ダン・クーパー未解決ハイジャック事件(D.B.クーパー事件)|ティナ・マックローとフローレンス・シャフナーがノースウエスト航空305便に

ダン・クーパー未解決ハイジャック事件(D.B.クーパー事件)|ティナ・マックローとフローレンス・シャフナーがノースウエスト航空305便に

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ダン・クーパー(D.B.クーパー事件)未解決ハイジャック事件

D.B.クーパー事件とは、1971年11月24日水曜日の午後オレゴン州ポートランド国際空港からワシントン州シアトル・タコマ国際空港向かうボーイング727-100でノースウエスト・オリエント航空305便で起こった事件です。

ノースウエスト航空305便の乗客は、36人、
乗務員は、機長、副操縦士、航空機関士、客室乗務員3人
の合計42人で誰もケガもせずに開放されました。
乗客については、ハイジャックされていたことにも気づいていなかったということです。

ハイジャック事件のキーマンを整理しますと

犯人    ダン・クーパー(偽名で搭乗)
客室乗務員 フローレンス・シャフナー
客室乗務員 ティナ・マックロー

機長  ウィリアム・スコット
副操縦士のビル・ラタクザック
航空機関士のH.E.アンダーソン

客室乗務員のアリス・ハンコック
乗客 36人

アタッシュケースをの中に爆弾を持ってダン・クーパーはノースウエスト航空305便に搭乗しました。

14時30分ごろ、ダン・クーパーが客室乗務員にメモを渡し、午後5時までに現金20万ドルとフロントパラシュートとバックパラシュートを2つずつ用意し、シアトル空港での補給を要求しました。

ハイジャック事件(D.B.クーパー事件)の時間の経緯

1971年11月24日オレゴン州ポートランド国際空港から午後離陸、飛行時間はわずか30分でした。

14時30分ごろ、3分の1過ぎたころにダン・クーパーがメモを客室乗務員に渡し、ハイジャックが発覚する。

ダン・クーパーは、要求、身代金の現金20万ドル、パラシュート、シアトル空港での補給を要求する。

その後、ノースウエスト航空305便は、管制塔の指示に従ってピュージェット湾上空を2時間近く旋回し続けました。

17時24分、ダン・クーパーの要求が叶えられたことを通知される

17時39分、シアトル・タコマ空港に到着

ノースウエスト航空305便の補給を行い、乗客36人と客室乗務員のアリス・ハンコックとフローレンス・シャフナーを開放する。

19時40分、機長のウィリアム・スコット、副操縦士のビル・ラタクザック、航空機関士のH.E.アンダーソン、客室乗務員のティナ・マックローの4人を乗せてダン・クーパーは、ノースウエスト航空305便シアトル・タコマ空港を再離陸させる。

ダン・クーパーは、客室乗務員のティナ・マックローに階段を下ろす方法について説明したという。

離陸後、ダン・クーパーは、客室乗務員のティナ・マックローにコックピットに入り、ドアを閉めるように言う。

20時ごろ、警告灯が付き、クルーは後部扉が開いたと気づく。
20時13分ごろに、機体後部が突然上方へ跳ね上がる。(この時ダン・クーパーが飛び降りたと考えられる。)

22時15分ごろ、ネバダ州リノ空港で後部扉が開いたまま着陸。
その後、FBIの捜査官や州警察、保安官代理、リノ警察が飛行機に乗り込むもダン・クーパーがいないことを確認する。

ハイジャック犯ダン・クーパーの人物像

ハイジャック犯のダン・クーパーは、ダークカラーのスーツにネクタイ、ホーンリムのサングラスという出で立ちで、傍にはアタッシュケースが置いてあった。

身長は178センチメートルから180センチメートル、体重は77キログラムから82キログラム、年齢は40代で、間の狭い茶色の目、黒ずんだ肌という特徴があったそうです。

