明石家さんまだった!ビートたけしが勝てないと思った天才芸人!

だった!ビートたけしが勝てないと思った天才芸人!

2017年10月18日放送
水トク!「1番だけが知っている」の番組で告白

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目次

叶わないと思った芸人は明石家さんまだった!

それはひょうきん族を始めた頃
裏番組にはドリフターズの「8時だよ全員集合」という
視聴率30%の人気番組があった。

それは計算されたお笑い番組でそれに対抗して
アドリブで自分たちのプライベートなどを
どんどん出していく、楽屋のようなお笑い番組を
作ろうと。
8時だよ全員集合をひっくり返してやろうと
放送から、半年でドリフを視聴率を抜いた。

「俺がなんでお前のツッコミに回んなきゃいけないんだ」
と明石家さんまに言っている。

「さんまちゃんは毒で世界に必要なバクテリアだから
これからも変わらない、元気でこれからも頑張って欲しい」

「売れてからは自分が一番だから、そう思っているから」

ただ、この部分では叶わないと思っている人は2.3人いる

生き方としては所ジョージさん
ただ、芸人としては自分の方が上だと思っているという。

「ショックだった、こいつには勝てないと思った。
初めてツッコミに回ろうと思ったという」

今の芸人で面白いと思うのは

サンドイッチマン、千鳥、博多華丸大吉の3組だと
ただ、思ってよりも売れていないと思う。

第3世代の芸人は

とんねるずの貴明のバカバカしいのも好き、ウッチャンナンチャン
ダウンタウン

は腕もネタも俺よりも上だと思うけどねぇ。

立川談志

感謝はいている

欽ちゃん

ファミリー的になってちょっと残念になった。

やすきよ

次元が違っていた。けど、敗北感はなかったと

 

日本のお笑いBIG3の一人

ビートたけしさんはタモリさん、明石家さんまさんと共に
「日本のお笑いBIG3」と言われる存在。

そんなBIG3の一人に「天才芸人」と言われるとは
やっぱり天才なのだろう

教育ママに育てられていた

ビートたけしさんは破天荒なイメージあるが教育ママに育てられ
勉強、勉強と言われてしないと怒られるという少年時代を送っている
大学まではいい成績で明治大学に入学するが学校にはあまり行かず除籍になってしまっている

アルバイトを繰り返し浅草へとたどり着く

いろいろなアルバイトをして何がしたいかを探していたようだった
その後、住み込みの浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始めたことで芸人への道と進むことになる

漫才ブームによってBIG3となる

それでもすぐに売れるわけではなく、
客やホステスとケンカすることも多かったという。
「暴走ネタ・危険ネタ」はこの頃に生まれたのだろう。

その後テレビで大活躍タモリさん明石家さんまさんとともに
「日本のお笑いBIG3」と呼ばれるようになる。

ビートたけしさんはお笑いだけでなく映画監督としてもBIG

映画監督「北野武」は世界で絶賛されている。

幼少期ほとんど映画を見たことがなく、黒澤明との対談では『力道山物語』『二等兵物語』『鉄道員 (1956年の映画)』しか見たことがないと話している。

また黒澤は北野の映画作品を(作中に)余計なものがないから好きだと評価しているように世界の黒澤にも認められている監督だ

1989年 『その男、凶暴につき』 監督デビュー
元々、監督が深作欣二 主演をビートたけしで映画化を予定していたがスケジュールや条件が合わず監督の深作欣二が辞退したことで松竹は人物的魅力と話題性から、たけしに北野武でと依頼、テレビの仕事と両立させることを前提として承諾したという。
だから、1週間おきの撮影という珍しい形態だったという。

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監督作品は

1989年 その男、凶暴につき 我妻諒介 役
1990年 3-4X10月(さんたいよんえっくすじゅうがつ) 上原 役
1991年 あの夏、いちばん静かな海。
1993年 ソナチネ 村川 役
1995年 みんな?やってるか! 透明人間推進協会博士 役
1996年 キッズ・リターン
1998年 HANA-BI 西佳敬 役
1999年 菊次郎の夏  菊次郎 役
2001年 BROTHER  山本 役
2002年 Dolls
2003年 座頭市  座頭市 役
2005年 TAKESHIS’ ビートたけし/北野武 役
2007年 監督・ばんざい!  キタノ・タケシ監督 役
2008年 アキレスと亀 倉持真知寿 役
2010年 アウトレイジ  大友 役
2012年 アウトレイジ ビヨンド 大友 役
2015年 龍三と七人の子分たち  村上 役
2017年 アウトレイジ 最終章 大友 役

