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夏目雅子の三蔵法師は美しかった!
美人薄命という言葉がそのままの彼女
27歳で急性骨髄性白血病で回復途中での急遽してしまった。

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夏目雅子のプロフィールは

父親は貿易商。
六本木2丁目の輸入雑貨店・亀甲屋の子として生まれる。
亀甲屋は実際は荒物、金物、石鹸、亀の子たわしなどを扱う日用品雑貨の店
しかし、芸能界デビュー後は貿易会社社長の娘などと変更
父は東京オリンピックのための道路拡張後に店をビルにし、貸しビル業などで成功
父は47歳でスキルス性胃がんで亡くなっている。

六本木の亀甲屋はモービル石油の日本支社長の旧宅で敷地は250坪もある豪邸だった
千葉県館山にも別荘を持つなどお嬢様だった。

本名    西山 雅子
小達 雅子(旧姓)
生年月日  1957年12月17日
没年月日  1985年9月11日(27歳没)
出生地   東京都港区六本木
出身地   神奈川県横浜市中区山手
職業    女優
活動期間  1976年 – 1985年
配偶者   伊集院静 (1984 – 1985年)
著名な家族 小達一雄(兄)
楯真由子(姪)
小達敏昭(弟)
風間柚乃(姪)
田中好子(兄嫁)

学歴    東京女学館小学校、
東京女学館中学校
高等学校卒業
東京女学館短期大学中退

3つ上に兄、10つ下の弟がいる。

性格

キレイな顔に似合わず、さっぱりとした性格だった。
あけっぴろげでテストで悪い点数をとったときに限って「見て、見て」と答案を見せたがることから
あだ名は「ダテピン」だった。

夏目雅子さんを知っている人は、上品かと思っていたら
「ガハハハッ」笑いをするのでびっくりしたという感想が多かった。

女優を目指す

小学校3年生の時にテレビドラマ「チャコちゃんハーイ!」をみて
女優になりたいと母に進言するも猛反対されて諦める。

17歳のときにヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画「ひまわり」
のソフィアローレンに衝撃を受けて、本格的に女優を目指す。

1976年、短大に入学してすぐに
父の友人のツテでタオルメーカー内野株式会社(現UCHINO)のコマーシャルに出演。
校則が厳しく、中退となる。

女優デビューへ

1976年 日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか…』のオーディション486人の応募者の中からヒロインに選ばれる

本名の小達雅子でデビュー。
57回連続NGを出され、「お嬢さん芸」といわれるほどだったという。
その後も“お嬢さん”といわれるのはコンプレックスだったという。

キャンペーンガールでブレイク

1977年から8年間、山口銀行の広告に

1977年 カネボウ化粧品のキャンペーンガール
「クッキーフェイス」のCMで注目される。

夏の目玉ということで芸名を「夏目雅子」と改名する。

CMの使用楽曲「Oh!クッキーフェイス」を自ら日本語でカバーしCBSソニーからシングルレコードをリリースして歌手デビューを果たす。

この時のCMディレクターが後の夫となる伊集院静さん
1984年8月27日 7年の不倫交際の後結婚する。

実力派女優へ

1977年 TBSの『すぐやる一家青春記』で2回目の連続ドラマ出演
東映映画、菅原文太さん主演の『トラック野郎・男一匹桃次郎』にマドンナ(ヒロイン)に抜擢、映画初出演

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1978年 『西遊記』で三蔵法師役を演じて人気に

「頭の形が良く、美しくて神々しい」と美貌が話題になった

1980年 ドラマ『サンキュー先生』(テレビ朝日系列)の1話で、いじめられっ子の姉役に特別出演
1980年 ドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日系列)で初主演。

お嬢さん女優から実力派女優へと変わる

1980年 『ザ・商社』演出家和田勉で大抜擢
上半身裸のヌードシーンがあり、迫真の演技により女優としての評価を高め、「お嬢さん女優」のイメージを覆すことに成功する。

1980年 映画『二百三高地』にも出演
1981年 『野々村病院物語』に出演
1981年 NHK大河ドラマ『おんな太閤記』にもお市の方役で出演

1982年『鬼龍院花子の生涯』の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語になった。

「他の出演者の女優さんが何人か脱いでいるのに、自分だけ脱がないのはおかしい。私も脱いで演技します」と

事務所を説得したという。
この作品でブルーリボン賞獲得する。

授賞式では「これからもお嬢さん芸でがんばりたいと思います」とスピーチをするお茶目さが

病気になる

1983年、NHK大河ドラマ『徳川家康』に淀君役で出演
『小説吉田学校』で吉田茂の三女麻生和子(元内閣総理大臣麻生太郎の母)役で出演。

1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中10円玉大の口内炎が出来る。
さらに頭痛等極度の体調不良を訴えるも「這ってでも舞台に戻る!」という夏目雅子を説得

共演の西岡徳馬の勧めにより翌2月15日慶應義塾大学病院に緊急入院させる。

夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、急性骨髄性白血病の病名は隠していた。
夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病した。

1985年9月11日午前10時16分、急性骨髄性白血病で死去 27歳だった。

約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であった

27歳という若さで、美人薄命とは彼女の代名詞になってしまった。

伊集院静との結婚生活

1984年8月27日 7年の不倫交際の後結婚する。
鎌倉長谷寺近くにある寿司店で結婚式を内輪だけする。
本当にうれしそうにしていた。

神奈川県鎌倉市由比ガ浜に在住

自宅で週刊誌用に行われた記者会見では、新婚旅行はどこに行きますかと問われて、「韓国です。」と答えている

伊集院静さんは在日韓国人2世だったことなのだろう。
どれだけ幸せだったが伺える。

伊集院静さんは

1981年、『小説現代』に『皐月』を発表し作家デビュー
代表作に『機関車先生』
1992年7月15日、『受け月』で直木賞を受賞

作詞家としても活躍。近藤真彦に提供した『愚か者』で、1987年に第29回日本レコード大賞を受賞した。その他『ギンギラギンにさりげなく』などのヒット曲がある

1992年8月7日 現在の妻で女優の篠ひろ子と再々婚

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