ダン・クーパーは、穏やかで、礼儀正しく、上品な言葉遣いで、当時一般的に認知されていたハイジャック犯とは全く違ったといいます。

神経質でなく、感じの良い人物に見え、冷酷な態度をとったり不快な言動をしたりすることもなく、常に思慮深くて穏やかで、2杯目のバーボンのソーダ割を頼むと代金を払い、つり銭を与えようとしたそうです。

ダン・クーパーの人物像は、客室乗務員のティナ・マックローとフローレンス・シャフナーが別の取調室で確認しても同一の証言だったそうです。

さらにティナ・マックローの証言によると、ダン・クーパーは、地元の地理に詳しく、飛行機がタコマ上空を飛んでいたとき、クーパーは下はタコマのようだと証言したそうです。

ハイジャック犯のダン・クーパーの要求はすべて叶えられ、身代金20万ドルとパラシュートを手にして再離陸したノースウエスト航空305便は、
ダン・クーパーの要求に応じる形で、機体が高度を10,000フィートまで下げようとしたところ、20時13分、パラシュートを着用して飛び降りたと考えられています。

この20時13分ごろは、ノースウエスト航空305便は、ワシントン州南西を流れるルイス川の上空を、嵐の中飛んでいました。

FBIが91kgのダミーを用いて実験した結果、20時13時に発生した機体の衝撃が、クーパーによるものであると確認されたために判断されたということです。

FBIは、シアトルからリノにかけての飛行ルート沿いに、オレゴン州兵の固定翼機やヘリコプターなどを動員して探索を行いましたが、わずかなプラスチック片以外に、ハイジャックに関連するものは見つからなかったということです。

19時40分にシアトル・タコマ空港を再離陸する際に、ダン・クーパーの視界に入らないように2機のF-106が1機は、ノースウエスト航空305便の上にもう1機は、下について飛行していました。

しかし、いずれのパイロットも目視、レーダーで何者かが飛び降りた姿やパラシュートを確認していませんでした。

ダン・クーパーは、白いシャツにダークスーツ、黒いレインコート、ローファー、黒いネクタイという姿だったため、見えなかったとも考えられています。

ダン・クーパーという名前で搭乗したこの人物は、その後の捜査で、オレゴン州に住む「D.B.クーパー」という容疑者が浮上しました。
この「D.B.クーパー」は、すぐに容疑者リストから外されました。
しかし、UPI通信のクライド・ジャビン記者とAP通信のジョー・フレイザー記者が「ダン・クーパー」と「D.B.クーパー」の名前が似ていたために混同して、報道してしまいました。

その結果事件自体も「D.B.クーパー事件(D. B. Cooper hijacking)」と呼ばれるようになってしまったということです。

ダン・クーパーの足取りはその後もつかめませんでした。
1972年、紙幣から足取りを追うために、すべての紙幣番号を公開しましたが、見つかりませんでした。

1978年、ワシントン州キャッスルロックの東21km、林道でハンターによって、ノースウエスト航空305便のエアステアを降下させるための指示を含むメモが見つかりました。

1980年2月、ワシントン州バンクーバーらコロンビア川(オレゴン州とワシントン州の州境)を14km下ったところで、8歳の少年(ブライアン・イングラム)が身代金の紙幣の一部が発見されました。

札束3つで著しく崩れた状態で、2つの束は20ドル札100枚がそのままで、もう1つの束は90枚。
並びの紙幣番号はダン・クーパーに渡したときと変わっていなかったと確認されました。

この札束は、その後、14枚は、FBIが保存、残りは1986年にイングラム氏とノースウエスト・オリエント航空の保険業者との間で分配されました。
イングラム氏は2008年、所有していた紙幣のうち15枚をオークションにかけ、約400万円で売却しています。

残りの9710枚の紙幣がまだ見つかっていないそうです。

ダン・クーパーが降りたとされるパラシュートも発見されていません。
一説によると1980年に発生したセントへレンズ山の噴火で、証拠はすべて消えてしまったのではないかと憶測されています。

