ユーリーユーディンがディアトロフ峠事件で急病で生還者。ミハイルがテント発見者!0世紀最大の謎の60年越しのアンビリバボーな真相とは!?

ユーリーユーディンがディアトロフ峠事件で急病で生還者。ミハイルがテント発見者!0世紀最大の謎の60年越しのアンビリバボーな真相とは!?

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目次

ユーリーユーディンはディアトロフ峠事件で途中まで参加していたディアトロフ峠事件、20世紀最大の謎とは

1959年2月2日の夜、当時のソ連領ウラル山脈北部でスノートレッキングをしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件

この山は、ホラート・シャフイル山と言って、ロシア語で「死の山」とも呼ばれていました。

この事件が起こってからは、チームのーダーだった、
「イーゴリ・ディアトロフ」さんの名前を取って
「ディアトロフ峠事件」と呼ばれるようになりました。

亡くなり方が異常でした。
当時の調査では、
マイナス30度の中、薄着だったり、靴を履いていなかったりと。

9人のうち、4人が凍死。
しかし、2人は頭蓋骨骨折、2人は肋骨骨折、もう一人は舌がなかったという。

テントは中から引き裂かれていて、裸足で外に飛び出したようだと言います。
さらに何人かの衣服からは高濃度の放射線が検出されたという。

イヴァノフ捜査官は捜査を終了当局からの圧力か

事件当時、イヴァノフ捜査官は徹底的に調べていたが
ある日、当局に呼ばれ、そこから、態度が一変、積極的に捜査をしなくなったという。

原因ははっきりと解明されないままでした。
公式な調査は1959年5月には打ち切られ、「
犯人はいない」とされたが、事件の資料は機密文書とされました。
そのため、いろいろな説が飛び交います。

原住民による襲撃を受けた
イエティに襲われた
UFOやエイリアンに遭遇した
軍事実験に巻き込まれて犠牲になった

と超常現象から軍の秘密兵器実験と噂が後を絶たなかった。

ユーリーユーディンは途中離脱者だった

メンバーは、男性8名女性2名で
スヴェルドロフスク州内のウラル山脈北部においてスキーでのトレッキングを計画していました。
メンバーの多くはウラル科学技術学校(現在のウラル工科大学)
の生徒か卒業生でした。

メンバーは

たった一人生き残った途中まで参加していた
ユーリーユーディン (当時21歳)
1937年7月19日生まれ、2013年4月27日没

リーダー
イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ
1936年1月13日生まれ。(当時21歳)

ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ
1937年1月12日生まれ。(当時20歳)

リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ
1938年5月12日生まれ。(当時20歳)

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ
1934年11月16日生まれ。(当時21歳)

ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン
1936年1月11日生まれ。(当時25歳)

ユーリー(ゲオルギー)・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ
1935年2月7日生まれ。(当時24歳)

ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ
1938年1月29日生まれ。(当時21歳)

ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ
1935年7月5日生まれ。(当時23歳)

セミョーン(アレクサンドル)・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ
1921年2月2日生まれ。(当時38歳)

ディアトロフ峠事件の概要は

登山へ

1959年1月25日 メンバーは 近くの駅に列車で到着、車で移動へ
1959年1月27日 オトルテン山へ向け出発

1959年1月28日 ユーリーユーディンが急病のため離脱する。
ユーディンと別れたのちのメンバーの遭遇した人間は見つかっていない。
最後のキャンプ地で発見された日記やカメラに撮影された写真などを材料に推定している。

1959年1月31日 未開の原生林を北西方向に進んできた一行はオトルテン山麓に到達
1959年2月1日 オトルテン山へ続く渓谷へと分け入った

ここで道を間違えて、予定とは違う場所でキャンプを張ることになった。
それが事件の起こったホラート・シャフイル山(死の山)の
遮蔽物もない山の斜面でした。

捜索と発見

1959年2月12日 登山が終わっても電報が来なかったが待つ。
1959年2月20日 親族たちの要請でウラル科学技術学校はボランティアの学生や教師からなる最初の救助隊を送る。

その後軍と警察が腰を上げ、救助活動はヘリコプターや航空機を投入した大規模なものに

1959年2月26日 捜索隊が損傷して放棄されたテントを発見

ミハイル・シャラヴィンがテントを発見

テントを発見したミハイルはその状況が異常だったと証言している。
「テントは半分に引き裂かれ、雪に覆われていました。中には誰もおらず、荷物はテントに置き去りにされていました」と語る

発見の状況は

テントは内側から切り裂かれていた。
8つないし9つの靴下の足跡、片足だけ靴を履いた足跡、そして裸足の足跡が谷とは反対側にあったが、500メートルで雪に覆われ見えなくなった。

森の中の木の下で、下着姿で靴を履いていないユーリー・クリヴォニシェンコと、ユーリー・ニコラエヴィチを発見、焚き火の跡があった。(木に登った形跡があった)

