斎藤俊男は「葱王」人気のブランドネギを!ブラジルの出稼ぎからティー・エスグループ会長で学校「ネギの奨学金」

斎藤俊男は「葱王」人気のブランドネギを!ブラジルの出稼ぎからティー・エスグループ会長で学校「ネギの奨学金」

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目次

斎藤俊男は葱王人気ブランドネギを

斎藤俊男さんは、「葱王」というブランドネギを作っていて
日系ブラジル2世です。

斎藤俊男さんのプロフィールは

両親は戦後、ブラジル南部パラナ州に渡った移民。
1967年 ブラジル・パラナ州で生まれる、8人きょうだいの末っ子
1990年 ブラジルの州立大学を卒業後、体育教師に

1990年 22歳の時に日系3世の妻・富子さんと出稼ぎで日本に
日本で改正出入国管理法が施行され、日系3世までの就労が認められた。
「デカセギだったけど、親の祖国を見たかった。自分のルーツだから」
と当時を斎藤俊男さんは語っています。
一緒に付いてきた奥さんも凄いですね。
3世となると日本語はそんなに話せないのでは?

斎藤俊男の来日当時は工場勤務

出稼ぎにきたばかりの時には、岐阜県や埼玉県の自動車部品工場などで働いたそうです。
当時の日系ブラジル人の多くは、仲介業者を通じて仕事をもらうのがほとんどだったからだそう。

残業が月110時間を超える月もあって、とても忙しかった。

斎藤俊男さんは、2世なので比較的日本語が上手で、面倒見もよかったことから、、就職面接の通訳を頼まれたそうです。

知り合いの社長さんが「これをビジネスにしたら?」との助言をもらい、
27歳の時に会社を設立。
奥さんと必死に元手を溜めたと言います。

人材派遣会社「有限会社ティー・エス」を設立

1995年 27歳で人材派遣会社「有限会社ティー・エス」を設立。

自分も弁当工場で働きながら、日系人を自動車部品の工場に派遣するビジネスを始めた。

「七本木レインボー保育室」を設立

ポルトガル語で子供の世話をする保育室を会社の中に設けることで、敬遠されがちの子持ちの日系人の雇用もしやすくしていった。

安価な労働力と社長の面倒見の良さが評判を呼び、
取引先は25社に、派遣社員も450人にまで増えました。

2002 「株式会社ティー・エス」に組織変更

仕事は順調に進んでいました。
しかし、長くは続きませんでした。

3億円の借金からの逆転

2008年、リーマンショックが起こり、生活は一変します。
仕事が無くなったのです。派遣社員は、80人にまで減りました。

斎藤俊男さんは、日系人社員のために建てたアパートの建設費が借金として残ってしまったのでした。
月々の返済額は、300万円以上だったそうです。

税金を払えないことを役場に相談に行った時に、荒れた土地が沢山あることに気づいたそうです。
役場の人に聞くと「後継者がなく放置された農地が増えている」
ということが耳にします。

