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樋田毅 朝日新聞阪神支局襲撃事件の特命取材班で班員追跡をする
NHKでNHKスペシャル 未解決事件として「赤報隊事件」を放送する
樋田毅役を草彅剛が好演する。

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朝日新聞は「特命取材班」を結成し
特命班の中心人物で犯人追跡に記者人生をかけた主人公・樋田毅記者

赤報隊事件

赤報隊事件とは
1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こしたテロ事件
2003年にすべての事件が公訴時効を迎え、未解決事件となっている

朝日新聞東京本社銃撃事件
朝日新聞阪神支局襲撃事件
朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
中曽根康弘・竹下登両元首相脅迫事件
江副浩正リクルート会長宅銃撃事件
愛知韓国人会館放火事件

この中で「朝日新聞阪神支局襲撃事件」は
執務中だった記者2人が亡くなっている。

亡くなった仲間の記者の犯人追跡をする樋田毅を主人公に
ドキュメンタリードラマが仕上がっている

NHKスペシャル 未解決事件 File.06「赤報隊事件」

2018年1月27日(土) 19時30分~20時45分

テレビ欄の予告によると

シリーズ未解決事件、日本をしんかんさせた言論テロ「赤報隊事件」に2夜連続で迫る。31年前、朝日新聞の記者が殺害され中曽根・竹下元総理をも標的にした事件の真相とは

番組内容
シリーズ未解決事件「赤報隊事件」。1夜目は仲間の記者を〇された朝日新聞“特命取材班”の知られざる内幕を実録ドラマ化。特命班の中心人物で犯人追跡に記者人生をかけた主人公・樋田毅記者を草ナギ剛が熱演する。赤報隊とは何者なのか?その目的は?謎に包まれた事件に挑む樋田記者だが、脅迫文や襲撃事件は全国に拡大、時の総理大臣までが標的となっていく。やがて警察も聴取できなかった重要人物へと辿り着くが…。

となっている。

時効は成立しても、樋田毅(ひだつよし)記者は取材を続けている

樋田毅さんのプロフィール

1952年4月生まれの65歳
愛知県出身。
愛知県立旭丘高校卒業
早稲田大学第一文学部社会学部科卒業

78年、朝日新聞に入社
高知支局、阪神支局を経て、大阪社会学部へ

大阪府警担当、朝日新聞襲撃事件取材班
京都支局次長、地域報道部・社会部次長などを歴任。

阪神支局の元朝日新聞記者
襲撃事件の公訴時効成立後の2003年4月、和歌山総局長。

その後、朝日カルチャーセンター大阪本部長等を経て、12〜17年まで大阪秘書役を勤め、同年12月退社。

現役ジャーナリスト

赤報隊事件の7つの事件

朝日新聞東京本社銃撃事件

1987年1月24日午後9時頃、朝日新聞東京本社の2階窓ガラスに散弾が2発撃ち込まれた。

朝日新聞阪神支局襲撃事件

1987年5月3日午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局へ散弾銃を持った男が侵入

朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件

1987年9月24日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮が銃撃

朝日新聞静岡支局爆破未遂事件

1988年3月11日、静岡市葵区追手町の朝日新聞静岡支局(現:静岡総局)の駐車場に、何者かが時限発火装置付きのピース缶爆弾を仕掛けた。翌日、紙袋に入った爆弾が発見され、この事件は未遂に終わった

中曽根康弘・竹下登両元首相脅迫事件

静岡支局事件と同じく1988年3月11日の消印(静岡市内で投函)で、群馬県の中曽根康弘前首相の事務所と、島根県の竹下登首相の実家に脅迫状が郵送された。

江副浩正リクルート会長宅銃撃事件

1988年8月10日午後7時20分頃、リクルート事件で世間を騒がせていた江副浩正リクルート元会長宅に向けて散弾銃1発が発砲

愛知韓国人会館放火事件

1990年5月17日午後7時25分頃、名古屋の愛知韓国人会館(民団系)が放火される事件

1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こしたテロ事件で
警察庁広域重要指定番号から、「広域重要指定116号事件」とも呼ばれる

