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梅川昭美(うめかわあきよし)は三菱銀行人質事件をなぜ起こしたか?警察が犯人死亡で解決した3件の最後の事件!爆報!THEフライデーで

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事件から39年経って報じられていない新事実が判明と爆報!THEフライデー

三菱銀行人質事件とは

事件の概要

単独犯人の梅川昭美(うめかわてるよし)が三菱銀行北畠支店に
強盗目的で侵入人質をを取り3日間、立てこもった

被害者は行員2人、客2人、その他にけが人多数。

事件発生から42時間後の1月28日SATの前身である大阪府警察本部警備部第2機動隊・零(ゼロ)が突入、制圧した。

梅川昭美(うめかわあきよし)とは

梅川昭美(うめかわあきよし)は三菱銀行人質事件の犯人
1948年3月1日 – 1979年1月28日 30歳没

生い立ち

広島県大竹市小方向村で生まれ。
父は46歳、母は42歳だった。
姉もいたが、小さい時に亡くなっている。

父は8歳の時に脊髄を患い歩行困難となり退職
小学校5年生時に、母は離婚して家を出ていった。

その後、父の故郷、香川県大川郡引田町の小学校に転入。
しかし、父の実家は家出した父に対して冷遇した。
梅川は憎悪を抱いていたという。

一年後梅川は家出をし、母を頼って生まれ故郷の大竹市内に逃げ帰る。
朝から晩まで働き続ける母の元で放任状態になって
非行が始まる。

広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)に入学するも4か月で退学になる。
悩んだ両親は何年かぶりに再会し、復縁することで梅川の更生を図る

前科があった

一人暮らしをはじめるも、アパートの家賃や遊興費のために
15歳の時(1963年12月)に以前アルバイトした大竹市内の土建業者宅に強盗目的で侵入。

家人の妻23歳が被害者となる。

逮捕され、山口の特別少年院へ送致収容される。

「(金を取るのに)邪魔だから〇した」
「他の奴らはぬくぬくと暮らし、なんで俺だけが貧乏して苦しまないかん」
供述で話している。

広島家庭裁判所は、審判の最後に

「少年の病質的人格はすでに根深く形成されていて、容易に矯正しえないものである。少年が今後、社会に出れば同様の多種の非行を繰り返し、再び犠牲者が出る可能性があると思料される。だが少年であるがゆえに処罰しえない」

と補足している。

女性に対しても乱暴で
嫉妬に狂った梅川が女性を全〇にした上で玄関の外へ放り出したのは1度や2度ではなかったという。

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事件の詳細

事件発生状況

梅川は1979年(昭和54年)1月26日 銀行の閉店時間である14時30分ころ
テラピンチ、黒スーツに黒サングラス、白マスクで
現金5000万円を強奪する目的で銀行に押し入る。

1月26日

午後2時31分
ニッサン・ミロク社製の猟銃(上下2連式12番口径)を天井に向けて2発発砲

午後2時32分
梅川は現金をリュックサックに入れるように行員に指示するも
非常電話で通報しようとした20歳男性行員を見つけ、発砲する。
彼はすぐに救出されなかったため亡くなった。
流れ弾により男性行員と女性行員を負傷する。

計画では、警察が到着する前に逃亡するはずだったが、間に合わず、籠城することなる。

なぜ籠城になったか

午後2時33分
事件発生後逃げ出した客が自転車で警ら中の住吉警察署警邏課係長楠本正己警部補に通報し、事件は発覚。

午後2時34分
楠本正己警部補が銀行に駆けつける。

午後2時35分
楠本警部補は犯人に銃を捨てるよう要求し天井に向けて威嚇発砲
しかし、梅川は楠本正己警部補に対して発砲。殉職する。

店から脱出した行員が近隣の喫茶店に飛び込み110番通報
行内の別の行員も警察直通緊急通報ボタンを押して通報

直後に阿倍野警察署パトカー阿倍野一号で駆けつけた巡査及び巡査長にも梅川は発砲
前畑和明巡査は殉職、もう一人は防弾チョッキで免れる。
(予算の関係でパトカーのトランクには防弾チョッキが一着しか積まれていなかった)

午後2時35分に大阪府警に銀行の異常事態が通知され、3分後には大阪府内の全署に緊急配備指令発令

緊急配備から2分後には武装警官およそ320名が銀行を包囲
銀行付近500メートルの道路を閉鎖

シャッターは40cmの隙間を残して完全には下りなかった
(警察官がとっさに近くにあった看板や自転車等をシャッターの下に置いた)

