千住真理子のバイオリンは名器トラディバリウス“デュランティ”どのように手にしたのか

千住真理子(せんじゅまりこ)のバイオリンは名器トラディバリウス“デュランティ”どのように手にしたのか

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「人生が変わる1分間の深イイ話」
千住3兄妹が集結し、千住家の教育法についてぼ話だそう

超一流の芸術派一家、どんな教育方法だったのだろうか

目次

千住真理子のバイオリンは

千住真理子さんは美人バイオリニストとして有名

彼女のバイオリンは幻の名器ストラディバリウス“デュランティ”

そのバイオリンを2002年に手に入れてから彼女の人生が変わっていく。
入手してからの彼女の演奏家人生が満開・全開状態になったという。。

購入価格: 〇億円也。幻の名器だからそうなのだろう。

入手までの経緯

本人談

「イタリアの北、クレモナという小さな村があるんですネ。その地方の人、皆がヴァイオリン、ヴィオラ、チェロといった弦楽器を作っている…それを聞いただけでもお伽噺のような素敵なお話でしょ。400年前から今にいたるまで、そんな中で一番有名なのが“ストラディヴァリ”という方。1644年に生まれ、93 歳で亡くなる前までヴァイオリンを作り続けていたんです。200以上のヴァイオリンを作ったけど、現存する値打ちのあるヴァイオリンは数えるほどしかない。そのうちの1つが1716年に制作された“デュランティ”なんです。」

「デュランティ。この楽器の最初の所有者は、な、何とローマ法王なんです。2 人目が“デュランティ家”(あ、そうなんや…)。その貴族のお城にず~とこの楽器は眠っていたんです。この200年の間、デュランティ家は“この楽器を持ってますヨ~”って言わなかったので、“あのローマ法王が持ってたあのストラはいったいどこへ?”と大騒ぎ。いつしか“幻のヴァイオリン”と呼ばれていました。で、フランス革命の寸前にこの名器は逃れるようにスイスの当時栄えていた貴族のもとに渡され約80 年。今回200 2年に我が千住家にやって来ました」

「名器をパッと弾いた時に“これは誰にも渡したくない!絶対渡したくない?どうしたらいいだろう? これ持って逃げたい」

譲る条件は

①1ヶ月以内に満額そろえて支払う
②演奏家としてプロとしてやっていく”

弾いてもらいたいという強い意志が売り主にあったようだ。
演奏家でないと転売されてしまうことなるのがわかってるから。

金策に走る

1ヶ月以内の全額払わなければならない。
数億円を一括払いとは、とんでもないことだ。

しかし、彼女に「ある銀行が貸せます」と名乗り出たという。

“その代わり兄達2人を人間担保として(博さん: 日本画家、明さん: 作曲家)2人を預からせていただきます

と言われてその幻のバイオリンを手に入れることができたという。

持つべきは才能ある家族ということだろうか。
もちろん、本人にもバイオリニストとしての才能があったことは
まちがいない。

日本の銀行も捨てたもんじゃないかもしれない。

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千住真理子のプロフィール

生誕   1962年4月3日
年齢   56歳
出身地  東京都杉並区
血液型  A型
学歴   慶應義塾大学文学部哲学科卒業
ジャンル クラシック音楽
職業   ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン
所属   ジャパン・アーツ
レーベル EMIミュージック・ジャパン
(現ユニバーサルミュージック)

父は工学博士(慶應義塾大学名誉教授)千住鎮雄
母はエッセイスト・教育評論家・千住文子
長兄は日本画家・千住博
次兄は作曲家・千住明

2歳3ヶ月から鷲見三郎にヴァイオリンを習うと同時に奥裕子・鷲見康郎に師事

11歳より江藤俊哉に師事

1972年 第26回全日本学生音楽コンクール東京大会小学生の部で第2位
1973年 同コンクール東京大会、全国大会小学生の部で第1位を受賞

1975年 第1回NHK若い芽のコンサートでNHK交響楽団と共演し、12歳でプロデビュー

1977年 第46回日本音楽コンクールを最年少で優勝(15歳)
1979年 第26回パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞した(17歳の時)第4位

音楽大学に進まず、慶応大学に進学

20歳の時にヴァイオリンから離れ楽器に全く触れなかった。
22歳でプロを目指す。

1995年 モービル音楽賞(奨励賞)受賞

結婚・離婚を2回して現在は独身

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