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西沢裕司 全日空61便ハイジャック事件は「操縦したかったから」長島直之機長が人質が初めて亡くなった1999年のハイジャック事件

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西沢裕司とはどんな人間

全日空61便ハイジャック事件の犯人とされる西沢裕司は当時28歳
機長の長島直之さんは操縦を拒否したことで亡くなってしまった。

「ジャンボ機を自分で操縦してみたかった」
「レインボーブリッジをくぐりたかった」
「宙返りやダッチロールをして見たかった」
「長島機長の心に向かって、疲れていませんかと問い掛けたら、疲れている、と答えたため楽にしてあげようと思いサした」

と言動が不明だったり、精神科入院・通院歴から
実名報道はすぐにはされませんでした。

しかし、「重大な犯罪である」と産経新聞が実名を記事中に掲載
夕刊には併せて顔写真の掲載したことから
刑事公判時には、全国紙や通信社配信記事でも実名掲載されるようになりました。

生年月日   1970年9月8日
年齢     48歳
出身地    東京都江戸川区小岩
学歴     私立武蔵中学校
私立武蔵高等学校
一橋大学商学部
職業     日本貨物鉄道元職員

東京地方検察庁は精神鑑定を実施後

1999年(平成11年)12月20日 初公判
ハイジャック防止法違反(航空機強取等致死)とサツ人罪、銃トウ法違反の罪

2005年(平成17年)3月23日、東京地方裁判所(安井久治裁判長)は犯人に対し、無期懲役の判決、刑は確定しました。

精神鑑定は2度行われました。
度目はアスペルガー障害、2度目は抗鬱剤による影響と鑑定するも
「刑事責任能力」は否定されなかったため

無期懲役の刑が確定し、現在も服役中のようです。

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西沢裕司はパイロットになりたかった

西沢裕司は小学校時代は鉄道好きでした。
大学時代になると飛行機が好きになり、

フライトシミュレーションゲームにのめり込み、
難しい羽田空港の30種類以上ある着陸パターン全て覚えたといいます。

ハイジャックした時に専門用語を言っていたのもこのゲームからだったようです。
シュミレーションゲームでは自信があり、実際の飛行機を体験してみたくなってしまったのでしょうか。

大学時代には、羽田空港で航空貨物の荷役(グランドハンドリング関係)のアルバイトを経験している。

大学卒業後には、パイロットになるために、日本航空、全日空、日本エアシステムと、大手航空会社の入社試験を受けるもすべて落ちてしまいます。

西沢裕司は23歳で鉄道関連会社に就職します。
エリート街道を歩いてきた西沢裕司にとって、航空会社に受からなかったが精神的に相当つらかったようです。

27歳の時に、家族が勧めて、精神科クリニックに受診します。
複数の精神科クリニックを受診するも結果は
統合失調症や心因反応と診断され大量に抗うつ剤が処方されたそうです。

家族は心配し、警察にも相談するようになります。
自サツ未遂を繰り返すようになってしまったからでした。

警察署によって精神病院に約2カ月間の措置入院することになり、
退院後は、引きこもり生活になっていきます。

その生活では、さらにフライトシミュレーションゲームに没頭。
飛行機を操縦する思いは強くなっていったようです。

羽田空港が特に好きだった西沢裕司は
ハイジャックの警備に対する盲点を発見することなります。
この盲点を使えば、機内に凶器を持ち込めることができてしまうと危険を訴えます。

実際に熊本行きの搭乗券を購入し、乗客として制限区域内で欠陥点を確認し

当時の運輸省
全日空
日本空港ビルデング
運輸省航空局東京空港事務所
東京空港警察署
関係箇所と大手新聞社など6カ所に

実名で手紙やメールを6カ所に宛てて送付した。

その時に、警備員として採用するように求めた。
しかし、空港側から1回返答の電話があっただけで、採用は断られた。

戦後重大事件の新事実2018 で全日空61便ハイジャック事件

戦後重大事件の新事実2018▼全日空ハイジャック&新幹線無差別殺傷事件

2018年12月25日(火)19時00分~23時24分の放送

全日空ハイジャック事件「レインボーブリッジをくぐりたかった」▼三原山大噴火…1万人の全島避難!史上初の脱出作戦
▼新幹線のぞみ殺傷事件
▼広島脱獄囚23日間の逃走劇

番組内容
2018年「東海道新幹線のぞみ無差別殺傷事故」
なぜ犯行に及んだのか?犯人の足跡を公開!現場では一体何があったのか?たった1人の決死の救出劇!乗客880人を守った英雄の素顔とは
1999年「全日空ハイジャック事件」
厳重警備の中、凶器を機内に持ち込んだ男!衝撃告白!「ジャンボ機を操縦したかった」地上219m!墜落寸前の機体を救えるか!?これまでテレビで明かされなかった! 独自取材で新証言

全日空61便ハイジャック事件の詳細は

ハイジャック機

ハイジャックの機体 ボーイング747-481D
全日空61便 羽田空港発新千歳空港行
1999年(平成11年)7月23日午前11時23分 離陸
乗務員
コックピットクルー
機長   長島 直之(ながしま なおゆき、51歳)
副操縦士 古賀 和幸(こが かずゆき、34歳)
客室乗務員 12名
乗客
犯人1名・デッドヘッド数名を含む503人
乗員14人+乗客503人の計517人でした。

