第十雄洋丸はパシフィック・アレスと衝突炎上 教訓に特殊救難隊「海猿」が創設された

第十雄洋丸はパシフィック・アレスと衝突炎上
教訓に特殊救難隊「海猿」が創設された

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目次

第十雄洋丸事件とは

1974年11月9日13時37分頃に起こった
LPGタンカー第十雄洋丸と貨物船パシフィック・アレス号が衝突炎上事故

この衝突によって発生したタンカーの火災を当時最新鋭の消防船を投入しても鎮火できなかったため、

海上自衛隊の護衛艦が砲撃と雷撃でタンカーを撃沈処分した。

第十雄洋丸事件の教訓として特殊救難隊「海猿」も

第十雄洋丸事件の被害者は、33名死亡、7名負傷しました。
この事件で消火や人命を助けるために、次のことが配備されました。

第十雄洋丸事件「ひりゆう」型消防船3隻が消火活動するも鎮火できなかった。
「ひりゆう」自体も1965年のヘイムバード号炎上事件の教訓で整備されたものだった。

消化艇としてひりゆう型消防船を補完するぬのびき型消防艇が10隻建造、全国各地に配備された

さらに燃えている船を外洋に曳航する船も民間企業に頼らざるを得なかったためにめ
この反省から、ひりゆう型消防船「かいりゆう」「すいりゆう」が追加建造された。

さらに
現場指揮能力と船舶の曳航能力を持ったたかとり型巡視船が2隻建造され、横須賀港と高松港に配備されました。

そして、犠牲者が多く出てしまったことから「特殊救難隊」
羽田特殊救難基地の前身いわゆる「海猿」が創設されました。

これまで、海上保安庁には海難救助としてダイバーが配備されていたが、船で救助に向かっていた。
そこで、いち早くヘリコプターで災害現場に行くという
東京消防庁の特別救助隊等から教育・研修を受けて、特殊救難隊として、1975年(昭和50年)10月に創設されました。

その厳しい訓練を受ける様子が漫画になったのが「海猿」です。
漫画はドラマや映画にもなり、
現在では、特殊救難隊のことを「海猿」を呼ぶのが普通になるほどの認知度です。

第十雄洋丸事件の詳細は

1974年11月9日13時37分頃

「第十雄洋丸」(総トン数:43,723トン)は、
サウジアラビアから京浜港川崎区へ
合計57,000トンのプロパン、ブタン及びナフサを積載し

東京湾の中ノ瀬航路を水先艇である「おりおん1号」の先導で航行していました。

「パシフィック・アレス」(総トン数:10,874トン)は、
15,000トンの鋼材を積んだリベリア船籍の貨物船で
木更津港を出港して中ノ瀬航路に入ろうとしていました。

海上交通安全法による航路優先の原則と
海上衝突予防法によるスターボード艇優先の原則が適用と
それぞれの解釈で
双方が衝突直前まで回避行動を行わなかったため衝突してしまったということでした。

「パシフィック・アレス」が「第十雄洋丸」に食い込む形で衝突しました。

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第十雄洋丸船長は積荷の大爆発を察知して「総員退船命令」を
すぐに出しました。

船員は海へ飛び込む、延焼していない救命艇を下ろす、海上保安庁の巡視船や「おりおん1号」に移乗するなどの方法で早い時期に脱出。
最後まで船に残っていた第十雄洋丸船長と同船甲板長も海上保安庁の巡視船からの退船勧告に従って11月9日14時5分頃に脱出しました。

そのため、乗組員38名のうち、6名の負傷者を含む33名の第十雄洋丸乗組員が救助されました。
死者は5名でした。

それに対して「パシフィック・アレス」号は第十雄洋丸に突き刺さって炎上してしまったため、
脱出することも外から救助することもできずに
乗組員29名のうち機関室のビルジウェルにいて火災をやりすごすことのできた二等機関士1名を除く船長以下28名が死亡してしまいました。

海上自衛隊による撃沈処分

第十雄洋丸とパシフィック・アレス号の衝突事件がが起こったのは11月9日

翌11月10日以降、衝突した双方の船について捜索が開始されました。
パシフィック・アレス号は鎮火されましたが
第十雄洋丸は火勢の衰え捜索は11月19日まで行われました。

第十雄洋丸は湾外で曳航することなりました。
しかし、予定の場所に着く前に残っていた積荷のナフサが爆発炎上してしまったことで切り離すと黒潮に乗って炎上しながら漂流を始めてしまいます。

11月22日、海上自衛隊は最初にナフサのタンクを破壊
上空から爆撃で穴を開け、最後に魚雷を発射して処分するという方針を立てます。

11月27日の13時45分に5インチ砲による第1回射撃開始。
約2時間後に第2回射撃を実施し積荷のプロパンやナフサを炎上させた。
それは、積み荷のナフサやLPGを燃やし尽くすことで海洋汚染を最小限に抑えるという考えからだといいます。

11月28日の午前に、127mmロケット弾12発(9発命中)と対潜爆弾16発(9発命中)を投下

午後、「なるしお」が魚雷4本を発射(2本目と3本目が命中)
その後、護衛艦部隊からの艦砲射撃が行われ

18時47分、20日間炎上し続けた「第十雄洋丸」は犬吠埼灯台の東南東約520kmの海域に沈没しました。

東京湾が年間20万台の船が行きかう交通渋滞の多い場所だといいます。

その船が安全に航行できるようになったのは
過去の悲惨は事件があったからなのでしょう。

「海猿」が創設されることになった大きな海難事故は
この第十雄洋丸事件だったのです。

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