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矢野伊吉は財田川事件の谷口繁義さん再審のため裁判官から弁護士へ!人生を賭けるも無罪判決の前に

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矢野伊吉(やのいきち)さんは財田川事件の弁護人
として、人生を賭けた人物。
裁判官時に、財田川事件が再審を却下されると弁護士となる。

財田川事件(さいたがわじけん)とは

四大死刑冤罪事件の一つ
免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件

財田川事件(さいたがわじけん)とは

1950年(昭和25年)2月28日に起きた強盗殺人(刺殺)事件とそれに伴った冤罪事件。

奇跡体験!アンビリバボー

2018年5月24日放送の奇跡体験!アンビリバボーで放送
この回は【実録!アナタならどうする!?人生変える決断SP】

▽ビートルズ・ジョンレノン脱走計画!?▽絶体絶命!?暴走バスを停止せよ▽99.9%より高い壁!?無実死刑囚を救い出せ!!裁判官の驚くべき行動とは!?
番組内容
あなたなら!?運命を左右した3つの決断とその結末は!?

■今から52年前、ビートルズが初来日。羽田空港に降り立った4人の映像は多くの人の記憶に残っているが、実はその中に、ジョン・レノンから人生を左右する決断を迫られた男が映っていた。ビートルズ来日中の賠償保険を、この男性が勤める外資系の保険代理店が担当。さらにカメラ映えするということで、会社所有のピンクのキャデラックをビートルズ来日時のスタッフ移動用に貸し出すことになったのだが、そこでまさかの事態が発生!さらに、世界的スターのジョン・レノンからの脱走依頼!?この無謀過ぎる依頼に、彼の決断は!?
■勾配20度の急な坂、通称“地獄坂”で木炭バスが停止!ブレーキが故障する中、バスは徐々に後退し、その先には高さ10メートルの断崖が。このままでは乗客を乗せたまま崖に転落してしまうという中、車掌が下した決断とは!?

■近年、死刑判決から逆転無罪を勝ち取ったというニュースを耳にするが、かつては死刑判決を覆すことは不可能とさえ言われていた。そんな時代に、死刑判決が覆され再審が行われたのが“財田川事件”。実は、この歴史的裁判の裏には、ある男性の人生を賭けた決断があった!!

事件の概要

1950年2月28日、香川県三豊郡財田村(現三豊市)で、闇米ブローカーの香川重雄さん(当時63歳)が全身30箇所に傷を追い亡くなった。現金1万3000円を奪われた。

さらに1ヶ月後の4月1日、隣町の三豊郡神田村(こうだむら)で2人組による強盗事件が発生した

その事件で逮捕されたのは、谷口繁義(たにぐちしげよし)さん当時19歳ともう一人。
この2人は『財田の鬼』と近隣で嫌がられていた不良組だったという。

しかし、もう1人にはアリバイが確定し、釈放された
谷口繁義さんは、弟と寝ていた谷口さんのアリバイは親族ゆえに成立しなかった。

4カ月にわたる過酷な取り調べによって谷口さんは、自白の強要されたとされる。

8月23日、谷口繁義さんは起訴された。

裁判

1950年11月6日に高松地方裁判所丸亀支部で第一回の公判

谷口さんは冤罪を訴えるも、犯行時に着用していたズボンに付いていたO型の血液型が谷口さんの物だと新たな証拠を出してきた。

この真実は、今でも不明だとされる。
(現在の血痕鑑定では血痕そのものだけでなく、どのようにして血痕が付着したかについても鑑定が行われるようになっている)

1952年(昭和27年)2月20日、高松地方裁判所丸亀支部は死刑判決

控訴するも
1956年(昭和31年)6月8日、高松高等裁判所で控訴を棄却
さらに上告も
1957年(昭和32年)1月22日、最高裁判所も上告を棄却

谷口さんの死刑は確定する。

後に問題となったのは

.素行不良との風評から地元において犯人との噂話があったことを前提であったこと。

.別件逮捕で長期勾留を継続したことと

.代用監獄による警察施設での食事を含む24時間の過酷な管理下におき、精神的肉体的限界のもとで自白を迫ったこと

再審請求

1969年、GHQ占領下で起訴された死刑確定事件6件7名に対して恩赦検討開始

検討されるも、谷口さんは恩赦を受けられなかった。
その後法務省刑事局は、法務大臣に提出する死刑執行起案書を作成する書類が揃わず、死刑執行手続きが取れなくなっていた。
そのため、谷口さんの死刑は無期限延期状態であったという。

1964年(昭和39年)に再審請求を高松地裁に送っていた。
その内容は

「3年前の新聞記事によれば古い血液で男女を識別する技術が開発されたとあるが、自分は無実であるからズボンに付着した血液の再鑑定をおこなってほしい」

と記してあった。

その手紙を最高裁判決から12年後の1969年(昭和44年)、高松地裁丸亀支部長であった矢野伊吉裁判長によって5年ぶりに発見された。

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矢野伊吉さんが再審に動き出す

1969年当時、高松地裁丸亀支部長の矢野伊吉裁判長によって
再審請求がされた。

しかし、開始直前に反対運動が起こる。
判事3人の承諾が必要、直前に裏切りにあい、そのまま
裁判所を退官することになってしまった。
「手紙ごときで再審はおかしい、引っ込め」などの暴言などだった。

矢野伊吉さんは裁判官を辞めて弁護士になり、戦いが始まる

矢野伊吉さんは裁判官を辞め谷口さんの弁護士となり、

1976年(昭和51年)10月12日、最高裁は谷口の自白に矛盾があるとする「3つの疑問と5つの留意点」を指摘して高松地裁に差し戻した。

5つの疑問とは

.長期勾留と拷問による
.自白強要自白調書が捜査機関によって不正作成されている
.犯行を告白した手記が偽造されている(谷口さんは漢字が書けなかった)
.物的証拠を捏造している
.高松地検丸亀支部による公判不提出捜査記録の破棄
.弟と一緒に就寝していたというアリバイが成立する

1979年(昭和54年)6月7日に高松地裁は再審開始を決定
1981年3月14日 再審が始まる。

東大の教授が科学の進歩により血痕に疑問が残る
さらに、自白調書にも疑問が生じる

無罪が確定する

1984年(昭和59年)3月12日に高松地裁は無罪を言い渡す。

その日に谷口さんは釈放された。
実に獄中生活34年目にして放免され、故郷の財田町に戻った

矢野伊吉さんは無実を聞けなかった。

矢野伊吉さんは
1983年(昭和58年)3月に他界(享年71)していた
無実が言い渡されたのは
1984年(昭和59年)3月12日

一年、間に合わなかったのだ。

谷口繁義さんは、2005年(平成17年)3月、香川県琴平町の病院に脳梗塞などを患い入院。

7月26日に心不全のため死去した。享年74歳だった。
谷口さんの死が明らかになったのは

半年近く経った2006年1月5日だったという。

19歳から34年間獄中生活だった谷口さんの74年の人生が終わってしまった。

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