勝浦ホテル三日月は武漢の帰国者を小高芳宗社長の決断で受け入れへ

勝浦ホテル三日月は武漢の帰国者を小高芳宗社長の決断で受け入れへ

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目次

勝浦ホテル三日月は武漢の帰国者を小高芳宗社長が受け入れ


2020年1月29日武漢からのチャーター機の第1便の帰国者206人のうち191人を受け入れた民間のホテルが

小高芳宗社長の「勝浦ホテル三日月」でした。

ニュースなどで「勝浦ホテル三日月」に帰国邦人が宿泊すると
報道されると、さまざまな意見が。

ホテル関係者によると、2020年1月28日午後に、政府から要請を受けた小高芳宗社長から、帰国した邦人を受け入れる方針が伝えられたそうです。

入っていた宿泊予約客には、
政府の要請で危機状況の対応施設になった旨だけ伝えて、

車で約20分離れた隣の鴨川市の、鴨川スパホテル三日月への振り替え宿泊を依頼したそうです。

観光地で風評被害と心配の声もある中でも、帰国邦人を受け入れた勝浦ホテル三日月に応援の声が出ています。

勝浦ホテル三日月の公式ホームページで発表

小高芳宗社長の勝浦ホテル三日月のホームページでは、2020年1月31日に正式に発表しています。

「お知らせ」として次のコメントを載せています。

既に、報道等にて御承知のとおり、中国人民共和国湖北省武漢市での新型のコロナウイルスの感染拡大を受けて、日本政府は、現地に滞在する日本人の希望者を帰国させるため、28日夜、中国武漢に向けてチャーター機を派遣し、翌29日、武漢在住の日本人206人が帰国しました

当社は、政府の強い要請のもと、都内の医療施設で検査を受け帰国した日本人206人のうち、特段の症状がなく、宿泊施設での経過観察を希望した191名全員を、勝浦ホテル三日月で受け入れました

勝浦ホテル三日月内において、政府事務局が設置され、医師等の常駐のもと、政府、千葉県、勝浦市及び関係諸機関との緊密な連携を取りながら、感染予防対策等を行っており、勝浦ホテル三日月としても、当社従業員の安全に最大限に配慮しつつ、協力しております
政府からの要請に接し、様々な困難があることも予想されましたが、当社は、同じ日本人として、帰国者のために、政府の要請に応えることを決断しました。

当社は、本件の受け入れのみならず、これからも地域、日本の繁栄のために邁進していく所存です。

どうぞ、皆様のご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします

これを受けてTwitterなどでは、
「風評に負けず、頑張って下さい」
「困った人に尽くそうとしてる良いホテルですね」
「ホテル三日月の名前を忘れてはいけませんね。感謝します」

など、応援のツイートがあがっているそうです。

勝浦ホテル三日月は「地域貢献」の経営理念が

勝浦ホテル三日月は、2019年9月、台風15号による停電や断水被害があったときも、近隣住民に大浴場を無料開放する措置を取りました。

近隣住民からは感謝の声が上がっていました。

現社長の小高芳宗さんの祖父、2017年に亡くなった創業者の小高芳男会長が掲げた経営理念の1つ「地域貢献」あるそうです。

この遺志を継いだ小高芳宗社長が、
「皆さんが大変な時に助けてあげなければ意味がない。何のためのホテルだ」
と職員を鼓舞したそうです。

ホテル関係者は応援のツイートはとてもありがたいと感謝しているそうです。

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勝浦ホテル三日月での帰国邦人の様子は

帰国邦人は、風呂とトイレは部屋に備え付けのものを使用し室外には出ていないことになっています。

食事や飲み物は、ホテル側が弁当と3種類の飲み物、果物を朝、昼、夜と1日3回、事前に時間を決め、スタッフが客室の前に弁当を置き、スタッフがいなくなったところで客にとってもらう形をとり、客とスタッフが直接は接しないようにしている

さらに医療体制も地域で可能な限りの体制が敷かれているそうです。

鴨川市の亀田総合病院は感染症科があってこの病院の看護師がホテルの常駐しています。
何かあれば車40分で医師が駆け付けることになっています。

チャーター機の第1便の191人全員を受け入れた勝浦ホテル三日月ですが、

客室が177室しかなく、一部相部屋になってしまったことが
問題になっていました。

その後、症状がないのにウイルス検出した2人が入院。
さらに、2人が別の施設に移動したことで少しは解消されているがまだ相部屋の方もいらっしゃるようです。

はじめは相部屋に不満もあったようですが、2週間部屋から出られずにいるのなら、人にもよりますが、誰かと一緒にいた方が気が紛れることもあるかもしれません。

勝浦ホテル三日月、ホテル三日月グループの歴史は

勝浦ホテル三日月は創業者は現社長小高芳宗さんの祖父小高芳男さんでしたが、調べるとさらにさかのぼります。

歴史がある小高家でした。

明治43年、1910年に房総乗合馬車合資会社として勝浦 – 鴨川間で乗合馬車を運行開始します。

4年後の大正3年(1914年)小高鶴治が三日月旅館(現・三日月イン)の旅館を創業。先見の明があったのですね。

1919年(大正8年) 房総乗合馬車、三日月自動車合資会社(現・小湊鐵道)に改組。小高鶴治は三日月自動車最大の出資者だった

1932年(昭和7年) 三日月自動車内部の権限争いにより、
小高が三日月自動車の経営から離脱し、
外房遊覧自動車株式会社(現・鴨川日東バス)の設立に参加。
三日月自動車より小高の出資分である、鴨川 – 保田、太海 – 興津、天津 – 清澄間を外房遊覧自動車に割譲。

小高芳男さんは、2017年に87歳で亡くなっています。
すると、小高鶴治さんは祖父にあたるのでしょうか。

ホテル三日月グループは

グループの創業者は故 小高芳男氏

ホテル三日月グループは千葉県内の外房に「勝浦ホテル三日月」
「鴨川ホテル三日月」
内房の木更津に「龍宮城スパホテル三日月」、
栃木県日光市に「きぬ川ホテル三日月」とともに
ベトナム国ダナン市のヴィラを含む5ホテル1113室を所有しており、国内9社・海外1社の会社によって運営されている

ホテル三日月のはじまりは、勝浦ホテル三日月からです。

1961年(昭36)「勝浦ホテル三日月」創業
当初は10室からのスタート
1961年(昭36)「小湊ホテル三日月」(現・鴨川ホテル三日月)も開業
1996年(平成8年)勝浦ホテル三日月で温泉掘削に成功。
地下800mから湧出する炭酸水素塩泉の「勝浦三日月温泉」を掘り当てる。
2000年(平成12年)木更津金田海岸に敷地3万坪の日帰り温泉施設として「スパ三日月龍宮城」開業

栃木県内でホテル1軒、ゴルフ場とレジャー施設も運営。
ベトナム・ダナンに120億円を投じた複合リゾート計画を進行中。千葉県内で5カ所のメガソーラー発電所も運営。
「ゆったり たっぷり の~んびり」で始まるCMソングも人気。

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