宮﨑早希さんが語る、海王丸座礁事故「海の貴婦人」富山湾で大型帆船が台風23号に八田一郎さんは一等航海士だった
宮﨑早希さんが語る、海王丸座礁事故「海の貴婦人」富山湾で大型帆船が台風23号に八田一郎さんは一等航海士だった
目次
宮﨑早希さんは海王丸、富山港座礁事故の生存者
2004年10月20日22時47分、富山湾で起きた海王丸座礁事故。
海王丸「海の貴婦人」は台風23号を避けようと伏木富山港沖で錨泊(びょうはく=いかりを下ろして停泊すること)していたが、
暴風により走錨(そうびょう=錨の爪が反転して海底をかかなくなり、船が流されること)し、
伏木富山港富山地区の防波堤に座礁した事故です。
宮﨑早希さんは訓練生として、海王丸に乗っていました。
富山湾に錨泊していたにもかかわらず、流され始めたそうです。
時間は20時頃だったそうです。
宮﨑早希さんたち訓練生は、就寝しようとベッドに横になっていたが、大きな揺れに突き上げられて、ベッドから跳ねるように体が飛び上がったそうです。
船の揺れに慣れていた訓練生でしたが、体が宙に浮くほどの揺れは初めてだったそうです。
海王丸は「海の貴婦人」と呼ばれる大型帆船
2020年の「海王丸 総帆展帆」の予定が公表されました。
海王丸パークのホームページをご覧ください。https://t.co/7vAEFVmohV pic.twitter.com/DWH13Y5VsK— 射水市観光協会 (@imizu_kanko) 2020年1月16日
「船乗りを目指す者にとって大型の帆船「海王丸」は憧れでした。」
と当時の訓練生は、みなさん、語るように
「海の貴婦人」と呼ばれるほど美しく、航海士を目指す若者たちが訓練を受ける練習船だそうです。
もちろん、宮﨑早希さんもその一人でした。
海王丸の錨は「AC14型アンカー」だった
海王丸は総重量30トンの錨「AC14型アンカー」を下して走錨(そうびょう=錨の爪が反転して海底をかかなくなり、船が流されること)していたため、
大型台風23号が近づいていたが、大きな影響はないと考えていました。
AC14型アンカー?? pic.twitter.com/uZcu81Fdg8
— なおと (@tsuri_to_otaku) 2018年4月14日
所謂錨のマークとして知られる「?」のような錨(ストックアンカー)は現在は殆ど使用されていない
上部の横の棒(ストック)のないストックレスアンカーが現在は主流であり、その中でもAC14型(JIS-B型)というものが多く使われている#一般人の方が時々誤解していらっしゃること pic.twitter.com/bDXRBWSytl— ????Улаанбаатар хотын боомт???? (@mlginga) 2018年7月30日
海王丸は座礁してしまう
予測を超える波風の威力によって総重量30トンの錨「AC14型アンカー」は引きずられ、
2004年10月20日22時47分、伏木富山港の防波堤に激突、海王丸は座礁してしまう。
船の異常事態を知らせる船内放送が部屋に流れました。
「全員、ヘルメットとライフジャケットを着用し第1教室に集合せよ」
宮﨑早希さんが廊下に出て見たものは、
水浸しになって川のようになっていた有様でした。
既に水は、宮﨑早希さんたちの足首まであったそうです。
集合した第1教室は、甲板のすぐ下のフロアにありました。
ここまでは、水は来ないだろうと思っていると
船の強化ガラス窓が、巨大な波の力で割れてしまい、室内に海水が一気に入ってきました。
教室の中にあった、床にねじで固く止めれていた机やいすも
外れ、暴れまわったとそうです。
その襲ってくるいすや机は凶器のように思えたと宮﨑早希さんは語っています。
その後、船内は停電し、真っ暗になってしまいました。
その後、第1教室から逃げ出すも次の部屋もどんどん浸水し、
天井を見上げ、天井までの距離が自分たちの自分たちの余命だと
宮﨑早希さんたちは、覚悟をしていたそうです。
八田一郎さん一等航海士は甲板で闘っていた
訓練生が集まった第1教室には、一等航海士の八田一郎さんの姿はなかった。
訓練生には、憧れの的であり、頼りになる「チョッサー」船のナンバー2です。
八田一郎さんは様子を見るために甲板に出ていました。
しかし、物凄い風と雨で甲板に体を打ち付けてしまいました。
ライフジャケットを着ていたおかげで、手すりに引っ掛かり
海には間一髪投げ出されずに済んだそうです。
「もしライフジャケットを着ていなかったら私はここにいないかもしれない」
と、当時を思い出し、語っているそうです。
八田一郎さんは、ロープで体を手すりに縛り付け、2時間もの間、甲板上で打ち付ける大波に耐えていた。
その後、意を決して、ロープを外し、船内にいる訓練生の元へ戻るのでした。
八田一郎さん生きて訓練生を陸に返す
訓練生の元に戻った八田一郎さんは、
「ここにいる全員を絶対生きて陸に返す」と心に誓ったそうです。
ずっと、水の中にいると、体温が奪られるため、訓練生たちは
交代して寒さを凌いだそうです。
海王丸に海上保安庁「海猿」が到着
海上保安庁のヘリが現場に到着したのは、翌朝でした。
しかし、依然つよい風が吹き、大波が甲板に押し寄せた状態で
救助のエキスパートの精鋭中の精鋭の特殊救難隊「海猿」でも
救助困難な状態でした。
帆船はロープが張り巡らされている。
ヘリから隊員がロープで降りる時に帆船のロープと絡まってしまうと
ヘリコプターの墜落さえしてしまう危険もある。
まだ強風は収まっていない。
しかし、甲板で大波が打ち付けられている中、3人の乗組員が耐えている姿を見て、「海猿」は救助を決断し、開始したという。
決死の覚悟で海猿たちは、甲板に下り、3人の乗組員を救助しました。
途中、海猿の隊員が波にのまれて海に落下してしまった
しかし、海面に浮かび上がり、助かったのでした。
日ごろに訓練のたまものです。
167人全員救助される
その後、午前11時ころ、波が収まったころを見計らって
船内に救助に向かいました。
暗闇の中で17時間、船内で耐え続け、午後3時21分全員167人、救助されたのでした。
事故後、海王丸は、元の美しい「海の貴婦人」に修繕されて、
今も、練習船として運航しています。
この事故を大きな教訓として、安全訓練を強化し、日本の海上輸送を支える船乗りたちを育成しているそうです。