中村裕(なかむらゆたか)パラリンピックの父「太陽の家」創設!障がい者スポーツに

中村裕(なかむらゆたか)パラリンピックの父「太陽の家」創設!障がい者スポーツに

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中村裕は日本のパラリンピックの父

中村裕(なかむらゆたか)さんは、お医者さんにして1964年東京パラリンピックを成功させた第一人者です。

パラリンピックの発祥の地は、イギリスのロンドン郊外と言われています。

第2次世界大戦で負傷した兵士の治療と社会復帰を行っていた病院が車いすアーチェリー大会を開いたことが、障がい者スポーツ大会の始まりだったそうです。
その後、車いすアーチェリー大会は、他国の参加する国際大会になりました。

1964年の東京オリンピックの時に、世界で初めて「パラリンピック」という呼称が使われました。
パラリンピックを2回行うのは東京パラリンピックが初めての都市になるということです。

1963年に開かれたパラリンピックの国際会議で日本は理事国に選ばれました。
その会議で
「東京オリンピックの時にパラリンピックも東京でやれないか」
と議案が出されて、中村裕さんが実現の指名を受けたのでした。

日本に帰り、厚生省を説得し、パラリンピックの開催のために奔走します。
日本選手団団長にも選ばれて日本の障がい者をめぐる歴史を変えた人物「日本のパラリンピックの父」といわれています。

中村裕と障がい者スポーツの出会い

中村裕さんの医師としての経歴は

中村裕さんは、1927年3月30日、大分県別府市で開業医の息子として生まれました。

1951年 九州大学医学部を卒業
1951年 九州大学病院整形外科医局に入局(医学的リハビリテーションを研究)
1958年 大分県の国立別府病院整形外科医長。
1960年 英国のストーク・マンデビル病院に留学(ルートヴィヒ・グットマンに師事)。
1961年 第1回大分県身体障害者体育大会の開催に尽力。
1966年 大分中村病院を設立。
1979年-1983年 国際パラプレジア医学会副会長。
1979年-1980年 日本パラプレジア医学会会長。

1965年 障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設
1975年 吉川英治文化賞を受賞。

中村裕さんは、31歳の1958年大分県の国立別府病院整形外科医長として着任。
脊髄損傷による患者の治療やリハビリテーション(リハビリ)の研究していました。

スポーツはリハビリ

同時の日本では、「リハビリ」という言葉すら知られていくて
医学界でも未知の分野だったいいます。

1960年 中村裕さん33歳、リハビリの研究生として欧米に派遣されます。イギリスのストーク・マンデビル病院でした。

そこで見た光景に衝撃を受けたといいます。
ストーク・マンデビル病院で、車いすの障がい者がバスケットボールをしていたのでした。

第2次世界大戦で負傷した兵士の治療と社会復帰を行っていたストーク・マンデビル病院。

この病院では「手術よりスポーツのほうが、リハビリテーション効果がある」と考えれらていました。

一生車いすで生活しなければならい人にとって車いすを自由に扱える筋力が必要だとその筋力を作るのにスポーツは一番いいことだとグットマン博士はいうのでした。

そして、スポーツは体のリハビリだけでなく心のリハビリにもなるとグットマン博士は続けます。

当時の日本では、車いすの障がい者は、社会生活を行うことさえ難しく、ましてスポーツをするなど考えられなかった時代でした。

さらに、ストーク・マンデビル病院では、グットマン博士の指導の下、スポーツを医療の中に取り入れて、残存機能の回復と強化を訓練し治療、多くの脊髄損傷患者がこれらの治療・訓練を受け、
8割以上の患者が半年以内に社会復帰を遂げていたことでした。

中村裕さんは、この手法を日本で実践する決意をして帰国したといいます。

当時の日本では、道路は舗装はほとんどされていなく、エレベーターも普及していない、車いすでは、外出することは難しく、差別や偏見も強かったので、家族も車いす患者を家から出すことは少なかったのがほとんどでした。

中村裕は障がい者スポーツ推進を

帰国した日本の病院では、「治療は安静が中心」
関係者全員が「患者にスポーツをさせること」に反対したといいます。

しかし、中村裕さんは諦めません。
自分の患者や医師、体育関係者、県庁、身体障がい者などを熱心に説得して、「大分県身体障害者体育協会」を設立します。

1961年10月22日 「第1回大分県身体障害者体育大会」を開催しました。
周りの反響では「障害者を見世物にするな」
「あなた、それでも医者ですか」などの批判を受けたといいます。
中村裕さんは、地方の活動ではなく国際大会を開催することを痛感したといいます。
そして、日本でのパラリンピックの開催を使命と考えました。

