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林郁夫だけ無期懲役だった。稲冨功さんが完落ちさせた捜査員。
事件全貌が明らかに。実行犯ではただ一人死刑を免れた。

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林郁夫だけ無期懲役 なぜ死刑を免れたか

オウム事件の13人の死刑囚のうち7人の死刑執行が一度に行われ、話題になりました。
海外からの死刑廃止論が呼び掛けられ、日本だけでなく世界中の論議になりました。

オウム事件で死刑の判決が下ったのは事件の実行犯でした。
その実行犯のなかで、ただ一人林郁夫だけが死刑ではなく
無期懲役という判決になりました。

そのシンソウとは?

稲冨功さんが完落ちさせた捜査員

直撃!シンソウ坂上SP【緊急ドラマ!オウム終わらせた男】
として2018年7月12日、テレビ放送になります。

番組予告では

今夜の「シンソウ坂上SP」は放送内容を一部変更し、先週の死刑執行で大きな節目を迎えた「オウム真理教事件」特集から放送します。
オウム真理教が起こしたサリン事件の実行犯で、唯一死刑判決にならなかった林郁夫受刑者。その理由は、事件について、オウムの実態について全てを告白し、それが事件の全容解明へとつながったからでした。彼はなぜ教団の全てを明かしたのか?そこには取り調べを担当した刑事が語った知られざる物語がありました。
番組ではこの取調官への徹底取材を基に本格ドラマ化(主演:渡辺いっけい)。

稲冨功さんの役を渡辺いっけいさんが演じます。

稲冨功さんについては、産経ニュースでも取り上げられていました

稲冨功さん(71歳)は、
事件当時、警視庁第3機動捜査隊の警部補だった。
林郁夫受刑者と同じ年でした。

取り調べでは稲冨功さんは林郁夫受刑者を元医師だったため「先生」と呼び、気さくに話題を振った。

「被疑者を先生とは何事か」と上層部の叱責されるも改めず、真摯な態度で取り調べに臨み、全面自供を引き出したとされる。

オウム事件、地下鉄サリンの実行犯であること告白

稲冨功さんによって、オウム真理教に入る前の
「人を助けたい」という気持ちで医師になった
林郁夫に戻ったのだと言われています。

面会に来るオウムの弁護士にも不信感を覚えたとも手記に書いている。

そして、オウム事件の全容解明を林郁夫受刑者よって果たせたと
なったわけだ。

5月26日オウム施設への強制捜査に繋がった。

結果として、林郁夫受刑者の供述によってオウムが解体されたことは
間違いない。

林郁夫受刑者を完落ちさせた捜査員として、稲冨功さんは注目された。

稲冨功さんは現在でも林郁夫受刑者と交流しているという。
2015年1月にも千葉刑務所の面会室で対面。

稲冨功さんは

「私が林(受刑者)と会っているのは、命題が残っているからだ。それは『なぜサリン事件が起きたのか。また起きうるのか』ということだ」と語り、「林(受刑者)と私とどっちかが死ぬまでに結論は出ないかもしれない。でも、考えて考えて考え抜くんだと林に言っている」

と厳しい口調で話しているという。

林郁夫受刑者の自供を検察は全容解明に貢献したと

検察は全面自供した林郁夫受刑者を「自首」と判断した。
そのため、サリンの散布実行犯5人のうち、4人は求刑通り
「死刑」の判決が下された。

林郁夫受刑者には。求刑通り、「無期懲役」となった。

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山室恵さんが無期懲役を言い渡した裁判長だった

林郁夫受刑者に無期懲役を言い渡したのは、山室恵元裁判長。

「当初は『死刑が相当だ』と考えていたが、苦悩に苦悩を重ねて判決を下した」

と当時の心境を語っている。

林郁夫受刑者とは

林郁夫のプロフィール

誕生 1947年1月23日
年齢  71歳
出身地 東京都品川区
学歴  慶應義塾中等部、
慶應義塾高等学
慶応義塾大学医学部卒
職業  医師
専門  心臓血管外科

父が開業医、母は薬剤師
幼少期から思いやりのある子といわれ、人助けがしたくて医師の道を選ぶ。

アメリカに渡り、病院に勤務。
帰国して
栃木県済生会宇都宮病院、国立療養所晴嵐荘病院(現・茨城東病院)、慶應義塾大学病院に勤務

慶應義塾大学病院時代には心臓外科の名医として石原裕次郎の手術チームの一員でもあった。

臨床医として癌などの死病の患者と接するうちに、現代医学や科学が乗り越えられない「死」に対して深く考えるようなっていった。。

1977年、桐山靖雄の本に感化され、阿含宗の正式な信徒となる。
12年在籍するも自身の修行の成果が出ないと悩んでいた。

1978年 アメリカデトロイトにあるサイナイ病院外科研究所に留学1981年 帰国
栃木県済生会宇都宮病院、茨城県那珂郡東海村の国立療養所晴嵐荘病院に勤務するも
手術は出来ても人の心は救えないと悩んでいたという。

心臓病などはストレスと深くかかわっていると認識し、患者にヨーガ、瞑想法、呼吸法などを紹介したりしていた。

1987年、  書店で麻原彰晃の著書と出会う。
1989年2月 オウム真理教に入信
病院にオウムの療法を持ち込み、患者に塩水や湯、糸を飲ませたり、ジャンプさせたりするなどしたためトラブルにもなった

1990年1月に晴嵐荘病院を退職
1990年5月 妻、子供達と共に一家4人で出家信者になった。

出家の際、目黒に所有していたマンションを売った額を含めた全財産8000万円、車2台を布施として寄付したとされる。

教団での役職   治療省大臣
ホーリーネーム  クリシュナナンダ
ステージ     正悟師

人を救いたい、心優しい医師だったと想像できる。
その元医師がなぜ、サリンの事件の実行犯になってしまったのか?

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