Pocket

牧野富太郎はとと姉ちゃんでも坂口健太郎の尊敬する
「日本の植物学の父」で自らを「植物の精(精霊)」

スポンサーリンク



牧野富太郎ととと姉ちゃん

牧野富太郎がとと姉ちゃんとどんな関係があるかというと
とと姉ちゃんは戦前戦後の昭和の時代をたくましく生きた女性の話でした。

とと姉ちゃんは、2016年4月から10月まで放送された
高畑充希さん主演のNHKの「連続テレビ小説」。
第94シリーズです。

その中で星野武蔵(ほしの たけぞう)という帝大生と出会い恋に落ちる、家族のために結婚は諦めるが、その星野武蔵役が坂口健太郎さんで、新種の植物を探しているちょっと変わった丸メガネの学生さんでした。

新種の植物を見つけた!と思いきや「牧野富太郎」がすでに発見していたものだったことが分かる。
しかし、坂口健太郎さんは尊敬する「日本の植物学の父」と
紹介されるのでした。

仕事に生きたとと姉ちゃんで雄一の恋バナの相手坂口健太郎さんが尊敬する植物学者の牧野富太郎さんという登場でした。

牧野富太郎、歴史秘話ヒストリアに登場「私は植物の精である」

2019年1月23日(水)22時25分~23時10分の放送

歴史秘話ヒストリア「“私は植物の精である”牧野富太郎 夢の植物図鑑」

番組予告では

日本植物学の父と呼ばれる牧野富太郎は1500種以上の植物に命名し、全国の植物を詳しく記した図鑑を完成させた。自らを「植物の精」と語った魅力的な人物像に迫る。

番組内容
日本植物学の父と呼ばれる牧野富太郎。少年時代から故郷・高知の大自然の中、独学で植物学を学んだ。学歴は小学校中退ながら、22歳で東大の植物学教室へ出入りを許されると、北は北海道利尻島から南は奄美まで隈なく調査。新種の草に「ヤマトグサ」と命名したのを皮切りに1500種以上の植物に学名を与え、78歳で全国の植物を網羅する「牧野植物図鑑」を完成させた。自らを「植物の精」と語った自由奔放な人物像に迫る。

出身地の高知県高岡郡佐川町にもNHKの歴史秘話ヒストリアの取材に行ったと町のホームページにも出ていました。

小学校中退という今では考えられない学歴の持ち主。
しかし、15歳でその中退した佐川小学校で「授業生」すなわち臨時教員としておよそ2年間教鞭を取っている。

牧野富太郎の生まれたのは1862年文久2年。江戸時代、徳川家茂の時代
亡くなったのは94歳で1957年、昭和32年。
なんと6元号を生き抜いたことになります。

文久1861-1864
元治1864-1865
慶応1865-1868
明治1868-1912
大正1912-1926
昭和1926-1989

スポンサーリンク



牧野富太郎のプロフィール

氏名   牧野富太郎の(まきのとみたろう)
幼少期  成太郎
生誕   1862年5月22日(文久2年4月24日)
死没   1957年1月18日(昭和32年)94歳没
研究分野 植物学
出身地  高知県高岡郡佐川町
出身校  佐川小学校(中退)

「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威。

生まれた日は「植物学の日」に制定され、自らを「植物の精である」

『牧野日本植物図鑑』に代表され、研究成果は50万点もの標本や観察記録されている。

小学校中退なのに、理学博士の学位も得ている。
数々の戦争などあった中、江戸時代から昭和まで生きたのもすごいことでしょう。

生まれたのは、土佐国佐川村
「佐川の岸屋」と呼ばれた商家(雑貨業)と酒造業を営む裕福な家に生まれる。
子供も頃から植物に興味を持っていた。

生まれた時には、成太郎であったが、2歳で父を、5歳で母を、6歳で祖父を亡くして「富太郎」に改名した。
その後は祖母に育てられる。

10歳より土居謙護の教える寺子屋へ通い、11歳になると郷校である名教館(めいこうかん)に入り儒学者伊藤蘭林(1815年-1895年)に学ぶ。

当時の同級生はほとんど士族だった。
福沢諭吉の『世界国尽』、川本幸民の『気海観瀾広義』など、
西洋流の地理・天文・物理を学ぶ。

名教館(めいこうかん)は、学制改革により校舎はそのままに佐川小学校になる。
その佐川小学校を2年で中退した経歴を持っている。

実家の酒屋は祖母と番頭が仕切っていた。
牧野富太郎は、造り酒屋の跡取りだったが、気ままに生活していたという。

15歳 佐川小学校の臨時職員に2年間なる。
同時に植物の採集、写生、観察などの研究を続けていた。
牧野富太郎は、
「私の植物学の知識は永沼先生に負うところ極めて大である。」

とされる高知師範学校の教師永沼小一郎を通じて欧米の植物学に触れ、当時の著名な学者の知己も得るようになる。

17歳 江戸時代の本草学者小野蘭山の手による「本草網目啓蒙」に出会う。
そして、本草学とりわけ植物学に傾倒するようになる。
「植物の精(精霊)」と感じ
日本中の植物を同書のようにまとめ上げる夢を抱き、それは自分にしかできない仕事だと確信する。

19歳 番頭の息子と会計係の2人を伴い初めて上京する。
植物への研究心が固まり、書籍や顕微鏡が欲しくなったため

22歳 東京帝国大学理学部植物学教室の矢田部良吉教授を訪ね、同教室に出入りし、文献・資料などを自由に使用できるように。

25歳 同教室の大久保三郎や田中延次郎・染谷徳五郎らと共同で『植物学雑誌』を創刊
この年に育ての祖母が亡くなる。

26歳 『日本植物志図篇』の刊行を自費で始める。
当時の日本には存在しなかった、日本の植物誌であり、
今で言う植物図鑑のはしり。

27歳 新種の植物を発見
『植物学雑誌』に発表し、ヤマトグサと名をつける。

28歳 東京の小岩で水路で偶然に見慣れない水草を採集する
これは、ムジナモの日本での新発見だった。
ムジナモは、世界的に点々と隔離分布する。

これを正式な学術論文で世界に報告し、世界的に名を知られるようになる。
この年に小澤壽衛子と結婚。大学付近の根岸に居住する。
しかし、矢田部教授・松村任三教授らにより植物学教室の出入りを禁じられ、研究の道を閉ざされる。

『日本植物志図篇』の刊行も六巻で中断

失意の中、郷里の高知に帰郷し、地元の植物の研究する。

その後、知人の助力により、駒場の農科大学(現・東大農学部)にて研究を続けることができるようになり、東京へ戻る。

スポンサーリンク



スポンサーリンク


Pocket

コメントは利用できません。