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宮崎の妹の現在加害者一族は崩壊へ
むごい事件だった。
宮崎勤は逮捕され、死刑囚となり、死刑確定から2年4ヶ月で死刑は執行された。

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加害者家族は

家族への世間の風当りも物凄いものだったと言う。
大量にいやがらせの手紙も届いたという。
妹は2人いた。
長女は務めていた会社を辞め、既に結婚間近だったが自ら婚約を破棄した。
次女は看護学生だったが、自主退学追い込まれた。
性を変えたとも言われている。
父は4年後、家を売り、そのお金を被害者家族に支払う手続きが整うと東京都青梅市の多摩川にかかる神代橋(水面までの高さ30m)から飛び込んでいる。

親戚にも影響があった

父親の弟は5つの会社の役員を全て辞職した。
次男は持っていた会社を妻の名義に変更
3男は娘が2人いて「宮崎性」を名乗らぬように離婚して
妻に引き取らせた。

母親の兄の一人は警察官。もう一人は高校教師だったが
二人とも辞職している。
週刊誌で暴露された影響があったと言われている。

売った自宅は取り壊されて空き地になっているが、事件の影響がつよく買手がつがず現在も荒れ地になっているという。

事件後も定期的に父親にインタビューを続けていた新聞記者によると
父親は
自分が糾弾されるのは、息子が犯した罪を思えば当然だが、全く関係のない自分の親族らにまで非難の矛先が向けられ、辞職したり、逼塞することを余儀なくされていることに苦悩している
と言ってた

その新聞記者は
「この事件を通して、加害者の家族は罪を犯した加害者以上の苦痛に苛まれることを知った」「加害者家族が直面する現実を、初めて目の当たりにした」と語っている

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宮崎勤は裕福な家庭で育っていた

東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市)にある地元の新聞会社を経営する、裕福な一家の長男として生まれている。
宮崎家は曽祖父は村会議員、祖父は町会議員を務めており、地元の名士だった。
家族は祖父、祖母、両親、妹二人の7人

両親は共働きで忙しかったため、産まれてまもなく、30歳ぐらいの知的障害を持つ子守りの男性を住み込みで雇い入れている。
幼い勤の世話のほとんどは、この男性と祖父が行っていた。

両親の愛情不足だったのでは、裁判でも言われていた。

手に「両側先天性橈尺骨癒合症」(りょうがわせんてんせいとうしゃくこつゆごうしょう)という障害があり、手のひらを上に向けることができなかった。
手術の成功例も少なく、結局そのままになっていて
上手くいかないことがあると、すべて手のせいにしていたようだ。

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宮崎勤は何ものだったのか

何度も精神鑑定が行われている。
「犯行は覚めない夢の中でやった」
「ネズミ人間が現れた」
「犯行は死んだ祖父を復活させるための儀式」
「少女の遺体を焼いて食べた」
などと意味のわからない発言を繰り返していた。

「今田勇子」は誰だったのか。
多重人格だったのかとも言われた。

部屋には大量のビデオ、雑誌、漫画があった

可愛がってくれた育ての親とも言える
祖父の存在は大きく、祖父の死から宮崎勤は変わったとも言われていたようだ

裁判は最高裁まで行われた

精神鑑定が繰り返され、責任能力があるかないかを争われた。

第一審
1997年4月14日、東京地方裁判所で死刑判決
控訴審
2001年6月28日、東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決
上告審
2006年1月17日、最高裁判所が弁護側の上告を棄却
死刑が確定した

死刑執行
2008年6月17日、東京拘置所で死刑が執行された
法務大臣は鳩山邦夫だった。

通常、死刑確定から執行までは10年前後かかるものだが
2年4か月と早いものだった。

結局動機はわからなかった

大人の女性をあきらめて子供に興味がわいたわけでもなかったようだ。

意見はいろいろ言われているが本人にしかわからないことのようだった。

事件発生から30年この事件がドラマになった

どのように描かれるのか、興味がわく。
残された家族は見ることはできないかもしれない。

出演者
金子ノブアキ(警視庁捜査一課殺人5係 警部補)
秋元才加(ワイドショーリポーター)
小木茂光(警視庁捜査一課殺人5係係長 警部)
矢柴俊博(警視庁捜査一課殺人5係 巡査部長)
遠藤久美子(警部補の妻)
桜田通(ワイドショーディレクター)
坂本真(宮崎勤)
ダンカン(宮崎勤の父親)ほか

連続事件

第一の事件
1988年8月22日、午後3時過ぎにAちゃん(当時4歳)が自宅から外出後行方不明に
第二の事
1988年10月3日、午後3時ごろBちゃん(当時7歳)が行方不明に
第三の事件
1988年12月9日、午後4時30分ごろ、宮崎元死刑囚は川越市でCちゃん(当時4歳)に「あったかい所によっていかない?」などと言って車に乗せ誘拐した
第四の事件
1989年6月6日午後6時ごろ江東区東雲の団地に住むDちゃん(当時5歳)が行方不明に

「今田勇子」を名乗った犯人から
犯行声明や告白文が届く。

第五の犯行を起こそうとしたときに被害者の父親に取り抑えられ
現行犯逮捕となる。

宮崎勤の母は死刑執行後

宮崎勤の死刑執行後、母は会いに東京拘置所へ出向いたが
引き取ることはせず拘置所に処置を任せた(無縁仏になるようだ)

妹たちの現在は

おそらく、苗字を変えてひっそりといるだろうと
思われる。

秋葉原事件の家族は

秋葉原事件も非道な事件と世間を騒がせた
兄弟への影響も大きかった。

弟は仕事を辞職、婚約者があったが婚約破棄となり
次の仕事をしても兄の名前から逃れられることができず
数年後、自らの人生を終わらせている。

被害者が一番悲劇、その家族ももちろん。

加害者の家族の人生をも大きく変えてしまう

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