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宮地龍啓(みやじたつひろ) 第十雄洋丸事件から学ぶ海猿!
「教えてもらう前と後で」 現・特殊救難隊長が出演

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宮地龍啓(みやじたつひろ)は 現・特殊救難隊長 第十雄洋丸事件から海猿へ

宮地龍啓(みやじたつひろ)さんは現・特殊救難隊長
世では「海猿」として有名になった部隊です。
その発足理由は第十雄洋丸事件からの教訓からだったといいます。
「教えてもらう前と後で」

2018年10月23日(火) 20時00分~20時54分 放送

番組予告によると

足の親指90度以上まがると太りやすい!?
▼海猿イケメン教官と若きエリート(秘)特殊救難隊の過酷な日常
▼華丸大吉も「なにしよっとー?」ダラダラ寝る仕事!?
▼大阪発祥グルメ

番組内容

知らないとコワイ!浮き指
足の親指が90度以上曲がる人は…下半身が太りやすくなるので要注意!足の指がきちんと地面を踏んでいないことから、腰痛や肩こり等の不調をきたすというのだ。 自宅で簡単に矯正できる方法を接骨院院長の笠原巌先生に教えてもらう。

ニッポンわが町自慢
大阪発祥のアレコレを引っ提げてハイヒールリンゴが登場!本人熱演の再現ドラマを見ながら、商魂たくましい大阪自慢を披露する。
その時、日本が動いた!
20日間燃え続けた史上最悪のタンカー火災、1974年の「東京湾・第十雄洋丸事件」をキッカケに、海上保安庁内に特殊救難隊が誕生。“海猿”こと特殊救難隊の過酷な裏舞台と、命を預かる任務の重要性を貴重な訓練映像とともに紹介。万が一、水難事故に遭遇した際に落ち着いて対応できる策とは? 現・特殊救難隊長の宮地龍啓(みやじたつひろ)氏に教えてもらう。

大ヒットドラマ、映画にもなった「海猿」

このドラマで「特殊救難隊」の存在を知った人も多いでしょう。
エリートしかなれない、危険で高度な技術がいる命がけの職業だと
「海猿」はもともと小学館 週刊ヤングサンデーで
1999年より連載され2001年に完結。

そして、翌2002年にテレビドラマ化され大人気に
2004年に映画化され、さらに続編も幾つか制作されたという人気作品になりました。

調べたら、フジテレビの伊藤英明さんの前に
NHKで仙崎大輔を国分太一さんで
ハイビジョンサスペンス「海猿~うみざる」・「海猿2」
放送日:2002年7月13日・2003年8月18日、
NHKデジタル衛星ハイビジョン(BShi)

で放送になっていました。

未来の海猿の教官の吉田健二さんの訓練に密着

番組では未来の海猿の訓練に密着

海上保安庁の職員は14000人
その中には3つのプロが存在する。

約120人が 潜水士、 約70人が機動救難士
そして36人が「特殊救難隊」となっている。

海猿と呼ばれるのは「潜水士」のこと

吉田健二さんはイケメンだがとても厳しい
ホントは優しいが命が掛かっていることだから
非常に厳しい。
ある意味「パワハラ」と言われるかもしれない時代だ

しかし吉田健二さんの本音は
「しっかり安全点検をしろよ」「死ぬなよ」という思いだという。

自分の命の危険があるのに人の救助に向かおうを志している若者を
可愛いと思わないわけがないかもしれない。

だからこそ、厳しくしなければいけないのでしょう。

呼吸停止2分半
立ち泳ぎ10分、さらに2キロの重りを持っての立ち泳ぎ

と本当に厳しい訓練だ。

「特殊救難隊」の訓練とは

スタジオでは宮地龍啓(みやじたつひろ)さんが登場
宮地龍啓(みやじたつひろ)さんは現役の「特殊急襲部隊」の隊長

「特集救難隊」は海上保安庁の36人のエリート

その訓練とは、

手だけでロープをよじ登る、背中には10㎏の重り。
上まで登ったら、さらにOKがでるまで懸垂

次は時速4キロの水流で泳ぐ
普通の潜水士でも2.3分で力尽きてしまうという。

作業をするために手を開けておくだけの脚力が必要だという。

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水難から緊急時の必要な3つのアイテム

1.ライフジャケット
2.防水の携帯電話
3.緊急番号 118番

携帯電話の防水ケースは必需品だという。
緊急番号118番に電話をすることもできるし、
ライトで場所を特定することもできる。

もし、防水ケースがない場合はフリザーバッグでも代用できる
携帯電話を水没させないことが大切だということでしょう。

第十雄洋丸事件とは

海猿「特殊救難隊」のきっかけになった第十雄洋丸事件とは

日付  1974年(昭和49年)11月9日
時間  13時37分頃
場所  千葉県木更津沖の東京湾内

1974年11月9日 LPGタンカーの衝突炎上事故

当時は、衝突によって発生したタンカーの火災を当時最新鋭の消防船を投入しても鎮火できなかった

33人の命が失われた。

結局、11月22日、海上自衛隊の護衛艦が砲撃と雷撃でタンカーを撃沈処分した

この事件で海猿が生まれる

当時は海上保安庁には、「潜水士」しか存在しなかったという。
船で現場まで行かなくてはならなかったため、時間がかかった。

そのため陸上と協力してヘリコプターでいち早く現場に向かうという形態がとられたという。

衝突発生まで

衝突事故の発生まで
1974年11月9日13時37分頃、サウジアラビアから京浜港川崎区へ向け、合計57,000トンのプロパン、ブタン及びナフサを積載して東京湾の中ノ瀬航路を水先艇である「おりおん1号」の先導で航行中であった日本船籍のLPG・石油混載タンカー「第十雄洋丸」[2](総トン数:43,723トン)の右舷船首へ、木更津港を出港して中ノ瀬航路に入ろうとした15,000トンの鋼材を積んだリベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス」(総トン数:10,874トン)が正面から突っ込む形での衝突事故が発生した。

事故に至った原因は、「第十雄洋丸」側が中ノ瀬航路を航行していたことで船体が完全に航路を抜けるまで海上交通安全法による航路優先の原則が適用されると考え、また、「パシフィック・アレス」側は中ノ瀬航路北側出口付近をかすめる航路をとったことによる航路外での海上衝突予防法によるスターボード艇優先の原則が適用されると考えたことにより、双方が衝突直前まで回避行動を行わなかったためであった。

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