加藤隆生のバンドは「ロボピッチャー」「リアル脱出ゲーム」を考案し、社長に!動員数600万人!

加藤隆生のバンドは「ロボピッチャー」「リアル脱出ゲーム」を考案し、社長に!動員数600万人!

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目次

加藤隆生のバンドは「ロボピッチャー」メンバーは

「ロボピッチャー」のリーダーは加藤隆生さん。
加藤隆生さんは岐阜県生まれの京都府育ち。
生年月日は、1974年9月14日の45歳

同支社大学心理学部卒業後、印刷会社に就職する。
しかし、1年半で退職。

2002年1月にポップバンド「ロボピッチャー」を結成。
2004年3月1stミニアルバム「消えた3ページ」
2006年ユニバーサルミュージックよりデビュー。

「ロボピッチャー」メンバーは

伊藤忠之 キーボード・プログラミング・コーラス

ゲーム音楽制作者として「RPGツクール2000」などに携わった後に加入。
劇団ヨーロッパ企画の公演や「リアル脱出ゲーム」にも音楽担当として参加している。

有田さとこ ベース・コーラス
4歳からヴァイオリン、同志社大学在学中にベースを始める。

森崇 ドラム・コーラス
京都市出身。
13歳よりドラムを始め、1990年にレコーディングスタジオを設立
トラックメーカー、レコーディング・エンジニアとしても活動。

加藤隆生はフリーペーパー「SCRAP」からリアル脱出ゲームに

加藤隆生さんは「ロボピッチャー」を結成後は、音楽活動に専念していたが、大ヒットは叶わずにいました。

京都で音楽イベント「ボロフェスタ」を開催するために
フリーペーパー「SCRAP」を創刊します。

2004年7月、京都府京都市を中心に配布しました。

そのイベントに一環で「リアル脱出ゲーム」を2007年7月に京都で開催しました。

元々、加藤隆生さんは、従兄弟と3人で遊んでいた「リアル脱出ゲーム」がヒントになったそうです。

同志社大学で心理学を学んだこともドキドキさせる「脱出ゲーム」を作るのに役になったのではないでしょうか。

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加藤隆生は株式会社SCRAPの社長に

おばあちゃんの家で従兄弟2人で思いつきで始めた
「謎解き&宝探し」ゲームが「リアル脱出ゲーム」の元祖となったのでした。

その面白さに、やむなく参加した従兄弟2人もドはまりし、数分後には「お代わり」を要求する「謎解きジャンキー」になったのでした。

当初、おばあちゃんの家だけだった宝探しの範囲は、やがて総面積42平方kmにまで拡大。

謎解きの難易度や精度も上昇し、ルールも洗練され、いつしかタカオ家の正月行事に定着していた。
噂を聞いた友人らも参加して盛大に行われていたのだが、2001年、惜しまれながら終了してしまいます。

それがイベントとして復活をするのでした。

加藤隆生さんは、「リアル脱出ゲーム」が評判を呼び大人気になりイベントプロデュースを手がけるようになります。

2008年、株式会社SCRAP設立します。

売れないバンドマンが会社社長になったわけです。

2010年 1000人規模のイベント成功
2011年 謎解き会社の社長として上京
エヴァンゲリオンとコラ
2013年 TBSとコラボドラマ
2017年 メットライフドームで1万人動員

現在では、全世界で600万人を動員する「リアル脱出ゲーム」に人気は続いているのです。

加藤隆生「激レアさんを連れてきた。」に出演

2020年1月11日(土)22時10分~23時10分の放送

テレビ朝日「激レアさんを連れてきた。」に

ポップバンド「ロボピッチャー」の加藤隆生さんが出演します。

新年1発目の激レアさんは『従兄弟と3人で始めた何気ない遊びが、全世界で600万人を動員するリアル脱出ゲームに発展しちゃった人』。売れないバンドマンの大成功物語!

◇番組内容
新年1発目の激レアさんは・・・ 『従兄弟と3人で始めた何気ない遊びが、全世界で600万人を動員するリアル脱出ゲームに発展しちゃった人』

出演者

研究員
若林正恭(オードリー)

研究助手
弘中綾香(テレビ朝日アナウンサー)

客員研究員
川田裕美、佐藤隆太

リアル脱出ゲームでは600万人を動員するイベントを成功させているのに
加藤隆生さんの単独ライブでは「8人」だったという

それを聞いた若林研究員の付けた激レアさんのラベルは

売れる曲作りの謎はまだ解けていない人」と付けました。

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