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板垣退助と坂本龍馬は同じ土佐藩士!お札は50銭札と100円札の発行時期は?

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板垣退助と坂本龍馬は同じ土佐藩士

土佐藩は他の藩よりも武士の身分制度が厳しかった。
上士と下士に分かれていました。
下士は下駄や日傘の使用さえも禁止されていました。

上士は絶対の存在で、下士は逆らうことができませんでした。
逆らえば、本人だけでなく、親類縁者の皆お咎めを受けてしまうのでした。

上士と下士制度が始まったのは、関ケ原の戦いで負けた石田三成の西軍に長宗我部氏がついていたため、敗戦後土佐藩を追われます。その後、土佐藩の藩主になったのが、山内一豊氏でした。

長宗我部氏の部下や地元と人たちは、そのまま土佐藩に残りました。
静岡にいた山内一豊氏が連れてきた武士が上士なり
元々土佐藩にいた武士が下士となりました。

板垣退助は、上士。
坂本龍馬は、下士。

年は一つしか違いませんが、同じ土佐藩とはいえ
上士と下士という身分の違いで、二人が会うことはなかったようです。

しかし、文久3年(1863)坂本龍馬の脱藩の赦免に奔走しています。
さらに、慶応3(1867)年9月24日、龍馬がライフル銃を積んで浦戸入港の時、渡辺弥久馬宛の龍馬の手紙の中に
「蒸気船を以て本国に帰申候(略)後藤参政はいかがに候や、(略)乾(板垣)氏はいかがに候や。早々拝顔の上、万情申述度」

と板垣退助の名も出ています。

板垣退助の生涯

生年月日 1837(天保8)年5月21日
没年月日 1919(大正8)年7月16日(82歳)

坂本龍馬の生涯

生年月日 1836(天保6)年1月3日
没年月日 1867(慶応3)年12月10日(31歳)

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板垣退助の幕末の役割

土佐藩では、上士だった板垣退助ですが、下士対して寛大でした。母親から弱いものイジメはきつく叱られていたようです。

板垣退助は、土佐藩の上士としては珍しく武力倒幕を一貫して主張していました。

坂本龍馬や後藤象二郎らが、大政奉還の平和路線をすすめている中1867年5月21日、京都の小松清廉邸で、中岡慎太郎の紹介により、
薩土密約を結んでいます。

「戦となれば、藩論の如何にかかわらず、必ず土佐藩兵を率いて薩摩藩に合流する」

と土佐藩の谷干城・毛利恭助らとともに薩摩藩の西郷隆盛らと
武力討幕を推進していた。

迅衝隊(じんしょうたい)で活躍

戊辰戦争では、新政府軍として活躍します。
迅衝隊を精鋭部隊として鍛え上げます。初めは、戦とは縁のない寄せ集めの隊でした。

徹底的に鍛え上げ強い軍隊に仕上げます。
略奪などは強く禁止しつつ、給料を払い、医師を同行させ
アメとムチでの戦略でした。

幕府軍の新選組との戦いが始まります。
この頃、板垣退助は、乾(いぬい)退助と名乗っていました。
しかし、甲府城を攻めるにあたり、苗字を「板垣」に改名します。
甲府は「武田信玄公」に対する信頼が絶大でした。
乾家は武田信玄の重臣であった板垣信方を祖とした家柄であったため、

地元の信頼を得るために苗字を板垣に変えたことで
志願兵まで出るという「武田信玄」の名前を利用した板垣の戦略だったといいます。

明治政府誕生後、明治2年(1869年)、木戸孝允、西郷隆盛、大隈重信とともに参与に就任します。

明治6年(1873)欧米視察から帰国した岩倉具視ら穏健派に
征韓論争を反対され、西郷隆盛と板垣退助は、政府から離れます。
その後、自由民権運動へと突き進みます。

板垣退助の名言「板垣死すとも自由は死せず」

西郷隆盛と政府を離れた後、薩摩藩では不満を抱えた武士たちが
政府軍に反旗を翻し、西南戦争を起こします。

板垣退助たちは土佐で、軍を上げるが議論しますが、
強大な政府軍に勝てる見込みはないと静観するように周りを抑え込みます。

板垣退助の予想通り、薩摩藩は敗れます。
武力での制圧を無理と感じ、言論での自由へと進みます。

国民の選んだ政治家による民衆の意見が反映される議会制政治
へを目指す自由民権運動へと発展します。

板垣退助の名言「板垣死すとも自由は死せず」

西郷隆盛と政府を離れた後、薩摩藩では不満を抱えた武士たちが
政府軍に反旗を翻し、西南戦争を起こします。

板垣退助たちは土佐で、軍を上げるが議論しますが、
強大な政府軍に勝てる見込みはないと静観するように周りを抑え込みます。

板垣退助の予想通り、薩摩藩は敗れます。
武力での制圧を無理と感じ、言論での自由へと進みます。

国民の選んだ政治家による民衆の意見が反映される議会制政治
へを目指す自由民権運動へと発展します。

明治14(1881)年、10年後に帝国議会を開設するという国会開設の詔が出されたのを機に、自由党を結成して総理(党首)となる。

明治15(1882)年4月、岐阜事件での際に
「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言い、これが

「板垣死すとも自由は死せず」という名言になります。

この文言は、新聞などにも載り、「自由」という言葉は
全国区になっていきます。

そして明治23年(1890)、議院議員選挙が行われました。

板垣退助のお札は50銭札と100円札の発行時期は

自由民権運動などで活躍した板垣退助はお札になっています。
そのお札は50銭札と100円札です。

板垣退助が亡くなったのは大正8(1919)年。
亡くなって30年近くたった昭和23年でした。

50銭札の発行時期

昭和23(1948)年3月10日~昭和28(1953)年12月31日

100円札の発行時期

昭和28(1953)年12月1日~昭和49(1974)年8月1日発行停止

板垣退助 歴史秘話ヒストリアに登場

2019年5月8日(水)22時30分~23時20分の放送

歴史秘話ヒストリア「自由は死せず 反骨の政治家・板垣退助」

トレードマークは長いヒゲ!「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られるカリスマ政治家・板垣退助。明治維新から国会開設まで命がけで戦い抜いた反骨の男の実像に迫る!

番組内容
トレードマークは長いヒゲ!「板垣死すとも自由は死せず」の名言でおなじみの自由民権運動のリーダー・板垣退助。若き日の板垣は、戊辰戦争に身を投じ、奇想天外な策で、旧幕府軍を翻弄した天才軍略家だった。明治維新後、板垣は政治を牛耳る藩閥勢力に戦いを挑む。激しい弾圧や迫りくる暗殺者の影。どんな困難にも決して屈せず、国民のための政治と自由のために奔走した反骨のカリスマ政治家・板垣退助。その戦いの日々に迫る。

どんな板垣退助が登場するでしょうか

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