受賞歴

1990年 日本映画監督協会新人奨励賞
1991年 トリノ国際映画祭 特別賞(『3-4×10月』)
1991年 第34回ブルーリボン賞 最優秀作品賞・監督賞(『あの夏、いちばん静かな海。』)
1993年 タオルミナ国際映画祭 グランプリ(『ソナチネ』)
1995年 コニャック国際映画祭 批評家賞(『ソナチネ』)
1996年 第39回ブルーリボン賞 監督賞(『キッズ・リターン』)
1996年 第6回日本映画プロフェッショナル大賞 監督賞(『キッズ・リターン』)
1996年、山路ふみ子文化財団特別賞
1997年 第54回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞(『HANA-BI』)
1998年 ニューヨーク国際映画祭 国際映画賞(『HANA-BI』)
1998年 サンパウロ国際映画祭 批評家賞(『HANA-BI』)
1998年 第10回ヨーロッパ映画賞 スクリーン・インターナショナル賞(『HANA-BI』)
1998年 第41回ブルーリボン賞 作品賞・監督賞・主演男優賞(『HANA-BI』)
1999年 フランス芸術文化勲章 シュヴァリエ章
1999年 第8回日本映画批評家大賞 監督賞
2002年 ダマスカス国際映画祭 最優秀作品賞(『Dolls』)
2003年 第60回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞(『座頭市』)
2003年 第33回シッチェス・カタロニア国際映画祭 グランプリ(『座頭市』)
2003年 第26回トロント国際映画祭 観客賞(『座頭市』)
2003年 第27回日本アカデミー賞 最優秀編集賞(『座頭市』)
2006年 ガリレオ2000賞 文化特別賞
2007年 第64回ヴェネツィア国際映画祭 監督ばんざい!賞(『監督ばんざい!』)
2008年 モスクワ国際映画祭 特別功労賞
2008年 テッサロニキ国際映画祭 ゴールデン・アレクサンダー名誉賞
2008年 GQ MEN OF THE YEAR 2008
2009年 ソフィア国際映画祭 観客賞(『アキレスと亀』)
2010年 フランス芸術文化勲章 コマンドゥール章
2013年 第22回日本映画批評家大賞 監督賞(『アウトレイジ ビヨンド』)
2014年 シャンパーニュ騎士団「オフィシェル・ドヌール(名誉将校)」
2015年 シャンパーニュ騎士団「シャンベラン・ドヌール(名誉侍従)」
2015年 第8回したまちコメディ映画祭in台東 コメディ栄誉賞
2016年 レジオン・ドヌール勲章 オフィシエ

その他数々の賞も受賞している

東京スポーツ新聞社客員編集長、東京スポーツ映画大賞審査委員長
フランス芸術文化勲章
シュヴァリエ(騎士)(1999年)
コマンドール(騎士団長)(2010年)
シャンパーニュ騎士団
オフィシエ・ドヌール(名誉将校)(2014年)
シャンベラン・ドヌール(名誉侍従)(2015年)
レジオンドヌール勲章オフィシエ(将校)(2016年)
明治大学特別功労賞授与(2004年)
イタリアの第10回ガリレオ2000賞・文化特別賞受賞(2006年)
日本数学会出版賞受賞(2008年)
『タイム』誌アジア版2001年2月12日号の表紙を飾った。2002年には同誌の「アジアのヒーロー」の一人として選出された。

お笑い芸人として極める覚悟

自分よりも天才芸人を認めることで
芸人として一番を極めることを止めてしまった?
いや、こだわることを止めてしまったのかもしれない。

それゆえに芸術など、自分が興味あることを表現していったのではないかと想像ができる。

お笑い芸人だけにこだわらなかったことが「世界の北野」を
作ったのかもしれない。

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