Pocket

藤原洋さんの夢。松山洋『.hack//G.U.』がガンで両眼摘出の19歳の藤原洋さんの夢をアンビリバボーで
『エンターテインメントという薬 ー光を失う少年にゲームクリエイターが届けたものー』とは

スポンサーリンク



2018年3月1日放送のアンビリバボー

ガンで両眼摘出の少年最後の夢…光を失う前にあのゲームがしたい制作者が実現に奔走!勇気を与えた特別な日々!
少年と10年後感動再会!そして明かされた(秘)真実

番組予告では

2006年11月、ゲームソフトの企画開発会社の松山洋代表取締役社長は『.hack//G.U.』というゲームを開発。

ゲームの中に登場する人物が特殊なゴーグルを着け、自分の意識の中で冒険に繰り出すというもので、発売元になるバンダイナムコゲームスに納品をしたところだった。

その直後、松山の元に1本の電話が。
バンダイナムコゲームス担当者からで
「急きょ、ガンを患う少年に会いに行って欲しい」
というものだった。

眼球にガンのある少年が3週間後に摘出手術を受けるという。
残された時間、家族や友人と過ごす以外に、彼にはどうしても叶えたいことがあった。

それは「発売前の新作のゲームをやりたい」という願い。
そのゲームが『.hack//G.U.』だったのだ。

少年の思いを知った松山は、発売前の試作品のゲームを少年に届けた。
偶然にもその日は12月25日。
少年は思いもしなかったサプライズプレゼントに大喜びだった。

この出来事は、松山たちにとって「特別な出来事」として胸に刻まれた。
なぜならゲームはいわば娯楽であり、その必要性を疑問視する声も多い中、少年が最後にゲームを選んでくれた事は自分たちの仕事に意味があることを教えてくれた出来事だったからである。
その後少年は手術を終え、光を失った。
しかし、物語はこれで終わりではない…。
意外な事実の数々が、10年後、時を経て明らかになる。

『エンターテインメントという薬 ー光を失う少年にゲームクリエイターが届けたものー』
という本になってこの出来事が紹介される

スポンサーリンク



松山洋のプロフィール

氏名    松山 洋(まつやま ひろし )
生年月日  1970年11月23日
学歴    東福岡高等学校、九州産業大学商学部卒業
愛称    ぴろし

福岡県出身の日本のクリエイター、映画監督。
福岡県のゲーム製作会社「サイバーコネクトツー」
代表取締役社長

1996年 大学時代の友人とともに「サイバーコネクト」を設立
2001年 代表取締役に就任
社名を「サイバーコネクトツー」

『.hackシリーズ』は代表作だが
ゲームのみでなく、メディアミックス作品の原作や監修として中心的な役割を担っている。

2007年 ゲームの監督業を降りゲームデザインや監修する立場に回る
映画監督でもあるが
彼の作る映画は映画ではなく、ゲーム映画だと
バンダイナムコゲームス副社長 鵜之澤伸は言っている。

代表作の『.hackシリーズ』とは

ゲーム版.hack、.hack//Games)とは、サイバーコネクトツーが制作し、バンダイ(後のバンダイナムコゲームス)が発売したテレビゲーム

.hack(ドットハック)は、バンダイナムコグループを中心とした企業群による、ゲームを主軸としたメディアミックスプロジェクト。
Project .hackまたは.hack Conglomerateの名義で公表されている。

『.hackシリーズ』のゲーム作品には、自らをモデルとしたCyberConnect Corporationのグラフィックデザイナー・松山洋を登場させ、そのプレイヤーキャラクターは「主要人物ではないが、ストーリーに絡むキャラクター」を演じさせている。
本プロジェクトの作品は、架空のMMORPG「The World」で起きた事件を主題にした一群のストーリーを持っている。
2002年4月から展開された第1期と、
2006年4月から展開された第2期、
2010年3月から展開された第3期と大きく分かれている。

第1期
2002年から2003年にかけて発売されたvol.1?vol.4までの四部作および発展させた.hack//fragment

2006年以降に発売されたゲームは、旧シリーズと区別する意味で

第2期
.hack//G.U.を2ndシーズン

第3期
.hack//Linkを3rdシーズン

とされている。

ガンで両眼摘出の藤原洋さん最後の夢とは

生後9ヶ月で片目を癌で摘出。
片目で暮らしていたが、19歳の時もう片目に転移してしまい
残った片目の摘出手術を決断しなけらばならなかったのだ。

アンビリバボーにでてくる藤原洋さんはスリーのゲームをしたいのが夢だった。

連絡を受けたのは2006年12月23日だった。

ゲームの発売日は2007年1月19日
手術の日は1月9日だった。

松山洋さんがスタッフから連絡を受けたのは2006年の11月だった。
そして、少年の元へ届けられてのが2006年12月25日、クリスマスの日だったという。

そして、少年は手術までにゲームをクリアし、
手術をし、光を失った。

藤原洋さんが最後にゲームを選んだわけ

松山洋さんは、これから目が見えなくなるという時に
自分たちが作ったゲームをしたいという少年の気持ちに感動していた。

母子家庭で育った藤原さんは母がいない寂しさをゲームが救ってくれていたという。

ゲームは「遊び」
それを仕事をしていることに意義を探していた

なぜ、最後にこのゲームを選んでくれたのかその理由を知ることになる。

それはゲームの内容だった

ゲームの中に登場する人物が特殊なゴーグルを着け、自分の意識の中で冒険に繰り出すというもの

目が見えなくなっても意識の中で行動ができる。
実際に行動できなくても、その世界に行くことができることが
藤原さんは何より楽しかったそうだ。

この出来事から10年後の藤原洋さん

松山洋さんは10年後新しいゲームの企画をしていた。
藤原洋さんが

2017年4月宮城県に藤原洋さんに会いに行った。
31歳になっていた藤原洋さん。

交通事故で視力を失った女性と結婚していた。
娘さんも誕生していた。

それから取材をして本を書くことになる。

エンターテインメントという薬 -光を失う少年にゲームクリエイターが届けたもの-【電子書籍】[ 松山 洋 ]
スポンサーリンク



スポンサーリンク


Pocket

コメントは利用できません。