「これを活用して農業することを思いついた」とそうです。

買ったばかりの1600万円の高級車を800万円で売り、
それを資金にトラクターなど農機具を買いそろえました。

さらに、銀行には、現状を正直に話すと、期間を5年の延ばしてくれたそう。

これまで、一度も返済に遅れがなかったこと。
正直に早めに話してくれたこと。
高級車を売って、農機具を買いそろえ、自分は、社長なのに古い軽自動車に乗り換えたこと。

など、銀行は評価してくれて、当面は、利子だけの支払いでいいとしてくれたそうです。
日本の銀行もすごいですね。

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農業に取り組むも新たな壁が

役所、銀行と何とか、クリアし、社員にも給料は払えないけれど
パートナーとしてやってほしい、売り上げは平等に分けると訴えて8人の有志が参加してくれた。

いざ、農業に取り組もうとしたときに
新たな壁がが斎藤俊男さんに立ちはだかります。

「農地を貸して欲しい」と農家を訪ね歩くも
「外国人には、貸せない」と断られてしまうのでした。

農家は諦め、ある土地に目を付けました。
使用していた植木屋が倒産し、桜や桃の木々が伸び放題になっていた土地でした。

地主と何度も交渉し、地域活動に参加していたこともあって
地元の有力者の後押しもあり、2000平方メートルの土地を借りることができました。

手作業で木々を切り倒し、地中深く食い込む根っこを掘り起こす。農地にするのに3カ月かかった。

「祖先がブラジルで開墾したのと同じことを、自分たちが日本でやっている」
と斎藤俊男さんは思ったそうです。

不要になったビニールハウスを譲り受け、キャベツやブロッコリーの栽培を始めました。

価格が安定しない野菜だったため、安定するものをということで
2009「長ネギ」の栽培をはじめました。

農業をしたことがない素人の集まりだったため、何もかも初めてでした。
長ネギの栽培方法も初めはインターネットの動画を探したそうです。
でも、土地によって栽培が違うということに気づき、
地元の農家に人に相談したという。

思い立ったら行動すると言う、斎藤俊男さんがとにかくすごいですね。

その男性は、一から丁寧に教えてくれたという。

化学肥料を減らし、土にサンゴやミネラル酵素、納豆菌を配合した肥料を入れるなど、いい土作りにこだわった。

地元の農家の人たちも一生懸命な斎藤俊男さんたちを見て
認めてくれるようになったそうです。

初めは安い値段での取引でしかなかったけれど、くじけませんでした。
2012 農業生産法人「株式会社ティー・エスファーム」設立
2013 ブラジルで「TS ASIA」、タイで「T.S. (THAILAND) CO., LTD.」を設立
2014 ブランドネギ「ねぎ王」として商標登録。後に「葱王」へ変更

「ねぎ王(後に葱王」というブランドで商法登録し、差別化をアピール。
甘い葱として人気に。

さらに、「通常は消費者に届くまで6日ほどかかるけど、葱王は翌日とどく」をアピール。
すると、都内の百貨店や高級スーパーも取り扱ってくれるようになりました。
67軒の農家から農地を借り、埼玉県内の計25ヘクタールで栽培するまでになったそうです。

まさに借金からの逆転です。

斎藤俊男の更なる夢は学校

斎藤俊男さんは日系ブラジル人の教育にも力を入れました。
農業はあっさり、社長業を従業員の島根茂生さんに譲り、学校作りに情熱を注ぎます。

2009年 上里町で高校までブラジルのカリキュラムに沿ってポルトガル語で学べる学校「ティー・エス学園」を創設。

ブラジル人学校の学校法人「ティー・エス学園」が認可を受ける

斎藤俊男さんが理事長を務める「在日ブラジル学校協議会」に加盟するブラジル人学校は26校。

保育園を含め、ブラジルのほかフィリピンやペルーなど8カ国出身の約100人が通っているそうです。

2015年には、深刻な保育園不足を目にし、日本人も受け入れられる認可保育園を上里町に設立しました。

将来、ティー・エス学園のインターナショナルスクール化も見据える。

2018 日系ブラジル人の子どもの大学進学のため、返済不要の奨学金を出す「ティー・エス財団」を設立

日本に来て30年。

まだまだ、斎藤俊男さんの逆転人生は続くのですね。

斎藤俊男が逆転人生に


2020年2月3日(月)22時00分~22時50分の放送の逆転人生は

番組予告では

シェフも賞賛!甘さが人気のブランドねぎ。生産者はもともと出稼ぎに来た日系ブラジル人。荒れ地を手作業で開墾!?大雪に病害…逆境を何度も跳ね返す逆転パワーの源は?

番組内容
主人公の斎藤俊男さんは、日系ブラジル人2世として生まれた。
出稼ぎのため来日したが、あこがれの祖国で一旗あげるため起業。しかし「外国人の壁」に直面し、なかなか信用を得られなかったという。
農業ビジネスを志すも、当初、簡単には農地を貸してもらえず。
その後ねぎ栽培が軌道にのった後も、風評被害にあうなど壮絶などん底の連続だった。
ブラジルに渡り、ゼロから森を開墾した日系人たちの魂を受け継いだ熱き男の逆転劇。

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