ハイジャックの様子

1999年7月23日午前11時23分、羽田発新千歳行きの全日空061便ジャンボ機は定刻より30分ほど遅れて羽田空港を離陸

離陸直後、西沢裕司は大声を上げて、立ち上がり、客室乗務員に包丁を突きつけ、コックピットへ行くよう指示。

11時25分、機長の長島 直之(ながしま なおゆき)さん51歳より
地上管制に「ハイジャック発生」の緊急通報が発せられた。

西沢裕司は、コックピットへ侵入した後、横須賀への飛行を指示し長島機長は、指示に従い南西方向へ変針する。

61便は木更津上空を通過して横須賀方面へ飛行し、犯人は続けて伊豆大島方面への飛行を指示。

午前11時38分 犯人は副操縦士らをコックピットの外へ追い出して扉を閉め、長島機長と西沢裕司と二人ででコックピット内に留まった。

午前11時45分頃、航空局にハイジャック対策本部が設置

午前11時47分 61便は横須賀東方付近の上空に到達。
三浦半島上空を通過して相模湾上空に入る。

一旦大島方向に南下するコースを指示したあと、目的地を横田基地へと変更して変針するよう指示する。

その後、機内アナウンス「本機はハイジャックされています」と乗客に知らされます。

西沢裕司は長島機長に、自分に操縦させるように要求したと言います。
長島機長は、操縦させないようには西沢裕司をなだめるも叶わず。
11時55分、西沢裕司は長島機長を包丁で刺した後、自ら機体を操縦しようと試み、操縦席に座って実際に操縦行為を始めた。

その操縦は、
61便は北に変針して神奈川県上空を降下しながら北上、横田基地付近で急旋回して南下を始めると共に急降下するなど迷走飛行を行う
急速に高度を下げたことから地上接近の警告音が鳴る。

山内純二危機一髪 超低空飛行 地上200メートルから

危険を感じた古賀副操縦士と、千歳出発便の乗務のためデッドヘッド(非番)で乗り合わせていた機長の山内純二さん(2006年に定年前退職)と
乗客からの協力者数名が隙を突いてコックピットに突入。

西沢裕司が取り押さえられる寸前には機体は2分間に500m以上も高度を下げ、最も低くなった時には、高度200mという超低空飛行状態だったといいます。

仮にそのまま降下を続けていれば八王子市南部の住宅街に墜落したと推測された。

もしそうなれば、乗員乗客だけでなく、多数の市民も巻き込んで
日航機事故をも超える史上最悪の航空事故となった可能性が高いとされた。

12時3分 古賀副操縦士から「機長が刺された。犯人を取り押さえた」という無線連絡。

その危機を救ったのが非番の機長の山内純二さんでした。

12時14分 61便は古賀副操縦士の操縦により羽田へ引き返し12時14分に緊急着陸した。

長島機長は、乗客として搭乗していた医師により機内で死亡が確認された。

西沢裕司は凶器を機内の持ち込めると実証

事件当日の西沢裕司の行動は

羽田からJAL機で大阪伊丹間を1往復。
復路到着後の61便への乗り継ぎ搭乗時に西沢裕司自身が指摘した通り
手荷物検査をやり過ごして凶器(ハ物)を機内に持ち込むことに成功し、犯行に及んだと推定されている。

犯行の際に購入した航空券は有効期限内であれば予約変更が自由である普通(ノーマル)運賃。

凶器を持ち込むために利用した羽田発伊丹行の予約ではタカハイカツヤ(オウム事件の手配者)の偽名で予約していた。

羽田発新千歳行では、佐々岡真司(当時広島東洋カープの投手)の偽名を使っていた。

61便への搭乗とは別に、ANA851便(羽田発函館行)の航空券も購入し、犯行当日に61便とは別にチェックインを行ったことが判明している。

西沢裕司の防犯の対応

西沢裕司が指摘した防犯の対応を事件後対応している。

主立った対策としては、保安検査場の金属探知機感度の引き上げ、
盲点となった1階到着ロビー(受託手荷物返却場)入場後の2階ゲートラウンジ(出発口)への後戻りができないよう、自動改札機に似た逆流防止ゲート(「進入禁止」の標識があり、逆戻りすると警報音が鳴る)の設置とその付近で監視する警備員の配置がある。

これにより犯人が実践した、61便の搭乗手続・セキュリティチェックを経て入場したゲートラウンジから到着ロビーの受託手荷物返却場へ向かい、
伊丹からの乗り継ぎ到着便の受託手荷物に入れた凶器を取り出してゲートラウンジへ逆戻りする事でセキュリティチェックを免れて搭乗するという手段は不可能となった。

さらに、それまで機長の裁量で認められてきたコックピットへの一般乗客の見学・立ち入り禁止。

ダッチロールは、

西沢裕司が飛行機を操縦してみたかった、その中に

宙返りやダッチロールをしてみたかったというものがあった。
ダッチロールとは、

航空機が横滑りをしたとき、大きな内外の翼の迎角差が生じ、
強い反対方向のローリングモーメントが発生することがある。
このとき、横滑りの原因になった傾きは解消するが、今度は勢い余って反対側に傾いてしまうことがある。
この傾きも揺り返しでまた反対側に傾くと言う繰り返しになり、
左右にロールする振動を発生する。

この不安定な飛行状態をダッチ・ロールと呼ぶ。

宙返りやダッチロールを大型旅客機でできると
西沢裕司は信じていたのだろうか。

リポーターの緒方昭一が搭乗していた

フジテレビ『とくダネ!』リポーターの緒方昭一が搭乗していたこと判明。

当日のフジテレビのニュースでは緒方リポーターによる事件
当時の機内の様子などの証言が放送され反響を呼んだ。

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