大山泰弘が会長を勤める日本理化学工業、社員の7割は障害者!ダストレスチョークを作る工夫はがアンビリバボーに

大山泰弘が会長を勤める日本理化学工業、社員の7割は障害者!ダストレスチョークを作る工夫はがアンビリバボーに

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目次

大山泰弘が会長を勤める日本理化学工業がアンビリバボーに

2018年5月17日放送の奇跡体験!アンビリバボー

番組予告では

笑顔と優しさあふれる優良企業の秘密…知的障がい者が全体の7割の会社!小さな町工場に奇跡が!?働くことの本当の意味とは…あなたは何のために働いてますか?

番組内容
神奈川県川崎市にある日本理化学工業。創業81年、大山要蔵さんが創業した“チョーク”を開発する会社が、今日本で1番大切にしたい会社として注目されています。
創業者の息子、泰弘さんが会社を継いだ頃から、ホワイトボードに押され、チョークの需要が激減。そんな頃に入社したのが、泰弘さんの長男・隆久さん。

実は泰弘さんが会社を継いだ頃から、日本理化学工業は、知的障がい者を雇うようになっていました。
しかも全社員のおよそ7割にも及ぶ人数。
息子の隆久さんは、生産性を上げるために知的障がい者の雇用を止めるべきだと父に提案しますが、父の答えは“今までのやり方を変えるつもりはない”というもの。
泰弘さんが知的障がい者を雇うようになったきっかけは、会社の近くにある養護学校の教諭からの相談でした。
泰弘さんは、心の奥底に知的障がい者を働かせているという罪悪感がありました。
そんな時、知り合いの住職に言われた言葉が彼を救います。
「人間の究極の幸せは4つ。人に愛されること。人にほめられること。人の役にたつこと。人から必要とされること」。

この言葉に出会ったことを機に、泰弘さんは知的障がい者の雇用を増やしていきました。
しかし、その後問題が続出。重度の行動障がいを持つ男性や、休みがちな知的障がい者、他の社員からの不満。
そんな中、泰弘さんが思いついたあるアイデアが会社を大きく変えることに!果たして、そのアイデアとは!?

これまでもテレビで紹介されていた

「日本で一番大切にしたい会社」として受賞したことで
テレビにも紹介されていた。

2017年8月27日
“27時間テレビ、「林修が日本一のチョーク工場へ社員7割が知的障がい者”

2017年9月2日 日テレ“虹色のチョーク4つの幸せとは?日本理化学工業を世界一受けたい授業で紹介!

日本理化学工業とは

チョークをはじめとする文房具・事務用品の製造販売を行う企業。知的障害者の雇用に力を入れていることでも知られる。
社員の7割が知的障害者だという。

会社名  日本理化学工業株式会社
Nihon Rikagaku Industry co.,ltd.
種類   株式会社
本社所在地 日本
〒213-0032
神奈川県川崎市高津区久地2-15-10

設立    1937年(昭和12年)2月13日
業種    その他製品
事業内容  事務用品等の製造販売
代表者   代表取締役社長 大山隆久
資本金   2000万円
会長    大山泰弘