店内には客12人と行員31人の合計43人が梅川に人質に取られた。
うち親子連れと妊婦の客4人はすぐに解放。
人質の人数は39人。

しかし、梅川に気付かれずに貸し金庫室などに隠れた客5人が店内に残された。

人質の扱い

1月26日

非常用出口や階段を塞ぐバリケードを作らせる。
亡くなった警官から、銃を取らせた。

午後2時50分
その後、全員を整列させて点呼。

「金を用意しなかったのが悪い」と支店長に発砲

男性行員全員をの上半身の服を脱がせた。
女性行員には、一枚ずつ、全部と言って楽しんだ。
電話係を除く19人全員としてが、片親だという一人には
その後、服を許した。

トイレも禁止した。

その後、冷静な態度の行員に対して発砲。
肩だったため、命は取り留めた。
撃たれた右肩は治療で二の腕にかけて人工骨が入れられ、12粒ほどの銃弾が摘出不能のために体内に残ったままとなったという。

1月27日

深夜2時頃、人質の客(76歳男性)がトイレに行かせてくれと申し出たところ梅川は年齢を聞くと解放

数時間後、ラジオの差し入れが遅いことに腹を立てた梅川は、ロッカーに向けて発砲。
流れ弾により客と男性行員の2人が負傷。

ラジオが到着、ニュースで自分の名前が間違っていると激怒
「俺の名前はテルミやない、アキヨシいうんや!報道のやつらにアキヨシだと言っておけ!」

と捜査本部に言った。

午前8時前に人質の客(41歳女性)が解放
午前9時30分には退職した大阪府警察本部捜査第一課の元刑事(57歳男性)が解放
(職業を大工と偽ったため、ラジオを聞いてバレるかヒヤヒヤしたと後に語っている。)

午前10時半ごろ、梅川の母親と亡き父の弟が捜査本部に到着、説得する。
電話は切るが手紙で説得した。

その後、トイレの使用を認めるようになった。
(トイレで行員には作戦計画を伝えていた。)
全員に服を着ることを許可

昼までに2人の人質(いずれも女性客)を解放
午後1時半、弁当の差し入れと引き換えに人質の客(24歳女性)を解放

午後3時前、梅川の借金500万円返済のため男性行員がハイヤーで出発し(同日午後10時ごろ銀行に帰る)

午後3時半、リポビタンDの差し入れの後に人質の客(19歳女性)解放
3人の男性行員の負傷者が解放
1時間後の午後5時前、最後の人質の客(25歳男性)を解放

午後6時、梅川に気づかれずに隠れていた客(合計5人)が、応接室、貸し金庫室、カウンターから捜査員の誘導により無事に脱出

梅川は人質の男子行員に自分の服を着せ、弾を抜いた猟銃を持たせ、自分は人質の服を着て拳銃を持ち人質に紛れ込む偽装工作した。

1月28日

朝から突入の機会を伺っていた。
トイレに来た行員から
「今回はチャンスがあると思うので合図しますからよろしく」

SAT前身部隊である大阪府警察本部警備部第二機動隊・零中隊員7名が突入の準備をして時を待った。

1月28日午前8時41分、男性行員が警察に掌を上下させ合図

7名の零中隊員が人質に「伏せろ!」と叫ぶとともにバリケード代わりのキャビネットの隙間からカウンター内に突入。
零中隊員は拳銃で計8発を発射。

3発が命中した。

意識不明の重体で病院に運ばれ、2600㏄の輸血と銃弾の摘出手術を受ける。

午後5時43分に死亡が確認。

事件は終結

警察が突入、犯人に対して発砲するという最終手段で犯人が死亡するというのは
日本において3件しか発生していない。

1970年の瀬戸内シージャック事件、1977年の長崎バスジャック事件とこの
1979年の三菱銀行人質事件だ。

それから39年起こっていないとのも海外では考えられないかもしれない。

2018年3月23日放送の爆報!THEフライデーでは

当時、報じられていない新事実が判明!さらに当事者から驚きの新証言も
あるという。

魔性の女がいて、「ベラミ事件」の鳴海清とも付き合っていたという。

15歳の魔性の女とは

杉田千春(仮名)で純粋そうな美女だったという。

鳴海清と出会ったのは、13歳で近所に住んでいた
家では父にDVにあうため、鳴海清の愛人になった。

「お兄ちゃん」と慕っていて、年齢を偽ってスナックで働いていた。
その後、鳴海清は事件を起こし亡くなった。

寂しさからスナックに来た客の梅川と付き合うようになったという。

しかし、梅川は父と同じ

 

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