木から300メートル、480メートル、630メートル離れた位置で別々にディアトロフ、ジナイダ・コルモゴロワ、そしてルステム・スロボディンの3人を発見。

残りの4人はさらに2ヶ月後の5月に発見

渓谷の中で、4メートルの深さの雪の下から発見
4人は他の遺体よりまともな服装していたことから
初めの木の近くの人たちからもらったものと推察された。

9人の亡くなった理由は

初めに見つかった5人は低体温症
そのうちスロボディンには、頭蓋骨に小さな亀裂を負っていた。

5月に発見された4人が特に異常だった

ボ=ブリニョールは、頭蓋骨に大きな傷があった。
ドゥビニナとゾロタリョフの両名は外傷がないのに肋骨が交通事故なみの骨折をしていた。

もう一人のドゥビニナが舌を失っていた

事件の謎のいろいろな説

人間関係のもつれ説・・これはユーリユーディンの証言によって
それはないことが確認された。

雪崩説・・・これは、今までこの場所では、雪崩は一度もない。
傾斜の角度が30度以上出ないと雪崩れはない。ここは20度だった。

葬式に参列した人が彼らの肌の色が「濃い茶褐色」だったと証言

衣類(ズボン2着とセーター)が高い線量の放射能で汚染されていた。
事件の当日、夜空に奇妙なオレンジ色の光球を目撃したと報告があった。
(後に、R-7大陸間弾道ミサイルを発射した光と判明)
テント内に残されたカメラから、最後の1枚が判別不可能ながら「光体」があった。

軍がこの地域を密かに利用し隠ぺいしていたとの憶測の大量の金属くずが発見された。

バイコヌール宇宙基地(ミサイルの試験発射実験した場所)から
ノヴァヤゼムリャのチェルナヤ・グバ(ソビエト連邦内の主要な核実験場だった)に繋がる場所にディアトロフ一行の最後のキャンプ地があった。

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奇跡体験!アンビリバボーでディアトロフ峠事件の真相が60年ぶりに

番組予告では

▽世界最大の謎に迫る!ロシア遭難事件とは!?60年目の真実を暴く!!

20世紀最大の謎と言われ、世界で映画化やゲーム化もされたディアトロフ峠事件!
1959年1月23日、旧ソビエト連邦下のウラル山脈北部で、男性8名、女性2名、計10名の大学生が山頂を目指していた。
出発から5日後、1人が体調不良により離脱を申し出たため、9人で山頂を目指すことに。
しかし、下山予定日を過ぎても大学生たちは戻って来なかった。
その後、捜索隊によって大学生たちの遺体を発見。
その状態は尋常ではなく遺体のほとんどが防寒着を着ておらず、全員靴を履いていない!登山経験が豊富な彼らとは思えない不可解な行動。
検視によって9人中6人が凍死である事が判明したのだが、残り3人は頭蓋骨陥没など、外から強い力が加わったと考えられた。
その内の女性の遺体の口内を調べたところ、舌がなくなっていたのだった。
謎の遭難事故。
ロシアの雪山で60年間眠っていた真相が明らかに!60年越しのアンビリバボーな真相とは!?

2008年ホラート・シャフイル山で金属製の板が発見

ウラル山脈北部ホラート・シャフイル山のディアトロフ峠の近くで奇妙な金属製の板が発見された

縦横長さ90cmほどの金属製の板で、表面には正方形のへこみが規則正しく並んでいる。

全体的に薄汚れていて、形も歪んでいるという。

発見者らが記録したGPS情報を元に、この金属板を改めて回収し
成分や製造年月が分析される。

この物体の正体について、画像を見た研究者らは、
ロシアの大陸間弾道ミサイルUR-100の燃料タンクの一部ではないかと推測されました。

これこそがディアトロフ峠事件の解決に繋がっていたのだろうか

ディアトロフ峠事件はヘアピン渦、ベダード博士によって明らかに

ディアトロフ峠事件はベダード博士によって60年後に明らかになった。

その原因は自然現象の「ヘアピン渦」によるものだった。

60年後で進歩した科学した解明されました。

ヘアピン渦は平に坂で起こりうる、風速は風力を増し
風速45メートルの竜巻が起こる。2.3分に1度起こっただろう。

その時に超低周波も発生する、強い風の音や頭痛などで
パニック状態になり、テントを飛び出してしまったのではないかと

ベダード博士は言った。

ディアトロフ峠事件は映画やドキュメンタリー、ゲームにもなった事件だった

未解決で不可解なディアトロフ峠事件は、映画やドキュメンタリー
ゲームにもなりました。

ノンフィクション

「Donnie Eichar(死に山)」

映画

映画『ディアトロフ・インシデント』
2013年2月28日公開

テレビ番組

ディアトロフ峠の謎
2000年 ウラル・テレビ

エンシャント・エイリアンズ
シーズン3, 第10話

テレビ番組ダーク・マターズ: ツイステッド・バット・トゥルー
2012年8月25日放送のエピソードにて

ロシアのトークショー番組”Let Them Talk”
2013年春の2時間スペシャルで事件の特集

ゲーム

ホラート -ディアトロフ峠の惨劇

事件をベースに作られたアドベンチャーゲーム
プレイヤーは不気味な雪山を探索しながら点在するメモを拾い集め、物語の謎に挑む

 

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