島川甲子三(しまかわきねぞう)は「気象予報士の神」伊勢湾台風を予測し、警告が伝わらず。石原良純が「1番だけが知っている」で

島川甲子三(しまかわきねぞう)は「気象予報士の神」伊勢湾台風を予測し、警告が伝わらず。石原良純が「1番だけが知っている」で

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目次

島川甲子三さんは気象キャスターの元祖

島川甲子三さんは名古屋の元NHK気象キャスター。
伊勢湾台風の時に名古屋地方気象台で予報官をしていました。

しかし、当時はインターネットはもちろん、ファックスもなかったため情報が住民にまで伝わることができなかった。

「知っていれば」との声を多く聞き、今でいうお天気キャスターに転向したという経歴の持ち主。

島川甲子三さんは、名古屋の元NHK気象キャスターを長くやられ、気象キャスターのまさに元祖「気象予報士の神」と言われています。

2014年の時に90歳でインタビューに答えられていますが
現在はどうなのでしょうか、わかり次第追記します。

「1番だけが知っている」の伊勢湾台風を予測した男として

1番だけが知っている【昭和の2大危機!伊勢湾台風&黒ヒョウ脱走】
2018年11月12日(月)22時00分~23時07分の放送

番組予告

昭和2大危機!石原良純が神と呼ぶ…伊勢湾台風を唯一予測した男の悲劇
首都パニック!黒ヒョウ脱走!上野動物園事件

番組内容
▽昭和の2大危機!
▽石原良純が神と呼ぶ気象予報士!史上最悪の被害を出した伊勢湾台風を、唯一予測した男がいた!
▽しかし、彼にはとてつもない悲劇が待っていた
▽気象予報士たちが魂震えたこの夏の出来事とは?
▽上野動物園から黒ヒョウが脱走!東京が大パニックに! ▽事件解決の糸口となった、奇想天外な「トコロテン作戦」とは!?

出演者
MC
坂上忍/森泉
ゲスト
石原良純
パネラー
北村晴男・吉村崇(平成ノブシコブシ)・近藤春菜(ハリセンボン)・岡田結実
進行
伊東楓(TBSアナウンサー)

他のメディアニュースでもこの番組の話が出ています。

◆気象予報士・石原良純がどうしても知ってほしい話!
異常気象の夏…気象予報士たちが魂震えた瞬間

“1番ゲスト”の石原良純は、気象予報士として、世間にどうしても知ってほしい話があるという。
日本列島を襲った今夏の異常気象。それは、戦後最悪の被害をもたらした伊勢湾台風と大きな関係とは

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伊勢湾台風とは

発生期間 1959年9月21日 21:00 - 9月27日 21:00
カテゴリー5の スーパー・タイフーン
寿命    6日0時間
最低気圧  895 hPa
最大風速  75 m/s
最大風速  65 knot(約 85 m/s)

死傷者数  死者     4,697名
行方不明者  401名
負傷者    38,921名

1959年9月26日、昭和34年台風第15号(国際名:ヴェラ/Vera )は
潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心とし、
ほぼ全国にわたって甚大な被害を及ぼした台風。

伊勢湾沿岸の愛知県・三重県の被害が特にひどかったため
「伊勢湾台風」と呼ばれる。

昭和の三大台風

被害者が3000人以上出した台風として昭和の三大台風とされる。
(室戸台風、枕崎台風、伊勢湾台風)

その中でも、伊勢湾台風は、犠牲者5,098人と
1995年1月17日に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生する
まで、第二次世界大戦後の自然災害で最多のものだった。

伊勢湾台風の特徴

伊勢湾台風は発生後2日足らずで猛烈な台風に成長。
最低気圧観測の3日後に上陸した時にも 929.2 mb という、
日本本土では史上3番目に低い気圧を観測するほどの勢力を保っていた。

紀伊半島や中部地方の急峻な山岳地帯を通過しても衰弱せず、
暴風や高潮の被害を大きくする原因となった。

伊勢湾台風の気象台・気象庁の対応

台風第15号は早くから超大型の台風として日本本土をうかがっていたので、気象官署の対応も早期に実施された。

島川甲子三氏は満潮時と台風上陸が重なるため沿岸部が危険だから
避難勧告を促すように伝えるも聞く耳を持たれなかったという。

名古屋地方気象台は9月25日に海上強風警報を発令、
同日に行われた予報検討会では以下の事項を決定した。

秋雨前線による大雨が予想されるため、25日17時までに大雨注意報を発令する。

台風情報第1号は、ラジオ・テレビの聴取率・視聴率が最も高い(25日)19時のニュースに間に合うよう発表する。

名古屋地方気象台は、9月26日午前10時に県庁や電力、鉄道、マスコミの関係者らを集めて説明会を開いた。
(26日は土曜日で、官公庁などが午後から休みになるため(当時、週休2日制はなかった。いわゆる半ドン)警報発令は午前中に行なう)

気象庁においても、25日午後に建設省・運輸省(いずれも当時の名称)・消防庁・報道関係などに対する説明会を持った。

島川甲子三氏は
当時はファクスがなかったので、台風の予想進路や警報内容を書いた紙を直接渡したり、電話で説明したりしたと後に語っている。

島川甲子三は住民への警戒情報を聞いて回った

和歌山県に伊勢湾台風が上陸したのは、26日午後6時頃でした。

説明会を開いて約6時間の猶予があったが、実際に住民に知らされることはなかったという。

島川甲子三氏は非常用として気象台に備えられていたバイクで
伊勢湾に面した三重県桑名市長島町付近まで3~4時間かけて被害状況を見に行った。

途中、できるだけ学校や役場に立ち寄り、気象情報を事前にどう活用したか聞いて回ったところ、情報を受けたかはっきりしないというような答えばかりだった、という。

なぜ、情報は住民に伝わらかったのか

当時は官公庁は土曜日は半ドンだった。
説明会を開いたのは、26日土曜日の午前10時だったため

説明を聞いた担当者が職場に持ち帰っても資料を机の上に置いたままになっていたという。

台風当日はの午前中は穏やかに晴れていたため、気象台だけが騒いでいると思われてしまったという。

こんなに天気の良い土曜日に人を集めるとは何事だ、と文句を言う人までいたそうです。

島川甲子三は気象予報士の神に

伊勢湾台風の当時の話をお昼の情報番組「ひるおび」で気象予報士の
森田正光氏が伊勢湾台風の時の島川甲子三氏を紹介していました。

伊勢湾台風の時、名古屋地方気象台の予報官だった島川甲子三さんは後日被災者から事前に情報を知っていればという声を聞いて本当に悔しかった。

これ以降台風情報をもっと伝えていこうということになっていったのだという。

そして、気象台を退社、NHKの気象キャスターとなったそうです。

現在は、気象予報士としての国家資格も確立され、
ネットにより、住民にも情報が伝わるようになりました。

情報を開示しようと努力された島川甲子三氏の功績は大きいのでしょう。

石原良純さんが伝えたいこととは?

島川甲子三の思いが2018年に実践された

島川甲子三氏、気象予報士0号の思いが通じたことが2018年に起こった。
台風24号の上陸に伴い、JRが計画運休を行った。

石原良純さんは、島川甲子三氏の努力がなければ、
今回のことはなかっただろうという。

島川甲子三氏の思いは、お天気キャスター森田正光さんへ
さらに石原良純さんへと脈々と受け継がれ、
JRが運休するまでの成果をあげたといっていいでしょう。

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