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貴乃花親方の家族は?「すべてを語る」沈黙を破った
テレ朝で「独占緊急特報!!貴乃花親方 すべてを語る」

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貴乃花親方が沈黙を破って「すべてを語る」

2018年2月7日午後7時から2時間スペシャルをテレビ朝日で放送する。

6日の報道ステーション内で

“3カ月半の沈黙破り”
“3時間半に及ぶテレビ朝日の独占インタビュー”

などと発表した。

番組予告には

(1)覚悟の理事選“敗れて悔いなし”全胸中を激白
(2)貴ノ岩関傷害事件とケガ全真相
(3)協会と深い溝…無言の裏で提出文書数十通 猛抗議
(4)“独りに立ち返る”相撲道貫く信念

となっている

「あいつ今何してる?」(後7・00)、「くりぃむクイズ ミラクル9」(同8・00)は急遽お休みとなった。

「神事に反する」と語る

貴乃花親方が覚悟を持って立候補した日本相撲協会の理事候補選挙(理事選)で敗れてしまった全胸中を激白する

貴ノ岩関傷害事件と、ケガの真相が明らかに

また、無言の裏で日本相撲協会へ数十通にも及ぶ提出文書によって猛抗議をしていた全貌

貴乃花親方が“相撲道を貫く信念”を語る

と頑なにに口を閉ざしていた貴乃花親方は何を語るのか。

「神事に反する」とは
〇行事件が本当であれば、それに関わった力士は土俵に上がるのは「神事に反する」と貴乃花親方は主張する。

立候補したために3階級の降格となってしまった。
それに関して貴乃花親方は
「そんなのは関係ないという、親方ですから」

これからの相撲改革についても熱く語る

 

貴乃花の家族は

父は元大関貴ノ花利彰(花田満)、母は藤田紀子(藤田 憲子)。兄は花田虎上(花田 勝)

父は2005年に亡くなっていて、両親は、2001年に離婚している。

母と兄とはその後疎遠になっているのというのは有名だ。

兄と母は交流しているという。

妻は河野景子さん、元フジテレビのアナウンサーで最近亡くなった「有賀さつき」さんとは同期で八木亜希子さんと
「花の3人娘」と呼ばれていた、
バブル時代の華やかなタレントアナウンサーの先駆けだった。

1男2女の父親でもある。
長男の男の子にはとても厳しいが、女の子にはメロメロだと
長男の優一さんはバラエティ番組で語っていた。

息子の優一さんは、「靴職人」としてメディアにも出演する。
2017年10月30日一般女性(元幕内・富士乃真、陣幕親方( 矢木哲也)(九重部屋)の娘)との結婚を報告

つまり、貴乃花親方と理事選の投票権を持つ陣幕親方と親戚関係にある。
理事選での貴乃花親方の得票の2票の1票は陣幕親方ではないかと言われている。

貴乃花のプロフィール

四股名   貴乃花 光司
本名    花田 光司
愛称    コウジ
生年月日  1972年8月12日
年齢    45歳
出身    東京都杉並区
学歴    明大中野中卒業
NHK学園高等学校(通信制)卒業
放送大学教養学部修了
身長    185cm
体重    161kg (現役時)
73kg (2016年)
血液型   O型
BMI     47.04(現役時)
21.30(2016年)
所属部屋  藤島部屋→二子山部屋
得意技   突っ張り、右四つ、左四つ、寄り、上手投げ

成績
現在の番付  引退
最高位    第65代横綱
生涯戦歴   794勝262敗201休(90場所)
幕内戦歴   701勝217敗201休(75場所)
優勝     幕内最高優勝22回
幕下優勝2回
賞      殊勲賞4回
敢闘賞2回
技能賞3回

東京都杉並区阿佐ヶ谷生まれ、中野区育ち
初代若乃花は伯父(父の兄)。
二代目若乃花はかつて義理のいとこ(伯父の娘婿)

元々は右利きだが、相撲の影響で痺れが残り、現在は左利きで過ごしている。

現在は大型自動二輪免許を取得、ハーレーダビッドソンに乗っている
現役力士は車の運転禁止となっているから、引退してから取得したわけだ。

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相撲への思い

父の現役引退が契機で、
「自分が将来、相撲の世界に入って、父が果たせなかった夢を実現させるんだ」
と横綱になることを決意して相撲の世界に入っている。

小学5年生の時、わんぱく相撲の全国大会に優勝
明大中野中に進学、同相撲部で武井美男監督から受けた廻しの切り方などの技術面の指導はのちにとても役立ったと言われている。