けが人もなく紳士的な?ハイジャック犯のダン・クーパーは、
ダークヒーローとして人気になりました。
無事に降りられたのか、お金はどこにいったのか全く謎のままです。

 

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客室乗務員フローレンス・シャフナーが紙を渡される

客室乗務員フローレンス・シャフナーとティナ・マックローは、ノースウエスト航空305便の離陸準備時、乗客たちが搭乗を終えたのち、飲み物を出していました。

フローレンス・シャフナーは、キャビンの後ろから、ティナ・マックローは、前から応対していました。

すると、男性からメモを手渡されました。
フローレンス・シャフナーは、よくある電話番号だと思い、メモを確認せずにバッグにしまいました。

すると、”Miss, you’d better look at that note. I have a bomb.” (「君、そのメモを読まないといけない。俺は爆弾を持っている」)とささやきました。

そのメモには、
「私は〇弾を所持している。私の隣の席に座れ」と書いてあったそうです。

機長のウィリアム・スコットは、すぐにシアトル・タコマ国際空港の航空管制官に連絡をとり、身代金目的のハイジャック事件が起こったことを管制官は地元警察とFBIに通報しました。

30分で到着するところ、2時間近く飛んでいることを
乗客には、副操縦士のビル・ラタクザックが、機器の些細なトラブルのため燃料を消費し尽くす必要があると説明していました。

機体が無事に着陸して降機してからも、乗客たちは機内で何が起きていたかを把握していなかったそうです。

客室乗務員ティナ・マックローは一人客室に残される

離陸の直前に乗客のダン・クーパーの隣に座るという通常ではありえない行動した客室乗務員フローレンス・シャフナーに気づいた客室乗務員ティナ・マックロー。

フローレンス・シャフナーは、気付いてくれたティナ・マックローに残したメモを拾うように身振りで示しました。

そのメモには、
「私は〇弾を所持している。私の隣の席に座れ」と書いてあったそうです。

ティナ・マックローは、すぐにコックピットのクルーに電話でハイジャックされようしている事情を説明しました。
そして、フローレンス・シャフナーとダン・クーパーが座る席に近づきて行きました。

ダン・クーパーから要求を受けたフローレンス・シャフナーは、要求を書いたメモをもってコックピットに向かいました。

ティナ・マックローは、フローレンス・シャフナーの代わりにダン・クーパーの隣の席に着きました。

ダン・クーパーに「私はここにいるべきですか?」と尋ねました。すると、「そこに座っていろ」と言われた気がしたそうです。
そして、コックピットとのダン・クーパーの連絡係になってしまいました。

その時ティナ・マックローは、
「私の役目はハイジャック犯を興奮させず、落ち着かせ、起爆装置のスイッチを入れさせないことだった」
と自分に言い聞かせていたといいます。

その後、ハイジャック犯のダン・クーパーの要求が通ったことを知らされ、ノースウエスト航空305便は、シアトル・タコマ空港に着陸します。

ティナ・マックロー以外の客室乗務員と乗客は解放されましたが、ティナ・マックローは、ハイジャック犯の指示の元、政府が用意した身代金の現金とパラシュートをダン・クーパーに届けるために、機体への出入りを何度か繰り返しました。

19時40分、4人の乗員とハイジャック犯のダン・クーパーの5人を乗せて燃料の補給を終えたノースウエスト航空305便は再び離陸しました。

ティナ・マックローが階段を下ろす方法について説明すると、ダン・クーパーは、飛行機が離陸した4~5分後の時点で、コックピットの操縦士のところに行くことを許可していました。

ティナ・マックローは、去り際にダン・クーパーに対して
『お願いですから、どうか〇弾を持っていって下さい』とお願いしたが、返事はなかったと言います。

ティナ・マックローは、コックピットに入ると、客室でハイジャック犯と2人で孤独感からやっと解放されたそうです。

22歳だったティナ・マックローは、事件の後、多くを語りませんでした。
FBIの捜査の終了とともに少しずつ当時のことをティナ・マックローは話さなけばと語り始めました。