日本理化学工業の主な製品

ダストレスチョーク
ダストレスラーフル(黒板消し)
キットパス(固形マーカー)
ラインパウダー
工事現場向け耐水チョーク

粉の出ないダストレス・チョークは3割のシェアを持つ

障害者を雇用しようと決心したのは

今から50年前、当時会社の近くにあった養護学校の先生から
「生徒の就職をお願いしたい」と頼まれたのがきっかけだった。

一旦は断ったが、先生はあきらめず、
「もう就職させてくれとは言いませんから、働く体験だけでもさせてくれませんか」と言ってきた。

さらにその先生は
「もし就職しなければ、この子たちは卒業後、施設に入ることになります。そうなれば、一生“働く”ということを知らずに人生を終えることになるのです」

そこで2週間の就業体験を受け入れることにした。
就業体験に来た2人の女性は、とても熱心だった。

それをみた他の従業員の人たちが
「こんなに一生懸命やってくれるんですから、雇ってあげたらどうですか。私たちも面倒を見ますから」

と申し出てくれたという。
そして、2人くらいならということで採用したのがきっかけだった。
大山泰弘さんは不思議に思ったという。

施設に入って面倒を見てもらえば、今よりずっと楽に暮らせるのに、なぜ彼女たちは毎日工場へ働きくるのだろうか。

するとその質問に住職が答えた

「人間の究極の幸せは4つあります。
1つ目は、人に愛されること。
2つ目は、人に褒められること。
3つ目は、人の役に立つこと。
4つ目は、人に必要とされること。

だから障害者の方たちは、施設で大事に保護されるより、企業で働きたいと考えるのです」

その後大山泰弘さんは知的障害者の雇用を本格化しとうと決心することになる。

障害者を雇用する工夫

「周囲に迷惑を掛けたら、就業時間中でも家に帰します」
気に入らないことがあると暴れてしまうことある。
そうするとすぐに家に帰すことに。

しかし、
「本人の口から『もうしません』という言葉が出たら、翌日からまた会社に来ていいですよ」
と家の人には伝えてあったため、しばらくするとまた出勤してくる。
家に帰る日が週に1度から、2週間に1度、1カ月に1度になり、
そのうち問題を起こさなくなったという。
さらに、後輩の面倒をみるまでに成長していったという。

その人が成長したのは「働く幸せ」を感じたからだろうと大山さん。
人は「会社に行って役に立ちたい」「皆から褒められたい」
という社会性を持っている。

障害者だけ稼働する生産ラインを作った

社員の7割が障害者と言うことは障害者だけでラインを動かさなければならない。

大山泰弘さんはどうしたらそれが可能になるか工夫をしたという。
100グラムを量って入れることは難しいが、色の識別はできる
赤い100gの重りを計りに乗せて赤い粉を量ることはできるのだ。

工夫が足りなかっただけだと、これをヒントに
全工程を子細に観察して、知的作業者のやれる方法に変えていったという。

そして、工程を単純化したことで、知的障害者たちは目の前の作業に集中できるようになり、その結果、自分の持てる能力を最大限に発揮して、健常者以上の仕事ができるようになったのである。

それが社員の7割が障害でも成り立つ工夫だったのだ。

現在、大山泰弘さんは会長になり、息子の大山隆久さんが社長に就任している。

書籍

『働く幸せ 仕事でいちばん大切なこと』(大山泰弘:著 WAVE出版 2009年7月)

『利他のすすめ チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の知恵』(大山泰弘:著 WAVE出版 2011年4月)

『虹色のチョーク 働く幸せを実現した町工場の奇跡』(小松成美:著 幻冬舎 2017年5月)

受賞歴

叙勲

2004年4月 瑞宝単光章 社長大山泰弘

大臣表彰

1979年9月 労働大臣賞 美唄工場
1981年12月 内閣総理大臣表彰 社長大山泰弘 国際障害者年により
1989年9月 労働大臣賞 川崎工場
1992年12月 内閣総理大臣表彰 勤続41年知的障害社員(川崎工場勤務)
2002年8月 厚生労働大臣表彰 勤続33年知的障害社員(美唄工場勤務)
2003年9月 厚生労働大臣表彰 社長大山泰弘
2007年8月 経済産業省主催第2回ものづくり日本大賞地域貢献賞(北海道経済産業局長賞) 美唄工場
2010年10月 農林水産大臣賞 リデュース・リユース・リサイクル推進功労者等表彰[10]
2010年12月 第9回バリアフリーユニバーサルデザイン推進功労者 内閣総理大臣表彰(最高賞)
2011年11月 文部科学大臣発明奨励賞・実施奨励賞 ホタテ貝殻を活用したダストレスチョーク

自治体表彰

1972年10月 北海道善行賞 美唄工場
2001年7月 川崎市市制77周年表彰 勤続20年以上の川崎工場社員
2004年1月 神奈川県優良工場表彰 川崎工場
2005年11月 北海道新技術・新製品開発賞奨励賞 美唄工場
2009年2月 埼玉県主催第8回渋沢栄一賞 会長大山泰弘[13]
2010年11月 川崎市社会功労賞 会長大山泰弘

各賞

2003年9月 日本障害者雇用促進協会会長表彰 社長大山泰弘
2005年2月 第3回企業フィランソロピー大賞特別賞社会共生賞
2009年7月 ISOT2009第18回日本文具大賞機能部門グランプリ キットパスきっず12色
2009年7月 第3回キッズデザイン賞 キットパスきっず12色
2010年10月 第8回勇気ある経営大賞(東京商工会議所主催)
2011年12月 第8回エコプロダクツ大賞エコサービス部門審査委員長特別賞(奨励賞) ホタテ貝殻を活用したダストレスチョーク 2015年7月 2015夏の文紙フェアで貼って剥がせるテープ黒板が文紙フェア大賞金賞
2016年3月 第6回日本でいちばん大切にしたい会社大賞

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