中学卒業後、角界へ入門。
中卒だと思っていたが、高校、大学と通信で卒業していたとは
ホントに努力の人だ。

その時から、父母でなくなり、師匠、と女将さんの関係になった。というエピソードは有名だ。

入幕

「貴花田」兄は「若花田」と人気に力士だった。

1989年11月場所、17歳2か月で新十両に昇進
大銀杏が結えず、ちょんまげ姿だった。

入幕前から相撲ファンの枠を超えた注目を集め「若貴フィーバー」平成初期の一大相撲ブームの担い手となった。

1990年5月場所、17歳8か月で新入幕。
一度は十両に落ちるも
11月場所で幕内には復帰

1991年3月場所では27年ぶりとなる平幕での11連勝を記録

1991年5月場所、西前頭筆頭まで番付を上げ、初日の取組が
小さな大横綱「千代の富士」と対戦する。

18歳9か月で大相撲史上最年少の金星と取る。
これが、「千代の富士」が引退するきっかけとなる一番だったと言われている。

父の貴乃花の引退のきっかけが若き千代の富士だった。
その千代の富士の引退のきっかけが息子の貴花田だったに
因縁を感じると当時は話題になっていた。

1993年1月場所で20歳5か月の若さで大関に昇進
「貴ノ花」に改名。

兄も「若乃花」に改名する。

勢いに乗って最年少20歳11ヶ月の横綱に昇進するかと思われるも横綱審議委員会がなかったため、横綱はお預けとなる。
貴ノ花から「貴乃花」に改名する。

1994年1月場所では21歳5か月での大関角番の最年少の記録も作る
次の場所で優勝。
その後も優勝するも綱取りが実現せず。

横綱へ

1994年(平成6年)11月場所後ついに横綱昇進が決定。

昇進伝達式で

「謹んでお受け(致)します。今後も『不撓不屈』(自身大関昇進の伝達式でも用いた)の精神で、力士として相撲道に『不惜身命』を貫く所存でございます」

と使者に答えた

この『不撓不屈』は今でもよくメディアに出される言葉だ。
貴乃花の横綱として、続いている。

この年1995年(23歳)プライベートでは8歳年上の河野景子と妊娠6ヶ月でできちゃった婚約(のち結婚)をし、世間を驚かせた

1996年(平成8年)9月場所後の巡業中、背筋の肉離れを起こすケガにより緊急帰京

ここからの貴乃花はケガを押して出場して体調を壊して休場したりと成績不振が続く

この頃のことを妻の河野景子さんや息子の優一さんは、
何も言わずにただ努力する人と
黙々とリハビリしたことをよく話している。

とにかく頭が下がる。
文句も言わずにただ、リハビリを続けていたと。

1998年の秋場所直前に、師匠である父・二子山親方(元・貴ノ花)が、兄・花田勝(のち花田虎上)(元・若乃花)を拒絶するようになった貴乃花に対して、
「貴乃花は懇意にしている整体師から洗脳されている」
と発言し「貴乃花洗脳騒動」が起きた。

2001年5月場所は初日から13連勝して完全無敵の強さだった。しかし14日目の武双山戦で土俵際で巻き落としを喰らって右膝半月板を損傷する大けがを負った。

幕内優勝が掛かっていたため、周囲の休場勧告を振り切り、翌日の千秋楽は無理矢理強行出場
土俵下に座る九重は仕切りの最中にも
「貴乃花、痛かったらやめろ!」と忠告したほどだった。

しかし、大方の予想を覆し、武蔵丸を豪快な上手投げで破った

勝利を決めた直後の鬼の形相と奇跡的な優勝に当時の小泉純一郎首相は、表彰式で

「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!おめでとう!!!」

と貴乃花を賞賛した

これは後世相撲史に語り継がれる大一番となった。

相撲史に残る大一番を制した貴乃花であったが、間もなくその代償は予想以上に大きい事がわかる。

手術をフランスで受けて再起を目指すも
貴乃花は2001年7月場所から2002年(平成14年)7月場所まで、1年以上も全ての場所で休場となってしまう
(7場所連続全休は大相撲史上ワースト1位である)

2002年(平成14年)9月場所、横審委員会からの勧告もあって、遂に8場所ぶりの出場に踏み切る。
12勝3敗の準優勝だった。

翌11月場所はまたも初日から全休する

2003年(平成15年)1月場所で
雅山戦では二丁投げで肩を負傷する。
翌3日目の旭天鵬戦は不戦敗、4日目まで途中休場する。

5日目から横綱では異例と言える場所途中からの再出場する。

しかし、1月場所8日目の安美錦との一番を最後にその翌9日目でついに現役引退を表明

当時まだ30歳(5か月)で、実父・二子山親方とほぼ同年齢での引退

引退会見で連発した

「非常にすがすがしい気持ち」
「心の底から納得しております」

は、一時流行語にもなった

日本相撲協会理事選に立候補

貴乃花親方は2010年1月8日に一門を離脱し単独で理事選に出馬することを正式に表明した。

一部マスコミでは「貴の乱」と称した

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