ダン・クーパーは、持っていたアタッシュケースを開けて、中に入っているダイナマイトらしき数本の円筒に起爆装置が取り付けられているのを見せました。

ティナ・マックローは、この時ひたすら祈ったといいます。

・乗客たちの後頭部を見ながら、感謝祭に彼らと会えることを楽しみにしているであろう家族の存在を思い浮かべ、彼らの無事を。

・家族や友人と2度と会えないかもしれないと思いながら、自分自身のために、神に感謝を捧げ、自身の欠点や愚かさ、そして22歳の若さにしてこの世を去ることについて赦しを。

・ハイジャック犯のため彼と彼の家族のために祈り、彼が赦されることを。

「D.B.クーパー事件(D. B. Cooper hijacking)」の21世紀の捜査

数少ない証拠品一つであるネクタイピンから2001年になって3つの有機体サンプルが見つかりました。

部分的なDNA紋が得られたとされていましたが、このサンプルがダン・クーパーのものという証拠が得られず、誰のDNAかを突き止めることができませんでした。

2009年3月、FBIは古生物学者のトム・ケイ氏らによる「クーパー調査チーム」を結成します。

1970年当時、捜査では使われていなかった近代的な装備で事件に挑み、クーパーが着用していたというネクタイを電子顕微鏡で調べました。

すると、ヒカゲノカズラの胞子やビスマス、アルミニウムの破片を発見しました。
2011年には、純チタンの粒子も見つかりました。

当時は、チタンは珍しい存在で、金属製作や生産設備、腐食性の物質を保管する必要のある化学メーカーなどでなければ見られないものでした。

そのため、化学者・冶金学者・金属メーカーか化学メーカーのエンジニアやマネージャー、ないしはそれらの会社からのスクラップを扱うような人物ではないかと考え、調べますが、ダン・クーパーまでたどり着くことはできませんでした。

2016年7月8日、FBIは「D.B.クーパー事件(D. B. Cooper hijacking)」の捜査を停止することを告知しました。

地元のFBIの事務所は今後も物的証拠 (特にパラシュートや身代金に関係あるもの) が発見されれば全て受理するとしています。

捜査資料は45年間の捜査の過程で60巻にもなり、ワシントンD.C.のFBI本部で歴史的な理由により保管されています。

ハイジャック事件から50年経っても未解決のまま、ダン・クーパーはどうなったのでしょうか。

世界の何だコレ!?ミステリーSP【上空で消えた!?伝説ハイジャック事件の謎】

D.B.クーパー事件を世界の何だコレ!?ミステリーで放送されます。


2021年3月31日 19:00~21:00放送の世界の何だコレ!?ミステリーSPは

テレビ予告では

超怪奇!FBIが唯一解決できなかった伝説ハイジャック事件!想像超える頭脳と戦術…上空で消えた犯人の謎▽仰天映像&ストーリー!猛獣が車の中に…▽座敷わらし調査も

▽1971年、アメリカで衝撃のハイジャック事件が発生!事件から50年経った今も、FBIが“唯一解決できなかった”伝説の「ハイジャック事件」として語り継がれている。犯人は「クーパー」と名乗る1人の男。想像を遥かに超える頭脳と戦術で、乗務員をコントロール…そして犯人逮捕をもくろむFBIまでも手玉に取った!FBIもあらゆる手段を使い、事件解決に努めるが…

そんなこともお見通しとばかりに犯人は身代金を手に…上空3000mからこつぜんと消えた!どうやって上空から…そしてどこに消えたのか?今なお犯人の本名も行方もわからない謎だらけのハイジャック事件!今回、事件を担当したFBI捜査官や、ジャーナリストへの取材をもとに、あの日“空の密室”で何が起きていたのか特集する。

 

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