐知子さんと夫の正徳さんも自己破産の申し立てをしました。
船場吉兆は、1930年創業の大阪の高級日本料理の料亭「吉兆」から暖簾分けされた料亭です。
創業者の湯木貞一さんは、1991年暖簾分けでそれぞれ独立させました。
長男が本吉兆、長女の婿が東京吉兆、次女の婿が京都吉兆、三女の婿が船場吉兆、四女の婿が神戸吉兆となりました。
ささやき女将の湯木佐知子さんは、創業者の湯木貞一さんの三女ということになります。
湯木佐知子さんの夫、板前だった婿の正徳さんは、社長となり
福岡市に博多店を開店し九州に進出します。
さらに大阪の阪急百貨店や福岡の博多大丸と連携して、吉兆ブランドを多角化していきました。
採算重視のため、デパートでの賞味期限の表示の偽装が発覚。
さらに、産地偽装、みそ漬けの産地偽装も発覚します。
料亭の方でも梅酒を無許可での販売、客の食べ残しの再利用などの不祥事がどんどん発覚していきました。
極めつけにその偽装をパート女性の独断だと主張したのでした。
船場吉兆は信用はなくなり予約はほとんどなくなり、廃業となるのでした。
湯木尚二は料理を続けていた
老舗高級料亭「吉兆」の創始者の孫として、「船場吉兆」の次男として、裕福なお坊ちゃまだった湯木尚二さん。
船場吉兆の破綻で人生は一変します。
湯木尚二さんは、会見に出席していなかったとはいえ
家族ぐるみでバッシングに相当あったそうです。
船場吉兆は廃業となり、両親は自己破産に追い込まれました。
2008年当時、湯木尚二さんは38歳でした。
タワーマンションから一人でワンルームマンションに引越したそうです。
それでも料理は続けていました。
湯木尚二は自分の店を出す
大変な経験をされた湯木尚二さんでしたが
だからこそ料理に向き合い、原点の「おもてなし」という原点に気が付いたそうです。
そして、6坪の小さなお店「南地ゆきや。」
2010年10月に開業します。
2店舗目を開店
2011年3月 大阪、北新地 「日本料理 湯木本店」
その後お店を増やしていきます。
日本料理 北新地 湯木 永楽町
〒530-0002
大阪府大阪市北区曾根崎新地1丁目7-21 エスパス北新地8
日本料理 北新地 湯木 本店
〒530-0002
大阪府大阪市北区7 曽根崎新地1-7-12 ダーリンビル一階
北新地 湯木 新店
〒530-0003
大阪府大阪市北区堂島1丁目5-39 Four Seasons7 1F
日本料理 湯木
〒542-8501
大阪府大阪市中央区心斎橋筋1丁目7-1
日本料理 湯木 心斎橋店
〒542-8501
大阪府大阪市中央区心斎橋筋1丁目7-1大丸心斎橋店本館 10F
湯木尚二が逆転人生に出演
【今夜から2年目の…】
「逆転人生」です。
で、山里さん&杉浦アナがこの1年を振り返り、2年目の抱負を…という動画があるんですが、この1年で逆転した人って山里亮太さんアナタでは?という件。6(月)夜10:00[総合]※予定https://t.co/YJS2y5Ur29 pic.twitter.com/4XISF5Z3pd
— NHK広報局 (@NHK_PR) April 6, 2020
2020年4月6日(月)22時00分~22時45分の放送の逆転人生は
逆転人生「船場吉兆の息子が語る 転落からの生き直し」
予告は
食品偽装が発覚し、廃業に追い込まれた料亭・船場吉兆。経営陣の一人だった次男の転落と生き直し。壮絶なバッシング「外に出るのが怖かった」再び料理の道へ。奇跡の出会い番組内容
「一度は日本全国を敵に回した」と語るのは、船場吉兆の経営陣の一人だった湯木尚二さん。謝罪会見に出席した母親が「ささやき女将」と報じられるなど、家族ぐるみで壮絶なバッシングにあった。十数年前の大騒動の裏側を改めて語る。その後湯木さんは、再び料理の道へ。わずか6坪の小さな店でお客に真摯に向き合い「もてなし」という原点を取り戻していく。「あの事件で色々なものを失ったけど、一番大事なことに気がついたー」