Pocket

高山良二は元自衛官!カンボジアの地雷撤去に定年後尽くした!
果樹園、ソラークマエ(お酒)を造り発展を務めた人物

スポンサーリンク



高山良二は元自衛官

高山良二(たかやまりょうじ)さんは元自衛官。
自衛官として36年間、勤務していました。

その所属部隊は、主に施設科部隊で、1992年から1993年には
国連平和維持活動(PKO)でカンボジアに派遣されました。

カンボジアは首都プノンペンで
1970年にカンボジア王国が倒れ20年以上内戦状態になっていました。
地雷や不発弾が大量に残ったままでした。

高山良二さんがPKOに派遣された半年では、破壊された道路や橋の整備を行い、地雷や不発弾の撤去はできなかったそうです。

地雷や不発弾は撤去できなかったことは高山良二さんにとっての
大きな後悔でした。
そして、任務を終え、帰国した時に
『まだやり残したことがある、必ず戻ってこよう』と決意したと言います。

定年までの間、高山良二さんは、英会話やパソコンを取得。
さらに、仏教国の国民を理解するために、仏教まで勉強します。

それから10年後、2002年に陸上自衛隊を定年します。

高山良二は定年後3日でカンボジアに

2002年に定年退職した高山良二さんはその3日後にはカンボジアへと旅立ちます。

退職金を活動のために出してほしいと妻に、懇願。
妻は後押しをすることになりました。

10年前に決意したカンボジアの地雷や不発弾を撤去しにいくためでした。

高山良二さんの職業をみると「日本の地雷処理専門家」とあります。
自衛官時代に培った技術です。
技術がありながら、PKOの時に撤去できなかった後悔を定年退職した60歳から異国で始めるとは、すごい決意です。

初めは、ベトナム国境付近で不発弾処理活動を行っていました。

一日処理できる不発弾はせいぜい3つ。
残っている地雷は400万個とも言われていました。

高山良二さんは数の多さと資金の無さから
心が折れ、2年少しで日本へ帰国することになります。

しかし、諦めたわけではありませんでした。

外務省を巻き込み、地雷を撤去できるカンボジア人を
育てるという世界で初めて住民参加による地雷処理活動を開始します。
2006年からは、タイと国境を接する地域、人口7千人のタサエン村に活動地に選びます。

タサエン村は、「地雷が一番多く埋設されていて、最貧困の村で活動したい」という高山良二さんの希望する地域を
カンボジア地雷対策センター(CMAC)のラタナ長官が指定したからでした。

タサエン村と周辺地域の土地を安全な土地に

2006年からバッタンバン州カムリエン郡タサエン地区で活動した高山良二さん。

村に入って感じたことは、地雷被災者が多いというのはもちろんのこと、道路も最悪で、エイズやマラリア、デング熱が多発していました。

村人はわずかな畑で細々と農業を営んでいて、
働く場所がないため、隣国タイに売られていく女性もあるなど、とにかく劣悪な環境だったと言います。

地雷は、データでは、1ヘクタール以上の地雷原が60箇所はあるとされていたことから、6、7年で除去できればと思っていたそうです。
しかし、畑や民家などあらゆる場所に地雷が埋まっており、10年以上経過してもまだ地雷除去が必要だったと言います。

高山良二さんは地域住民と日本人を巻き込んで
2011年 認定NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会を設立します。

今までに、対人地雷350個、対戦車地雷145個、不発弾682発を処理し、154ha(東京ドーム約33個分)を撤去し、タサエン村を安全な村にしてきました。

地雷が撤去された土地に

地雷が埋まっている土地には危なくて入ることもできず
畑や、果樹園など作ることなどできず、村は貧困に陥っていました。

高山良二さんは地雷や不発弾など撤去するだけでなく
その後、村が潤うようによう尽力します。

安全になった土地に、果樹園や畑を育てます。
しかし、まだ村人の生活は厳しいままでした。

その理由は、
「村人は生きるためにキャッサバ芋を植え、タイに安価で売っていました。」

ソラークマエを作る

高山良二さんは、村人の収入源創出のために、村特産のキャッサバ芋を使って焼酎を作ろうと考えたのでした。

日本の酒造メーカーの協力を得、9年をかけて
豊かで深い味わいの美味しいお酒「ソラークマエ(赤)」を誕生させます。

スポンサーリンク


Pocket

コメントは利用できません。