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河本光善(かわもとみつよし)さん 宇佐美貴史が勝てなかった天才 何故暴走族に?!彼を救ったのは?

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河本光善さんは宇佐美貴史の勝てなかったガンバジュニアユースの先輩

河本光善さんは、宇佐美貴史の一つ年上で
12歳以下、14歳以下の日本代表として、原口元気(27)らを控えに押しのけ主力選手として活躍。
雑誌で特集が組まれるほどだったいいます。

宇佐美貴史選手によると天才気質で、彼らの世代はみんな
河本光善さんに憧れていたといいます。

河本光善さんはガンバジュニアユースで10番を付けてプレーしてました。
その天才、河本光善さんは15歳にしてサッカー界から姿を消していました。
消えた天才のスタッフの河本光善さんを探すのは大変だったそうです。しかし、探しで河本光善さんご本人がテレビに出演してくれました。

河本光善さんがテレビ出演へ

中学生で「プロになれる」と自覚しており、自他とも認めるサッカーが
天才的に上手だったという河本光善さん。

河本光善(かわもとみつよし)さんを探すのが大変だったそうで
1ヶ月もかかったとか。

河本光善さんは、破天荒な人で、どんな人になっているか
宇佐美貴史さんは、こんなにワクワクすることはないと
とても楽しみと言っていた。

現在は、電話の回線の工事の仕事をしているという。
大阪に住み、7年前に結婚し、2人のお子さんもいるという。

なぜ、サッカーを辞めてしまったのか。

破天荒なプレースタイルのため、チームプレーができず
パスが回って来なくなり、ガンバ大阪を退団することなったという。

サッカーを辞めた後は喪失感から非行に走り、暴走族にも
なっていったという。

周りから「河本は終わった」と言われるようになった。

それを救ってくれたのは中学時代から付き合っていた彼女
まゆさんだった。

毎日、手紙を送り、「変われると信じている」と
待ってくれたという。
彼女には感謝しかないと、それが奥さん。

番組は、河本光善さんに宇佐美貴史さんをどう思っていたのか
聞いてみた。

すると、
「中一で宇佐美貴史が入ってきた時に、こんなうまい人見たことない」
「2番になってしまうのが怖かった」という。

憧れていた河本光善さんにそんな風に思われていたことに
「鳥肌が止まらない」と

宇佐美貴史さんは、代表で原口元気さんと一緒になると、
今でも河本光善さんの話をすることがあるという。

この番組の出演がきっかけか、サッカーを止めて一度もボールを
蹴ったことがなかった河本光善さんがボール蹴ることに。

その技術は、ブランクを感じさせないほどの上手さ
その姿を見ている奥さんの嬉しそうな顔が印象的でした。

息子さんがサッカーをやりたいと言い始めたそう。
もしも、本当にやりたいというならば、代表を目指せるような
選手になるように教えたいと言っていた河本光善さん。

ここで、スタジオにいた青山学院大学の陸上部の原晋監督が口を開く。

以前の日本の監督、コーチ陣は調和、協調性を重んじてしまうことが
多かったと。
だから、天才を破天荒を、人と違うことをすることを
育てることができなかったことが多かったと思うと

「それは指導者として謝りたい」と

誰もが認める天才、逸材が育たなかったのは指導者にも原因があるだろうと。
体罰やモラハラもしかり、これからは指導者も変わっていかなくては
行けない時代になっているのでしょう。

「消えた天才」には、指導者に恵まれていれば一流になり、輝いた人が
いたのかもしれません。

それを口にできる原晋監督。
箱根駅伝を連覇している原晋監督が発言することの意味は大きいでしょう。

消えた天才 日曜日のレギュラーに

消えた天才 ★五輪金メダリスト&W杯日本代表が勝てなかった天才SP★
2018年11月4日(日) 18時30分~20時54分 の放送

▼五輪3連覇・野村忠宏が人生1度も勝てなかった天才兄!消えた衝撃理由に涙…23年ぶり兄弟対決!?
▼高橋尚子が完敗した天才!電撃引退の真相「高橋の金メダルで引退」

番組内容
▼W杯日本代表・宇佐美貴史が絶対に勝てなかった伝説の天才!ガンバ大阪史上最高の天才は15歳で消え…暴走族へ…どん底から救った人物は?感動ドラマ
▼守備の要・吉田麻也が全く止められなかった天才フォワードはプロ3年でクビ…なぜ?
▼メジャーから4億円オファー?“甲子園のスター”ドラフト1位投手は0勝で消えた…なぜ
▼“高橋由伸キラー”大学No.1左腕が消えたのはイチローとの因縁!?現在は(秘)商品で年商1億円!

宇佐美貴史のプロフィール

氏名    宇佐美貴史(うさみたかし)
愛称    タカシ タカ
生年月日  1992年5月6日
年齢    26歳
出身地   京都府長岡京市
身長    178cm
体重    69kg

在籍チーム フォルトゥナ・デュッセルドルフ
ポジション MF (OH, SH) / FW (ST)
背番号   33
利き足   右足

所属クラブ
出場 得点
2009-2016   ガンバ大阪       138 (64)
2011-2012   バイエルン (loan)     3 (0)
2012-2013   ホッフェンハイム (loan) 20 (2)
2016-     アウクスブルク      11 (0)
2017-     デュッセルドルフ (loan) 28 (8)

両親がガンバのサポーター。
男3兄弟の末っ子で兄2人がサッカーをしていたため
1歳半からボールで遊んでいた。
3歳の時には、公園でボールを蹴っていた。

1997年 5歳 長岡京サッカースポーツ少年団入団
地元では、天才少年と言われていた。
小4から卒業するまで毎年200点前後、合計600点以上の得点を挙げていた。

2005年 ガンバ大阪ジュニアユース
2006年 高円宮杯第18回全日本ユース選手権 優勝 得点王に

2007年 飛び級でガンバ大阪ユース(高校生年代)に昇格
第31回日本クラブユースサッカー選手権 優勝
2008年 高校1年次で背番号「10」
12月 第16回Jユースカップ優勝(6年ぶり4度目)

2009年 ガンバ大阪のトップチームにクラブ史上初となる高校2年次での飛び級で昇格

背番号は安田理大のプロ1年目と同じ「33」

2009年5月20日 17歳14日での公式戦初出場
稲本潤一の年少デビュー記録を更新

2010年 J1リーグで放ったシュート数は日本人選手トップ
2011年 背番号 「11」に
2011年 ドイツ・ブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンへの完全移籍のオプション付きとなる1年間の期限付き移籍

2011年7月18日 バイエルン・ミュンヘン
2012年5月23日 ホッフェンハイム
2013年6月18日 ガンバ大阪 復帰
2016年6月20日 ブンデスリーガ・FCアウクスブルクへ
2017年8月30日 デュッセルドルフ

Jリーグの最年少の記録を更新したり、子供の頃から「天才」と
呼ばれていた。
小学生で獲った得点は3年間で600得点。

その天才が勝てないと思ってしまうほどの実力の持ち主の河本光善さん
河本光善さんのご活躍を期待します!

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