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NHKのドラマでは朝日新聞阪神支局襲撃事件を取り上げる

その中でも朝日新聞阪神支局襲撃事件では、執務中だった記者2人
が被害を受けたことで、
言論弾圧事件として大きな注目を集めた。

朝日新聞は「特命取材班」を結成
特命班の中心人物で犯人追跡に記者人生をかけた
主人公・樋田毅記者に草彅剛さんが扮しドラマは進んでいく。

1987年5月3日午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局へ散弾銃を持った男が侵入し、2階編集室で被害を受けた。

小尻知博記者(享年29)は亡くなり
犬飼兵衛(いぬかい・ひょうえ)記者(当時42歳)は右手の小指と薬指を失った
もう一人高山顕治記者(当時25歳)がいたが、発砲せず、逃走した。

勤務中の記者が襲われて死亡するのは、日本の言論史上初めてだった

5月6日には、時事通信社と共同通信社の両社に「赤報隊一同」の名で犯行声明が届く。

1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにしている。

「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」
「反日分子には〇刑あるのみである」
「われわれは最後の一人が〇ぬまで〇刑活動を続ける」

と〇意をむき出しにした犯行声明だったという。

元々赤報隊というのは

赤報隊は江戸時代後期の幕末に結成された草莽隊
王政復古により官軍となった長州藩、薩摩藩を中心とする
新政府の東山道鎮撫総督指揮下の一部隊

薩摩藩の西郷隆盛や公家の岩倉具視の支援を得て
慶応4年1月8日(1868年2月1日)に近江国松尾山
の金剛輪寺において結成。

隊長は相楽総三で、公家の綾小路俊実、滋野井公寿らを盟主として擁立

隊の名前は「赤心を持って国恩に報いる」から付けられた
一番隊、二番隊、三番隊で構成されていた

目撃情報

犯人らしき人物の目撃情報として次のような事項が報道されている。

阪神支局事件

身長160-165cm 中肉中背、やや細目、20-40歳、黒の目出し帽
事件の40分前、阪神支局をのぞき込むヤク〇か右翼の感じがするがっちりとした体格の男が目撃される。

名古屋本社寮事件 身長約

170cm がっちりした体格、3・40代、黒の目出し帽。「何か音がしたろ」と関西なまりで話す[。

静岡支局事件 60歳ぐらい、ぼさぼさの髪。松屋百貨店の紙袋を持つ

リクルート元会長宅事件 身長160cm 細身、肩が広い、20-25歳、野球帽、黒縁の眼鏡、白いマスク姿。

犯人像

幕末の「赤報隊」気どりの犯行

朝日新聞そのものを狙ったテロと位置づける

捜査当局は
銃の扱いに手馴れ
「大胆で冷静な行動ができる男」
「同一人物または同一グループによる犯行」
「凶悪で執念深い性格」

時代背景

1982年末に誕生した中曽根政権は国家主義的色彩を強め、靖国神社公式参拝、建国記念日式典に首相として初めて参加した。

1985年8月15日、中曽根首相は靖国神社に公式参拝する。

1986年8月14日、「近隣諸国の国民感情に配慮する」旨の後藤田正晴官房長官談話が出され、公式参拝が中止になる。

日本遺族会政治連盟の16万人の会員が自民党脱退を明らかにする。

当時、国家秘密法で大きな論争が起きていた。

1985年6月、国家秘密法案が国会に提出されるとメディア、野党、日弁連、日本ペンクラブなどが批判し、
日本新聞協会や民放連は反対声明を発表する。

朝日新聞は社説「時代錯誤のスパイ防止法」(1985年5月29日)
記事「スパイ防止法ってなんだ」(新聞週間中17回連載)を掲載するなどの大キャンペーンを張り、廃案を主張した。

さらに朝日新聞は同じ頃霊感商法を追及していた

1985年4月5日号『朝日ジャーナル』

が発売されると朝日新聞東京本社に嫌がらせ電話が殺到し、
国家秘密法や霊感商法を批判していた神奈川新聞などにも
脅迫や嫌がらせの電話が集中したという。

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