そのために世界大会への出場することで注目を浴びると
当時世界で唯一の障がい者スポーツ大会だった、イギリスのストーク・マンデビル大会に、日本人選手を送り込みました。

アジア初のストーク・マンデビル大会参加を成し遂げた中村裕さんは、世界の障がい者スポーツの関係者からも注目されるようにりました。

そして、1963年のパラリンピックの国際会議で日本が理事国として選ばれたのでした。

東京パラリンピック開催に向けて

東京パラリンピックの開催を指名された中村裕さんは開催に向けて動き出しました。

当時の関係者は、

「中村博士が突然私を訪ねてきて、
『東京オリンピックの後に、東京パラリンピックという脊髄損傷の国際スポーツ大会を開催しなければいけない』と言うんです。
しかも、『厚生省や関係者はいっこうに腰を上げてくれない。こんな状態では開催が難しいので呼びかけに協力してほしい』と・・」
『東京オリンピックの後に東京パラリンピックを開催できないとすれば、福祉国家ニッポンの看板は国際的にみて偽りになりますよ』
と強く訴えて東京パラリンピックの理解者を徐々に増やしていったといいます。

1964年11月8日 21か国428名が参加して東京パラリンピックが開催されました。
日本の成績は、金メダル1、銀5、銅4で、全体では13番目という成績でした。

中村裕さんは、日本選手団団長を務め無事に終了しましたが、とても複雑な思いだったといいます。

日本と西欧諸国の障がい者の差を見せつけられた大会だったからです。

外国人選手は試合後も行動的で明るく、ほとんどの人が仕事を持っており健常者と同じような生活をしていました。

一方日本選手は、弱々しく顔色も暗く、53人中仕事をしているのはわずか5人、他は自宅か療養所で世話を受けているのが現状でした。
日本の参加者は施設や病院暮らしの「患者」
それに対して西欧諸国の参加者は「アスリート」選手だったからです。

何よりも、大会期間中、西欧諸国の参加者は、自分でタクシーを呼び銀座へショッピングに出かけるなど一人の自立した人間として生き生きとした姿を見た時のショックは計り知れなかったそうです。
障がい者の自立で「太陽の家」を設立

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東京パラリンピックでのショックを受けて

1965年 「保護より働く機会を」をモットーにして
「太陽の家」を設立、保護にたよる日本の福祉を変えようと尽力します。

社会に対しては
「世に心身障害者はあっても仕事の障害はありえない。太陽の家の社員は、被護者ではなく労働者であり、後援者は投資者である」

オムロン・ソニー・ホンダ・三菱商事・デンソー・富士通エフサス等の企業と共同出資会社をつくり、多くの重度障害者を雇用しました。

太陽を愛したひと ~1964 あの日のパラリンピック~

東京オリンピックが2020年開催されるにあたり
1964年に初めてパラリンピックが行われた東京パラリンピックを成功に導いてた中村裕さん。

さらに障がい者の働く場として『太陽の家』を創設。
それまで、障がい者はおとなしく家で寝ているものという常識を覆し、障がい者の社会復帰や社会参加に一生を捧げた中村裕さんが
NHKでドラマになりました。

2019年8月25日(日)、BS1で午後10時~11時50分放送になりました。
脚本 山浦雅大
原案 三枝義浩「太陽の仲間たちよ」
音楽 栗山和樹
歌  サラ・オレイン
出演者
中村裕            向井理
中村廣子(中村裕の妻)    上戸彩
土山アキラ(車いすバスケ)  志尊淳
土山正之(土山アキラの父親) 山口馬木也
村上久子(事故で脊髄損傷)  安藤玉恵
岸本茜(「太陽の家」の事務員)飯豊まりえ
畑田和男(中村裕の理解者後輩医師)尾上松也

中村裕さんが奇跡体験!アンビリバボー

2020年10月15日(木)19時57分~21時00分の放送のアンビリバボーは

奇跡体験!アンビリバボー【日本にいた!パラリンピックの父と呼ばれた医師】

1964年東京パラリンピック実現のため活躍したのは、なんと日本人医師だった!患者たちを笑顔にしたい。その一心で行動し続け社会をも変えていく!

番組内容
希望溢れる奇跡の話、科学では解明できない超常現象、思わずぞっとする怪奇現象から衝撃映像まで、世界では信じられない出来事が日々起こっている。 そして何よりアンビリバボーなのが…『人の運命』。ほんの少しのきっかけによって人生が大きく好転する者がいれば、ちょっとしたボタンの掛け違いによって罪を犯し人生を狂わされる者も…。ビートたけしが案内役となり、予測不可能な出来事に人生を左右された人々のアンビリバボーな話をお送りします。

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